目次

  1. 創業8家で成長を果たす
  2. ファミリービジネスの課題とは
  3. キッコーマン創業家の不文律
  4. 家訓がよりどころに
  5. 家業を永続させるには
  6. 経営者は家訓との「対話」を

 キッコーマンは1917年、千葉県野田市のしょうゆ醸造家らが野田醬油として設立しました。創業家は、茂木家(6家)、高梨家、堀切家の計8家で構成され、現在は創業家から、茂木友三郎氏が名誉会長、堀切功章氏が会長を務めています。

 49年に株式上場を果たし、57年には米国に進出するなど、先進的な経営を行い、現在の年商は4681億円(2021年3月期)。国内に数あるしょうゆメーカーの中で、圧倒的な地位を占めています。

 成長を遂げた背景には、キッコーマン創業家の家訓や不文律が大きく影響していると思われます。

キッコーマンの堀切功章会長(2018年撮影、当時は社長)

 一般的に、ファミリービジネスの弱みや危うさが表面化するのは、事業承継の段階です。創業者が2代目に、2代目から3代目にバトンを渡す場面などが考えられます。

 論文「ファミリー企業における長寿性」(後藤俊夫著、2004年)によると、第1世代から第2世代に継承された割合は30%、第2世代から第3世代への継承割合は30%となり、第1世代から第3世代まで無事に継承される割合は10%ほどにとどまります。

 事業承継が難しい原因としては、大きく三つが考えられます。

  1. 相続のたびに高額な相続税が発生してしまうこと
  2. 創業者(もしくは中興の祖)の後継者が経営するための仕組みがないこと
  3. 優秀な後継者が得られるとは限らないこと

 1については、経営承継円滑化法の施行で、特定の要件を満たす必要はあっても、株式の承継にかかる贈与税・相続税は、猶予または免除されるようになりました。

 2に関しては、創業者(経営者)が何でも一人で決めてしまう「ワンマン経営」から、後継者を中心としたチーム型経営への移行が必要です。具体的には、ツギノジダイの記事をご参照ください。

 そして、残された課題は3になります。ファミリービジネスでは、いかにして優秀な後継者を得るのか、もしくは育てるのかが重要です。キッコーマンは、その仕組みを構築したからこそ、創業家が協力し合って成長を遂げました。次章から詳しく見ていきます。

キッコーマンが東京都内でプロデュースしたライブキッチン(2019年撮影)

 キッコーマンでは創業8家の間で、優秀な後継者を確保するための仕組みとして、次のような不文律が守られています。

  1. 創業8家から入社できるのは1世代1人に限る
    (仮に兄弟が2人いても、そのうち、1人しか入社できない)
  2. 創業8家出身であっても役員にする保証はしない
  3. 役員になっても社長になれる保証はない

 キッコーマンは創業以来、この不文律に基づいて企業経営を進めています。会社設立から2020年までに13人の社長が就任しましたが、創業家8家の出身者が9人、創業家以外の親族が2人、血縁関係がない人が2人となっています。

 社長の息子が次期社長になったことは一度もなく、創業家同士が監視できる仕組みとなっています。02年以降は企業経営のガバナンスを保つため、指名委員会制度に移行しました。

 キッコーマン広報部は2020年、「指名委員会で社長を選んでおり、創業家以外からも社長が出ているため同族経営ではない」との見解を明らかにしています(週刊ダイヤモンド2020年4月11日号)。

 創業家の人材がキッコーマンに入社しても、役員などに就任できる保証はされていないため、創業8家は熱心な子育てをしています。そのよりどころになっているのが家訓です。

 具体的には、一族の考え方やルールを定めたもので、経営に置き換えると、経営理念や行動規範のようなものとなります。

 有名な家訓としては、三井財閥の創業者・三井高利(1622~1694年)が定めた三井家遺訓、住友財閥の創業者・住友政友(1585~1652年)が定めた「文殊院旨意書」などがあります。

 キッコーマンの創業家である茂木家、高梨家、堀切家のそれぞれに家訓が存在します。詳しくは以下の通りです(※1940年発行「野田醤油株式会社二十年史」に基づき、筆者が現代語訳を作成)。

【茂木家】
一.徳義は本なり、財は末なり、本末を忘れてはならない。
一.家内の和合を心掛けよ。
一.奢った贅沢を慎み、質素倹約の美徳を発揮せよ。
一.家業以外の事業に手を出すな。
一.損しないことが大きな儲けだと知よ。
一.競争は進歩の主因であるが、極端な道理に反する競争は避けよ。
一.衛生を心がけ、食事は麦飯に汁一椀にせよ。ただし、使用人と同一品に限る。
一.規律を厳しく、使用人を優遇せよ。
一.私費を割いて、公共事業に支出せよ。しかし、身代不相応のことをしてはいけない。
一.各自、蓄財思想を養成し、常に不測の事態に備えよ。
一.一年に二回親族会を開くこと。その際、富の程度によって、人を上下するのではなく、貴ぶべきは人格である。

