目次

  1. 父の仕事にあこがれて
  2. ずさんだった経理体制
  3. 父の病気で突きつけられた現実
  4. 父から諭されて捨てた考え
  5. 経理体制の一新と従業員育成
  6. 内気な自分を変えた経営塾
  7. 若手経営者団体の会長に就任
  8. 突然の事業承継を告げられた理由
  9. 工事数の調整で安全を確保
  10. 規模拡大は考えず技術力を守る

 「女性ということもあり、現場仕事ではできることとできないことがあります。社員にとって身近な存在になり、悩みを気軽に相談ができるように、下から支えられる社長になりたい」

 菊地さんは3代目としての決意をこう語ります。

 日本橋梁工業は1964年創業で従業員は10人。主な製品はジョイントで、高速道路上の橋で床版をつなぐ役割を果たします。同社は現在、首都高グループで高速道路の維持管理を行う首都高メンテナンス西東京株式会社と年間契約を結んでおり、1年間の施工件数は20件ほど。2021年の年商は5億円にのぼります。

橋にジョイントを設置する工事

 菊地さんは3きょうだいの長女として生まれました。小さいころから2代目の父・義弘さんに、仕事現場に連れていかれ、「かっこいいな。いずれ私も同じ仕事をするのかな」とあこがれを抱いていたといいます。「小学6年生のときには、夏休みの宿題の自由研究で家業について紹介しました」

 しかし、菊地さんは中学と高校で硬式テニスにのめり込み、高校卒業後はテニススクールのコーチとして働いていました。

 勤めて1年が経つころ、同社で取締役を務める母から突然「うちの会社に来て、助けてくれ」と言われました。突然の連絡に驚いたものの、いずれは家業に携わりたいと思っていた菊地さんは二つ返事で了承。1996年に日本橋梁工業へ入社しました。

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