目次

  1. 32歳で一部上場企業を背負う
  2. キャンプブームで急成長
  3. 60歳で事業承継した理由
  4. アパレル事業を推進
  5. 自然と取り込まれた価値観
  6. 「人間性の回復」の意義を高める
  7. ファミリーの価値観共有を
  8. 後継者育成に必要なことは

 2020年3月、スノーピークは山井太氏(現代表取締役会長)から長女の梨沙氏への事業承継を発表しました。梨沙氏は32歳で東証一部(現東証プライム)上場企業を背負うことになり、大きな話題を呼びました。

 当時は不安視もされたそうですが、就任後の21年12月期は売上高257億円、経常利益40億円を記録。就任前の2019年12月期と比べて売上高で約2倍、経常利益は約4倍と大躍進しました。

 中期経営計画では、2024年12月期の目標を売上高495億円、営業利益100億円を掲げています。

 スノーピークは、太氏の父・幸雄氏が1958年、新潟県三条市で創業した金物問屋「山井幸雄商店」が前身です。

 太氏が子どものころ、家に毎日出入りしていた鍛冶屋の職人から「大きくなってお父さんの会社を継いだら、腕がいいオレの品物だけを売れ」と言われ、漠然と継ぐと思っていたそうです。

 幸雄氏からは一度も「継げ」とは言われず、大学卒業後に外資系商社に就職しました。3年ほどして、父から当然電話があり、当たり前のように「3年たったので、約束だから帰ってこい」と言われたそうです。太氏は1986年にヤマコウ(現・スノーピーク)に入社しました。

 幸雄氏は登山が趣味でしたが、満足する登山用品がないことから自ら登山用品を開発し、販売していました。太氏も幸雄氏を説得してキャンプ事業を手がけはじめました。

 90年代から始まったキャンプブームに乗って事業を拡大し、96年に代表取締役社長に就任。社名をスノーピークに変更し、米国法人も設立しました。

 その後、キャンプブームの下火で減収が続いた時期もありましたが、釣り具事業の推進やユーザーのリアルな声を聴くキャンプイベントなどを始めました。

 2010年代前半からのキャンプブーム復活を受けて直営店の出店を加速させ、14年12月には東京証券取引所マザーズ市場に上場し、業績を急成長させました。

スノーピークを急成長させた2代目の山井太氏(2020年3月、朝日新聞社撮影)

 太氏は20年3月、長女の梨沙氏に代表取締役社長を譲って国内事業を任せ、自身は米国移住するとしています。

 60歳というタイミングで事業承継したのには、理由があったようです。

 太氏自身、32歳のときに創業者の父・幸雄氏が急逝して実質的な経営者になったこともあり、エンパワーメントに早くから取り組み、従業員にも任せるスタイルを実践していました。

 20年5月の朝日新聞記事によると、太氏は「60歳で世代交代し、新しい事業を切り開いた人を次の社長に据えると決めていた。結果的に、それが娘だっただけ」と話しています。

 アパレル事業を新たに立ち上げた梨沙氏が、その条件に合致したということです。では、梨沙氏はどのようなキャリアを積んできたのでしょうか。

 梨沙氏は大学院修了後、アパレルブランドのデザイナーアシスタントとしてキャリアをスタートしました。しかし、価値を保つための在庫処分、生産過剰といったファッション業界の慣習に疑問を感じ、ある日、父に相談しました。

 AERAの記事(2021年6月)によると、梨沙氏は父から「アウトドアの領域で新しい豊かさを感じることのできる洋服を作るのはどうだろう。スノーピークでなら何かみつかるかもしれないよ」と言われたそうです。

 一族の会社に入るつもりは全くなかったそうですが、他の中途採用社員と同じ選考過程を経て、12年に入社しました。

 梨沙氏は早速アパレル事業を立ち上げ、自らデザイナーとして事業を推進。たき火も囲める防水ジャケットなど難燃素材を使った普段着(アウトドアアパレル)を開発し、話題を呼びました。

