目次

  1. 「しけ絹」を県内で唯一製織
  2. 証券会社で重ねたキャリア
  3. 絹の可能性に気づいて家業へ
  4. 絹の良さを幅広い世代に
  5. 自身で立ち上げた新ブランド
  6. 心がけたのは対話
  7. 細胞レベルのよろこびを
  8. 養蚕を始めて変わった意識
  9. 新規事業で運命の出会い
  10. 「美顔マスク」が会社を救う
  11. 欧州市場も見据えて
  12. 「ホーム」や「ベビー」の構想も

 松井機業は1877(明治10)年の創業以来、一貫して絹織物の製造販売を手掛けてきました。2頭の蚕によって作られた「しけ絹」を、富山県内で唯一製織しています。

 「お蚕さんは通常一つの繭に1頭が入りますが、3%以下の確率で2頭入ることがあります。そこから取れる糸は『玉糸』といわれ、糸に点々とした玉もようがついています。それを織り上げることで、生地に星空みたいな風合いが出るのが特徴です」

 そう話すのは、6代目の松井紀子さん(36)です。

「玉糸」で織った城端絹(松井機業提供)

 松井機業では「しけ絹」の風合いを生かし、襖紙、ランプシェードなどのインテリア製品などを作っています。「しけ絹」は、東京にある富山県のアンテナショップの壁面や、地元ホテルのメニューカバーなどにも使われ、高級感を醸し出すアイテムとなっています。

「日本橋とやま館」の壁面。黄色のしけ絹紙が壁紙に使用されています(松井機業提供)

 松井さんはもともと、家業や絹について「まったく興味がなかった」と振り返ります。

 「着物とか古いものを作っている、くらいのイメージでした。両親も仕事の話は全然せず、私は三姉妹の末っ子だったので出る幕はないだろうなと」

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