目次

  1. 国内外で入賞続く八戸酒造
  2. 同世代が飲まない辛口の日本酒 尽きなかった不安
  3. 兄が選んだ 市場との真っ向勝負
  4. 理想の味追い求められない兄の焦り
  5. 家業の危機を救おうと戻ってきた弟
  6. 弟は品質、兄はブランド力を上げた
  7. 世界に認められた陸奥八仙 日本酒文化を次代へ
  8. 青森の小さな蔵が抱く世界に向けた夢

 八戸酒造は、有力な日本酒コンテストの受賞実績をポイント化して酒蔵を格付けする「世界酒造ランキング」において、2021年に第1位に輝きました。

八戸酒造が造る日本酒「陸奥八仙」

 2019年は第3位、2020年は第2位と着実に順位を上げるなか、日本一長い歴史を持つ「全国新酒鑑評会」や、国際的な権威である「インターナショナル・ワイン・チャレンジ」の「SAKE部門」で入賞を繰り返してきたことで、2021年には643蔵のなかで最も高い評価を獲得するまでとなりました。

 八戸酒造は、1775年に創業した「駒井酒造店」をルーツとする老舗です。現在は、9代目にあたる長男の駒井秀介(ひでゆき)さん(43)と、弟の伸介(のぶゆき)さん(39)が中心となり、酒造りと販売を行っています。販売と営業の責任者を兄の秀介さんが担当し、製造責任者の杜氏を弟の伸介さんが務め、業績は右肩上がりで伸びています。ただし、そこにたどり着くまでには、苦境を乗り越えた地道な努力がありました。

写真右:9代目にあたる長男の駒井秀介さん(左)と、弟の伸介さん(右) 写真左:八戸酒造の醸造蔵

 長男の秀介さんが東京から戻り、家業に入ったのは2002年のとき。

 蔵元の長男として育った秀介さんは、後継者であることを漠然と意識していました。日本酒業界の衰退を肌で感じていたため、不安は尽きなかったそうです。自分も含め、同世代が飲むのはカクテルやサワーなど甘口の酒が中心です。家業で作っている辛口の日本酒が選ばれる機会はほとんどなく、将来が明るいとは思えませんでした。

 また、当時は出荷量が少なかったため、その年に仕込んだ酒の一部が、翌年まで売れ残ることが常態化していました。そのため、経営上の理由から、新酒を仕込んでも前年の残りをブレンドして瓶詰めすることが当たり前になっており、品質も安定しませんでした。自分で飲むことがあっても、心からおいしいと思うことができず、販売することにどこか後ろめたさも感じていたそうです。

 それでも、秀介さんの心には、理想の酒が息づいていました。

 家業に入るために様々な蔵元の酒を試していくうちに、業界で注目を集めていたいくつかの酒が、悩んでいた心をとらえました。

 たとえば、「十四代 本丸角新」。果実を感じさせる華やかな香りがあり、口に含むと熟れた白桃を思わせるフレッシュでジューシーな甘みを感じ余韻もありながら、きれいにスゥーっと優しくきれる、バランスの良さ。「20代前半の同世代や日本酒にまだ馴染みのない方々に日本酒ってこんな美味しいんだと感じていただけるお酒を造りたい」と思える原点となりました。

 当時の出荷先は青森県内が9割以上です。8代目の父親が1998年に「陸奥八仙」ブランドを立ち上げ、販売に力を入れていたものの、全国的な知名度はほとんどない状況です。高齢化と人口減少の進む青森県を中心に商売をしていては、将来が先細ることは明らかでした。

 会社の経営状況も良いとは言えず、十分な設備投資をする余裕もありません。

 少ない選択肢のなかで、八戸酒造が選んだのは、市場との真っ向勝負でした。全体の消費量が縮小する状況で自社商品の出荷を増やすには、知名度を高めて、より幅広い人に選んでもらうしかありません。

 酒質の向上を目指すとともに、首都圏を中心とした県外市場での消費拡大を狙うことが、長期的な事業継続の道でした。しかし、それはどの地方の酒蔵に取っても同じ。競争が細く長い険しい道であることは明らかです。

 そして、旧来の日本酒ファンだけでなく、新規の幅広い年代に受け入れられるために、品質の改善、ラベルデザインの見直しなどでブランド価値を高めることを目指しました。

 かつて秀介さんが銘酒によって日本酒の素晴らしさを知ったように、「陸奥八仙」をきっかけに新たな日本酒ファンを獲得する方向に舵を切りました。また、既存の愛好者が多い地元でもより愛されるために、定番の普通酒や純米酒の品質底上げも図ろうと考えました。

 ところが、品質改善にあたって大きな問題がありました。社内で製造技術者が育っていなかったのです。

 日本酒業界では珍しくなかったことですが、当時は仕込み時期になると杜氏を外部から招いて酒造りを行っていました。そのため、老舗の蔵元であっても、社内に酒造りのノウハウがなく、理想の味を求めることは難しい状況でした。

