目次

  1. 震災を機にかりんとう開発
  2. 精神的連帯を求めて先輩を家業に
  3. 同じアパートで生活を共に
  4. 慣れない言葉を「翻訳」
  5. かりんとう開発で連係プレー
  6. ラジオ出演で会社のPR役に
  7. 「相棒」との適度な距離感は

 米シスト庄内は稲作事業を主力とし、90年代から米の独自流通に取り組む農業生産法人のパイオニアです。しかし、2011年の東日本大震災の原発事故にともなう風評被害で、好調だった輸出米の売り上げが大打撃を受けます。後継者で、当時入社したばかりの佐藤さんがリーダーとなり、米粉を原料とする新商品の開発を始めました。

 翌12年には、米粉のみで作ったかりんとう「かりんと百米(ひゃくべい)」が誕生。グルテンフリーのため小麦アレルギーでも食べられるのが強みで、現在、米シスト庄内の年間売り上げの15%(OEMを含む)を担う柱に成長しました。かりんとうの開発を支えたのが、佐藤さんの「相棒」である國本さんでした。

米シスト庄内の従業員と写る佐藤さん(後列左から2人目)と國本さん(同3人目)

 佐藤さんと國本さんは学生時代同じサークルに所属。國本さんが1学年上の先輩にあたります。2人には音楽好きという共通点があり、一緒にライブに行くなど、学生時代から多くの時間を共有してきた間柄でした。

 佐藤さんは「家業が危機という知らせを受けてUターンを決意したのは、大学を中退しながらも東京暮らしを続けていた時期です。一方、米シスト庄内は大手メディアに連日登場するなど、業界内でも目立っていました。後継者を担うには、かなり努力する必要があると感じていました」と振り返ります。

 そこで「精神的連帯が欠かせない業種だから、気心の知れた学生時代の先輩を家業に誘いました」と言います。

 國本さんは米シスト庄内に入社するまで農業は未経験。山形県には佐藤さんを除いて知人は一切いません。後輩から誘われたとき、國本さんに不安や迷いはなかったのでしょうか。

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