 キャンプ経験がなく、ファッションに敏感な20~30代へと客層を広げ、アパレル事業は20年12月期には売上高21億円(売上構成比12.5%)の規模に成長しました。

 同社は創業者の幸雄氏がオリジナルの登山用品を開発し、2代目の太氏がキャンプ事業を立ち上げました。そして3代目の梨沙氏はアパレル事業に手を広げています。

 ゼロから何かを立ち上げることが、スノーピークの価値観になっていることは間違いないと言えます。

 スノーピークのミッションステートメントである「The Snow Peak Way」には、「自然指向のライフバリュー(ライフスタイル)を提案し実現する」という文言があります。

 創業者が山登りを趣味として、2代目の太氏もキャンプ好きであるように、山井家と自然とは切っても切れない関係です。

 梨沙氏は幼少期のとき、父が忙しく普段の触れ合いは少なかったようです。それでも、休日には家族でキャンプをしながら、会社で開発したキャンプ用ギアのプロトタイプを検証する生活を送り、家庭と職場が近い関係でした。そのキャンプにはスノーピークの社員も参加しており、会社と家庭の線引きはあいまいでした。

 梨沙氏は社員のことを「アウトドアパーソン」と呼び、触れ合いのなかで成長しました。

 梨沙氏の著書「野生と共生」では、「アウトドアパーソン」について次のようにつづっています。

 かつての日本人がそうだったように、自然を支配するのではなく、自然と共生しながら生きるうちに培われた謙虚さや誠実さを持っている。自分で物事を判断して仲間とともに成長する。仕事を楽しむための努力と工夫を怠らない。野遊びを心から楽しみ、新しいチャレンジを楽しむ”未知”であることを楽しめる人たちなのだ。

 このことは、スノーピークの心の三か条「想うこと。信じること。感謝すること。」、行動の六カ条「尖れ。遊べ。語れ。冒険せよ。育てろ。繋がれ。」にも反映されているように感じます。ファミリーでの活動の中に、自然と会社の価値観が取り込まれていることが分かります。

スノーピークは山口県下関市と包括連携協定を結ぶなど、地域との関わりを深めています(2019年9月、朝日新聞社撮影)

 筆者は経営者の皆さんに「後継者をどうやって育てたら良いのか」とよく聞かれます。事業承継がうまくいっているファミリービジネスは、スノーピークのように、会社のことやその価値観が分かる機会を家族行事にうまく組み込んでいることが多いです。

 例えば、会社の新年会に参加したり、海外旅行の際に自社の海外拠点に寄ってみたり、自社製品を家庭でも利用したり、会社でアルバイトしたりすることなどが挙げられます。

 一大ファミリービジネスを背負う山井一族の役割について、太氏はインタビューで次のように答えています。

 ファミリーの価値観、創業の精神を、企業のなかでどう位置付け、受け継いでいくかが一番大事だと思います。2代目は創業者のストーリーを企業理念の中核に据えることが仕事だと考えてきましたが、スノーピークにおける山井家の役目は、その理念を受け継いだうえで、時代に即したかたちで新たに発展させ、ゼロイチをつくっていくことだと思います。スノーピークが理念として掲げる自然との触れ合いを通じた人間性の回復、人生価値といったものの意義は、年々高まっています。これからもその価値を新たなかたちで展開し、社会に貢献していきたいと考えています。

【朝日新聞デジタル特集4】ファミリー企業の理念や資産を、次世代にどう受け継ぐか

 太氏には梨沙氏も含めて4人の子どもがいますが、はじめから後継者を決めず、新たな事業が生み出すなどの適性があれば後継者にするというスタンスだったのでしょう。

 そのため、所有と経営を分離するべく、14年12月には東京証券取引所マザーズ市場に上場させたのだと思います(参考記事)。

 ファミリービジネスを取り巻く事業環境は大きく変化しています。長男だから、あるいは一族だから継ぐというより、経営能力の有無で判断すべきです。今回の太氏の判断は正しかったように思います。