 2002年以降も八戸酒造の業績は落ち込みを続け、廃業の危機が迫ります。日本酒市場の縮小傾向は変わらず、状況を改善する妙手は生まれません。

 秀介さんの胸にも、焦りと諦めに似た感情が渦巻いていました。脈々と続いてきた伝統を終わらせることへの覚悟が、頭の片隅をよぎりました。

 そんなとき、弟の伸介さんが東京から戻ってきました。伸介さんは、秀介さんが後継ぎになると考えていたため、東京の大学では家業に関係の薄い経営学を学び、卒業後は大手飲料メーカーで営業として働いていました。必要がなければ、蔵に戻るつもりはなかったそうです。

 もちろん醸造経験もなかったものの、家業の危機を救うためにUターンを決意。2008年に八戸酒造へ入社すると、酒造りを始めます。

酒造りをする弟の伸介さん(左)

 製造現場で仕込み作業をしながら、手探りで杜氏から技術を学びました。

 また、県内外の同業者に製造現場を見せてもらったり、製造担当者に話を聞いたりしながら、勉強を続けました。経験がないゆえに慣習や先入観に縛られることは少なく、いいと思うことはどんどん取り入れていきました。

 兄弟が作りたいのは、「一口で陸奥八仙とわかるインパクトのある酒」。フレッシュでフルーティな香りを備えた陸奥八仙が世界中で飲まれる日を夢見て、醸造は弟、販売は兄の二人三脚が始まりました。経験を積んだ弟の伸介さんは2013年に製造責任者である杜氏に就任し、理想の酒作りは加速しました。

 弟の伸介さんは、透明感のあるお酒を実現するために、原料である米・米麹・酵母・水以外の要素を可能な限り排除すべく、衛生管理を徹底しました。蔵内のどこにでもいる野生酵母、乳酸菌、様々な雑菌の影響を受けないよう、蔵内環境や製造方法、作業手順を見直しました。

 さらに、フルーティであるために、華やかな吟醸香を作ってくれる青森県オリジナル酵母をメインで使用するなど、レシピや仕込み手順、温度経過や発酵管理を見直しました。

 そして、フレッシュであるために、お酒を搾った後の迅速な火入れ、火入れ後の急冷、その後の低温管理を徹底しました。これにより、火入れしたお酒でも搾りたてに近いフレッシュな状態を長期間維持できるようになりました。

 兄の秀介さんは首都圏の居酒屋や地酒専門の酒販店を地道にまわり、ほとんど知名度のなかった陸奥八仙の魅力を伝え続けました。また、流通を限定することで温度管理などを徹底し、消費者の口に届くまでの品質管理に努めました。並行して、国内外の品評会に積極的に出品し、少しずつ評価を高めていきました。

 2016年、駒井さん兄弟の努力が大きく実を結びました。

 自信作の「陸奥八仙 大吟醸」がインターナショナル・ワイン・チャレンジにおいて、大吟醸部門の最高賞であるトロフィーを受賞しました。青森県以外では飲まれていなかった酒が、世界に認められた瞬間でした。

 それ以降も陸奥八仙はコンテスト入賞の常連になり、メディアに取り上げられる機会も増えました。今では観光客や地元の人が毎日のように蔵を訪れるようになり、陸奥八仙を買い求めます。世間の日本酒ばなれに逆行し、出荷量は右肩上がりで増加を続けています。

 青森県が9割以上だった消費状況も様変わりしました。現在の出荷先は、地元向けが4割程度、首都圏や輸出など、それ以外が6割を占めます。

 経営が安定した現在も、兄弟のスタンスは変わりません。

 250年近く受け継がれてきた酒造りの伝統と日本酒文化を次代に伝えるというシンプルな目的が、日々の原動力です。

 日本酒の消費量は国内で減り続けており、昭和期のドラマにありがちな、家庭に一升瓶がある風景はもうあまり見られません。

 若い世代が自然に日本酒に親しむ機会は少ないため、日本酒の原点となるコメ作り、日本酒と深く結びついている神事など日本の文化を知るきっかけを作ろうとしています。

がんじゃ自然酒倶楽部の米作り

 その活動の一つとして、八戸酒造が主催する、米からの日本酒作りを体験できる「がんじゃ自然酒倶楽部」があります。里山の自然が残る八戸市内の蟹沢地区で、参加した会員は米作りから、オリジナルの日本酒作りを体験します。

 八戸市の水源である蟹沢地区は古くから「がんじゃ」の愛称で親しまれており、八戸酒造の酒造りにも使われています。活動をきっかけに日本酒に興味を持つ若い世代も増えているそうです。

 また、より幅広い人に受け入れられるよう、旧来の日本酒の枠にとどまらず、スパークリングや低アルコール、地元青森の素材を使った梅酒や果実酒、スピリッツなど、新たなジャンルにも挑戦しています。

 世界で日本酒が注目され始めているとはいえ、海外消費は和食店が中心です。ホームパーティや夕食の共にするチョイスとして、日本酒が選ばれるようになるまでには、まだ高いハードルが存在しています。

 青森県の小さい蔵でありながらも、描いた夢は大きいものです。国内の日本酒業界を盛り上げ、家庭で日常的に飲まれるようになるとともに、世界に日本酒文化を伝えることが、長期的な目標です。

 兄弟の二人三脚は、これからも続いていきます。