【高梨家】
一.親子兄弟夫婦を始め諸親類に親しく、下人等に至るまで憐れよ。主人であるものは各家業に精を出すべき。
一.家業を専らとし怠ることなく、万事その分際に過ぎない(本業の範囲を越えない)ようにすること。
一.偽りをなし、また無理を言い続けるなど、人の害になることをしないこと。
一.博打この類は一切禁止のこと。

【堀切家】
一.つとめて慈善を施し、国のために尽くせ。
一.みりん醸造の業は代々我が家業として子孫に伝え、その成功を遂げることを期待せよ。
一.品質等の優れたみりんを醸造し薄利をもって売りさばけ。
一.忍耐は幸福を生み、業をさかえ家を富ませることを心にしるして忘れてはならない。
一.投機事業に手を染めてはならない。額に汗して得た者になければ、その財産を称えることはない。
一.雇用人は事業上の功労者であり、家族として優遇せよ。
一.常に勤勉・倹約の美徳を守り、怠慢・奢りの悪い習慣を避けよ。
一.御公儀様、御法度(法律やルール)を堅く守ること。
一.親類、友人に親しみ、仲良くすること。
一.貧しい者または奉公人(使用人)等に至るまで慈愛せよ。
一.火の用心を大切にせよ。
一.百姓は菜種(油)を切らすな、公事するなと言われたことを忘れるな。

 「家族みんな仲良く」、「質素契約」といった心構えに加え、「本業を怠らない」、「極端な道理に反する競争は避ける」、「品質等の優れたみりんを醸造し薄利で売りさばく」、「雇用人は事業上の功労者」といった家業や社員に関する考え方も記しています。

 ワンマンに陥りがちな経営者を戒め、謙虚であり続けるためのよりどころになっています。

 筆者が、老舗企業の家訓を数多く分析したところ、大きく分けて、仕事、家族、お金という三つの項目に整理できます(図参照)。

家訓の体系図(筆者作成)

 キッコーマンのような永続的なファミリービジネスを実現するには、ワンマン経営からチーム型経営といった仕組みを整備すべきでしょう。このような仕組みが、後継者には必要です。

 もう一つは家訓などに象徴される創業者や中興の祖のDNA(家業に対する思い)を整理すべきです。それが事業の判断のよりどころになることが多いように思います。

 整理の仕方ですが、例えば、社史を作る作業の中で、創業者や現経営者(父母など)に話を聞くことがとても大切です。苦労話や大きな意思決定をした経緯などが聞けることでしょう。家業のルーツに興味を示すことで、後継者を見る目も変わります。

 一方、後継者に対して「自分の好きなことをしたら良い」と話す経営者も少なくありません。しかし、そのような言葉をかけられた後継者は「自分自身は期待されていない」と感じてしまうことも多くあります。

 従って、後継者への伝え方として「ファミリービジネスに就業して欲しいが、もし、自分でもやりたいことがあれば、それをやってもらったら良い」という「期待」を伝えるべきです。

キッコーマンの茂木友三郎名誉会長は経済界の要職も歴任しています(2020年撮影)

 キッコーマン名誉会長の茂木友三郎氏は、慶応大学卒業後に米コロンビア大学経営大学院を修了した優秀な方ですが、入社後の米国留学中に、家業以外の選択肢も頭をよぎったそうです。

 しかし、米国でしょうゆの販売促進の手伝いをしたことで、ポテンシャルを感じ、その後、キッコーマンの米国進出を主導するなど、家業をグローバル企業に育てた中興の祖となりました。

 家訓を形骸化させず、後継者の育成や事業活動に役立てるために、まずはバトンを渡す側の現経営者が、先祖に対する感謝や尊敬の念を持つことが必要だと思います。そして、それを後継者に真摯に伝えることが大切です。

 あとは、先祖が考えた家訓の本質的な意味合いを理解したうえで、時代の変化に合わせて、事業活動に反映するべきだと思います。

 その過程で、偉大な先祖と「対話」することになるでしょう。時には背中を押してもらい、時には戒めてもらって謙虚さを保つ。そのような効果が家訓にはあると思います。

 一方、家訓を持たない経営者や後継者には、子供や孫の教育まではできるかもしれないが、それ以降の教育は難しいとお伝えしています。

 ファミリービジネスの永続性を担保するため、先祖を振り返り、自分自身が存在していることに感謝し、先代の言葉や自分自身が後世に残したい考え方(教育や事業の方針など)について、一度取りまとめることをお勧めしています。

 今回紹介した家訓や家憲などの詳細、または事業承継(経営承継)を円滑に進めていくための具体的な取り組みについては、拙書「『経営』承継はまだか」(中央経済社)をご覧ください。ファミリービジネスが抱えている課題やその解決方法について、欧米の知見を盛り込んだ内容となっています。

【参考文献】
「『経営』承継はまだか」(大井大輔著、中央経済社)
「キッコーマンのグローバル経営」(茂木友三郎、生産性出版)
「キッコーマン最強 “同族経営”の錬金術」(週刊ダイヤモンド2020/4/11)
「キッコーマン・茂木友三郎名誉会長と考える「脱・同族の道」」(日経トップリーダー2016/11・12)
「キッコーマンの家訓経営」(工業蒲田1976/9/30)
「野田醤油株式会社二十年史」(野田醤油編1940)