目次

  1. 初代は業界の重鎮的存在
  2. 東京女子大から地元の銀行に
  3. 父の病気をきっかけに家業へ
  4. 聞き慣れない土木用語を勉強
  5. 事業承継を決意して経営塾へ
  6. 生活者に近い視点で気付くこと
  7. 利益を残せる仕事を受注

 北村組は1916年に創業し、初代は香川県下の土木業界の重鎮的な存在だったといいます。

 当時、地方の土木業者のほとんどは農村の中小地主で、作業を手がけていたのは農家の人々でした。農閑期の仕事として親類、知人が喜んで参加していたそうです。

 現在は土木工事が主力で、県や市の公共事業を中心に大手ゼネコンの下請けも請け負っています。河川や池の整備、道路の新設や拡幅などライフラインに関わる工事も多く、年商は3億円で15人の従業員を抱えます。

1928年、高松市三条町に二ツ橋が完成した時の写真。北村組が工事を手がけ、木造から初めて鉄筋コンクリートになりました

 幼いころの北村さんは、家業を継ぐことをまったく考えていませんでした。それでも、両親から会社の飲み会に時々連れられていたので、当時の従業員の顔は今でも覚えています。

 父とドライブに行って建設現場を通ったとき、「ここはうちが工事したところや」と教えてもらうことはありましたが、特に建設業に興味を持ったことはありませんでした。

 高校卒業後は東京女子大学に進みました。東京で学生生活を送るうちに地元が恋しくなりました。

 「通勤で満員電車に乗りたくなかったし、都会で老後を迎えるイメージができなくて、香川に戻ってきたんです。故郷を愛していたんですね、きっと」

 希望通り地元の銀行に就職した北村さんは、窓口業務を3年半務めた後、広告担当を経験しました。

銀行で働いていたころの北村さん(北村さん提供)

 会社員生活は順風満帆でしたが、入行6年目に父が仕事中に脳出血で倒れてしまいました。一命はとりとめたものの言語障害が残りました。

 日常生活には問題なく仕事にも復帰しましたが、できなくなった業務もあったといいます。

 「母親が経理担当として会社を手伝っていましたが、もし今後母親も倒れてしまったら、経理を分かる人がいなくなってしまうことが気がかりでした」

 長女だった北村さんには、弟がいましたが体調を崩していたので、「もう自分しかいない」と銀行を退職。11年に家業に入りました。

 まずは母が担当している事務や経理の手伝いから始めましたが、金融とは畑違いの土木建設業に、戸惑うこともありました。

 「前職は事務仕事だったので、肉体労働の世界でやっていけるのか不安はありました」

 業界に女性が少ないことから、周囲からは気を遣われることが多かったといいます。社内では北村さんが一番年下。幼い頃に出会った従業員たちはすでに退職し、知らない顔ばかりになっていました。

 創業家の一員でしたが、従業員を支えるという立場を意識してきたことで、大きな反発を受けることなく、会話しやすい関係がつくれたように感じています。

 聞き慣れない土木用語は、その都度、用語辞典を引いて調べたり、土木系の資格の講習を受けたりして勉強しました。現場では正直に分からないことは分からないと、ひとつずつ従業員に聞いて覚えました。

 父の言語障害はなかなか良くならず、仕事に支障が出てくるように。北村さんは事務のサポートをする傍ら、父に付いて営業に出るようになっていきました。

 「一昔前に比べて会社の売り上げが下がり、辞めていく従業員も出てきました」

 公共工事には経営規模に応じた業者の格付けがあり、ランクが下がると請け負える工事の規模が小さくなります。

 「ランキングが下がるタイミングで、会社を畳まないといけないかもしれないと考えたこともありました。そこまで悪い状況というわけではなかったのですが、人手不足や業績低下が気になり始めていました」

 ひとしきり悩んだ末、父に楽になってほしいと継ぐことを決めました。しかし、父は込み入った会話ができず、経営のイロハを学ぶことができない状態だったといいます。

 それでも北村さんは経営塾に通い始め、先輩経営者の話を聞くなどしながら準備を進め、19年に事業承継しました。

 「父が元気なうちに、現場のことや会社の歴史を聞いておけばよかったと思うことはあります。昔のことは、ずっとうちで働いてくれる人に聞いて知ることも多かったです」

北村組が手がけた道路改修工事(同社提供)

 事業を継いだ後、北村さんは経営管理と事務業務に集中しています。北村さん自身が現場作業をすることはありませんが、安全確認のため現場を巡回することはあります。

 肉体労働が苦手な北村さんは、現場で力仕事ができないことをネックに感じていました。それでも一般生活者に近い視点だからこそ、気づくことができる現場の危険を察知して伝えることを意識しています。ときに、現場に慣れすぎた従業員は危険を察知する感覚がまひして、無理をしてしまっていることがあるそうです。

 現場を掃除してきれいに保つなど、衛生面にも気をつけています。

 社長になった北村さんは業績に危機感を感じ、今までのやり方を疑ったり、社員の声を拾ったりしながら、少しずつ業務改善に乗り出しました。

 以前は、発注者から提示された工事額では赤字になるような案件でも、発注を受けていることが多々ありました。それが業績低下の原因の一つになっていたのです。

 ある人から「泣き寝入りしたらあかん」と言われ、少しでも利益を残す工事を受注できるよう、発注者に工事費用の交渉をするようになりました。

 「取引先とは大きく衝突することもありませんでした。『社長になってきたね』と言われ、お互いに納得できるところで交渉できるようになりました」

 ※後編では、クラウドやタブレットによる業務共有、従業員への報奨金制度、月1回の定例会議の導入など、社長として注力した業務改善の取り組みに迫ります。