 残念ながら、後継者育成を成功させるためのセオリーはありません。比較的大規模なファミリービジネスにおいては、海外のボーディングスクール(全寮制の学校)に入れた方が良いのかとも聞きますが、それが絶対的な正解ではありません。

 父親または母親としてどのように子どもと向き合い、一人の人間として尊重するかが大切だと思います。

 梨沙氏の「野生と共生」によると、「私はほとんど義務教育を受けていない」として、小中学校では教室で授業を受けない状態だったそうです。

 高校も退学寸前になりましたが、父・太氏は学校に対して「先生方の仰ることも聞かず、主張の強い子でご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。でも、この子の個性を一人の人間として認めてほしかったです」と話しました。それを聞いた梨沙氏は涙が止まらなかったそうです。

 梨沙氏は高校を無事に卒業し、小さいころから母の洋裁する姿を見て育ったこともあり、ファッションが学べる大学に進学。そして、最初はアパレルブランドに就職しました。

 何を学ぶかなどは本人の意向を大切に決めていけば良いと思いますが、ファミリーの価値観はしっかりと共有すべきです。山井家の場合は、キャンプを通じて価値観が共有されているのだと思います。

 仮にファミリービジネスに関わらないとしても、相続などで株式を保有する場合もあるでしょうし、一族としてどのように振る舞えば良いのかは学んでおく必要があります。会社のことを知る機会を都度設けるべきで、後継ぎ自身も早い段階から自分の子どもに伝えておくべきでしょう。

 例えば子どもが小中学生なら、スノーピークのように事業と関連深いイベントや行事、場所(例えばキャンプや旅行)に家族で行き、そこで事業のことを話しても良いと思います。

 また、食品メーカーであれば販売している食品を食卓に並べて、その開発経緯などを話してみるということも大切です。生産財を扱う会社なら、その部品が使われている最終製品(自動車、家電など)をショールームや家電量販店で触れてみても良いと思います。

 子どもとしては、親が関わった製品を身近に感じるのは非常にうれしいことです。「会社を継がないとだめ」というようなプレッシャーをかけるのではなく、自然と後継者としての意識づけをすることが重要になります。

 他にも家系図や社史を整理して、創業者などの人柄や業績を伝えることも大切です。多くの先祖の存在があるから今の自分がいるというのを感じることで、自分一人ではないという思いも持てるようになると思います。

 後継者育成に必要な視点をまとめると、以下のようになります。

  • 後継者を独立した一人の人間として尊重する(後継者だからこうすべきだという考えなどを押し付けない)
  • ファミリービジネス(家業)のことを知る、感じる、体験する機会を設ける
  • ファミリーの価値観や会社の価値観を共有する

 事業承継(経営承継)を円滑に進めていくための具体的な取り組みについては、拙書「『経営』承継はまだか」(中央経済社)をご覧ください。本書ではファミリービジネスが抱えている課題やその解決方法についても、欧米の知見を盛り込んだ内容となっています。ぜひ参考にしてください。

【参考文献】
『経営』承継はまだか(大井大輔著、中央経済社、2019年)
スノーピーク「楽しいまま!」成長を続ける経営(山井太著、日経BP、2019年)
野生と共生(山井梨沙著、マガジンハウス、2020年)
株式会社スノーピーク有価証券報告書(第54-58期)
フロントランナー 山井太さん(朝日新聞、2014年11月8日)
けいざい+「30代で社長に」革新の原動力(朝日新聞、2020年5月5日)
Snow Peak LAND STATION HARAJUKU(FASHION HAN-BAI、2020年9月)
【朝日新聞デジタル特集4】ファミリー企業の理念や資産を、次世代にどう受け継ぐか(2021年1月29日)
(現代の肖像)スノーピーク代表取締役社長・山井梨沙(AERA、2021年6月)