絹製品の可能性を信じて逆風の家業に 6代目が挑むブランド化と養蚕
富山県南砺市の松井機業は、希少な繭玉からとれる糸を使った「しけ絹」を織りつづけて140余年になります。証券会社から、経営が厳しかった家業に転身した6代目が、しけ絹を使った新ブランドを立ち上げ、若い女性を中心に新たな販路を開拓。養蚕も始めて、家業の新たな未来を開こうとしています。
富山県南砺市の松井機業は、希少な繭玉からとれる糸を使った「しけ絹」を織りつづけて140余年になります。証券会社から、経営が厳しかった家業に転身した6代目が、しけ絹を使った新ブランドを立ち上げ、若い女性を中心に新たな販路を開拓。養蚕も始めて、家業の新たな未来を開こうとしています。
目次
松井機業は1877(明治10)年の創業以来、一貫して絹織物の製造販売を手掛けてきました。2頭の蚕によって作られた「しけ絹」を、富山県内で唯一製織しています。
「お蚕さんは通常一つの繭に1頭が入りますが、3%以下の確率で2頭入ることがあります。そこから取れる糸は『玉糸』といわれ、糸に点々とした玉もようがついています。それを織り上げることで、生地に星空みたいな風合いが出るのが特徴です」
そう話すのは、6代目の松井紀子さん(36)です。
松井機業では「しけ絹」の風合いを生かし、襖紙、ランプシェードなどのインテリア製品などを作っています。「しけ絹」は、東京にある富山県のアンテナショップの壁面や、地元ホテルのメニューカバーなどにも使われ、高級感を醸し出すアイテムとなっています。
松井さんはもともと、家業や絹について「まったく興味がなかった」と振り返ります。
「着物とか古いものを作っている、くらいのイメージでした。両親も仕事の話は全然せず、私は三姉妹の末っ子だったので出る幕はないだろうなと」
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大学進学で上京し、卒業後は東京の証券会社に就職します。顧客の資産運用の相談に乗ったり、ファイナンシャルプランナーの資格を取得したりして、キャリアを重ねていました。
転機は社会人3年目の2009年秋でした。社長の父・文一さんが、得意先の会社を訪問するために上京し、松井さんも興味本位で同行。父と得意先との「シルク談義」に、引き込まれました。
「その時、蚕は牛や豚よりも古い家畜で、1頭2頭と数えることをはじめて知りました」
繭玉は紫外線をカットして調湿機能や抗菌作用もあることや、絹はアミノ酸の構成比率が人間の肌とほぼ一緒なので手術用の糸にも使われていることも、その時に教わり、「こんなに素晴らしいものを扱っとったんや」と驚きました。
「古くさいし高級だけど扱いづらそうと思っていた絹の可能性に気づきました。ここで帰らないと、後悔すると思ったのです」
翌10年の正月、松井さんは家族に会社を継ぐ意思を伝え、その春、故郷に戻りました。「6代目見習い」として、絹のことや経営を学び、同年8月、正式に入社しました。
当時、松井機業の経営は厳しい状況でした。織物産業の衰退に加え、08年に北陸を襲った集中豪雨で地元の山田川が氾濫し、松井機業も水害に襲われました。工場を半分に縮小し、従業員も家族ほか数人の10人ほどになりました。
それまでは、問屋からの発注を受けて着物や襖紙を作り、卸す事業が中心でした。松井さんは「エンドユーザー(消費者)の顔が見える商品を作りたい」と新たなビジネスモデルに取り組みます。
「布の機能や良さを幅広い世代に伝え、若い人も気軽に楽しめる商品を作りたい、という思いでした」
一般消費者向けの新商品開発に動いた松井さん。12年からは地元のホテルや百貨店のイベントで、シルク素材の(液晶画面用)クリーナーや地元作家とコラボして作ったアクセサリーなどを続々と発表しました。
パートナーは展示会に出展したときに見つかったり、縫製会社や染色工場も知人に紹介してもらったりしたケースが多く、「ご縁に恵まれた」と松井さんは言います。
「東京から帰ってきた20代の女の子が古い事業を継ぐ、ということに興味をもっていただき、色々なメディアで取り上げられ、売り上げにもつながりました」
14年には初の自社ブランド「ヨハナス(JOHANAS)」を立ち上げました。女性デザイナーたちとコラボし、ご祝儀袋やストールといった「ハレの日」に使えるアイテムを展開。若い女性を中心に人気を呼び、大手百貨店などでも扱ってもらえるようになりました。
新規事業を進める過程で、社長や従業員との価値観が異なるときは、対話を心がけてきました。「ヨハナスがどのような方向で進んでいるかを、従業員と共有しています。きちんと話をすれば理解して協力してくれるのでありがたいです」
ただ、当時の松井さんは「もっと(メディアに)取り上げてもらえる商品を作らなければ」という焦りもあったと振り返ります。
「たくさんの種類を作って販売する、というスタイルを見直し、今はじっくりと素材と対話して、心地よいものを作りたいと思っています。もう少しラインアップがそろったら、営業にもう一段精を出したいと考えています」
このころ、自分で着物を身につけるようになると、商品づくりへの思いが変化しました。自社の着物に袖を通したときに、感動を覚えました。「肌にあたったとき、鳥肌が立つくらいに気持ちが良かったんです」
松井さんは、ヨハナスのコンセプトに「細胞レベルのよろこびを」というワードを加えました。「シルクが肌にあたることで、豊かさを感じました。身体に取り入れるものは、食事だけでなく、着るものも大事です。自分のカラダの声を聞いてほしいと思っています」
「しけ絹」を日常でも使えるアイテムにするため、枕カバー、タオルやマスクなど20~30種類を展開しています。
製品づくりに必要な玉糸は現在、ブラジルの製糸工場から輸入していますが、「いつか、地元産のシルクを織りたい」との思いから、16年からは工場の一角で養蚕も始めました。
蚕のエサには桑の葉が必要です。17年には、集中豪雨の被害で更地になっていた自社工場跡を桑畑にしました。「コンクリートだった場所を土に戻し、地元の子どもたちと桑を植樹しました」
養蚕を始めて、松井さんは「自然への意識が変わった」と言います。
「桑に農薬をまいたらお蚕さんが死んでしまう。良い土と水が大切と教えてもらいました。環境問題にはもともと興味がありましたが、いつのまにか周りの評価や、商品が話題になることばかり考えていたかもしれない。地に足がついていなかったなと」
新たな事業では、運命的な出会いもありました。18年、桑畑のための良い土づくりに没頭していたとき、交流があった南砺市長から、農家を志していた夫の渉さんを紹介されたのです。「牛ふんを軽トラに乗せて現れました」と笑いながら振り返ります。
「牛のエサに乳酸菌を混ぜることで、微生物がいっぱいの良いふんになる、とニコニコ話してくれました。その土を桑畑で試したら、その場所だけふかふかになって大きなミミズが出てきたんです。ますます自然への想いが強くなりました」
意気投合した2人は半年後に結婚し、松井さんは翌年、第1子を出産。「お蚕さんがつないでくださったご縁」と言います。渉さんは松井家に婿養子に入り、今は桑畑を担当しています。
養蚕に取り組んで4年。年間2千頭の蚕を飼育していますが、松井機業が年間に扱う玉糸だけでも、約104万個の繭が必要になるそうです。
「まだ(養蚕の)体力がないので、今はお蚕さんと桑の声を聞いて、繭をためる時期だと思っています。いつか、うちで育てたお蚕さんの糸で織りたいです」
松井さんは、養蚕に取り組む仲間を増やす構想も描いています。
「賛同してくださる教育機関や福祉施設、“お蚕ママ友”を増やしたいなと思っています。そこで育てた繭を買い取り、糸にして織りたい。まずは、県外の養蚕農家と一緒に取り組み、仲間を増やすことから始めたいと思っています」
20年2月には、富山大とのコラボで、「しけ絹」と富山県高岡市の特産「すけ笠」の技術を組み合わせた「繭カプセル」を作りました。まだアイデア段階ですが、人がすっぽり入れるインテリアとしての商品化を模索しています。
新たなチャレンジに積極的な松井さんは「来る者拒まず、の精神でやっているだけ」と言います。
「証券会社時代から、人とのご縁で次の仕事につながることが少なくありませんでした。一つひとつのつながりで信頼を高めて紹介してもらう、という流れが私には合っている気がします」
コロナ禍では、松井機業の着物、襖紙ともに大きな打撃を受けました。一方、「ヨハナス」から生まれた「シルクでできた美顔マスク」は、口コミで広がり、朝の情報番組でも紹介されました。
放送直後、計8千枚の注文を受け、家族総出で毎日、夜中まで作業に追われたそうです。「昨年はマスクのおかげで、会社が何とか生き残ったようなものです」
21年夏には、欧州市場向けに、循環可能な商品開発を目指すクラフトソンにもエントリーしました。
このクラフトソンは、日本発のプロダクトやサービスを支援する「JAPAN BRAND FESTIVAL」と後継ぎ支援団体「家業イノベーション・ラボ」による短期集中型プロジェクトです。審査の結果、松井機業がオランダのデザイナーと協業で商品開発を進める企業として、選ばれました。
今後は欧州市場も見据えたプロダクトの開発も進めることになります。
松井さんは22年に第2子を出産予定で、腹帯も絹製品を使用しています。
「肌に身に着けるものは、より安心なものを意識するようになりました。絹の商品に使う洗剤はせっけんに近い成分など、川に流れても安心なものを選んでいます」
後継ぎとしての夢が膨らむ松井さん。暮らし用アイテムを集めた「ヨハナスホーム」や、赤ちゃんが触っても気持ちいい絹製品「ヨハナスベビー」をつくる構想もあります。
デジタル発信にも意欲的です。「人とつながりやすくなったことで、オンラインの工場見学なども行いました。絹のメンテナンスのことも伝えて、絹製品をもっと身近に感じてほしいですね」
松井機業、そして絹の新たな可能性は、これからも広がり続けます。
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