シコーは、業務用の原料や資材を入れる産業用包装容器(紙製やポリエチレン製の袋、プラスチック段ボールなど)を開発・製造するBtoBのメーカーです。袋に入れるものは、食品用の粉末状のスターチ(でんぷん)や工事現場で使う石灰など様々です。段ボール代わりに使えるような丈夫な紙袋のほか、内容物が漏れにくい、中の空気を逃がしやすいといった特徴を持つ袋も作っています。
シコーの前身は、忠臣さんの曽祖父にあたる忠明さんが1912(大正元)年に設立した白石忠明商店です。個人事業として封筒や便箋(びんせん)を製造していました。戦後、忠明さんの長男である信明さんの勤め先(現在の住友化学)から、袋の製造を請け負うようになり、事業を拡大しました。1950(昭和25)年に株式会社化して大阪紙工となり、信明さんが初代社長に就きました。
56歳で亡くなった信明さんの後を継ぎ、忠臣さんの父・忠信さん(71)が1981年、30歳で2代目社長に就きました。1987年、「大阪紙工」から「シコー」に社名変更。現在、グループ5社を含めた従業員数は約300人、売上高はグループ全体で約100億円です。
シコーに移った鈴木さんは、自身の古巣を含めた機械メーカーと積極的に情報交換すべきだと主張します。なぜなら、いくら顧客に営業をかけても、先方が自動包装機を持っていなければ受注できないからです。
自動包装機のメーカーから「内容物が漏れて困る」「もっと速く内容物を詰めたい」といった情報を得た上で、それらの課題に対応した高機能な袋を提案・開発しました。すると、自動包装機とともに導入してくれる企業が増え、受注は大きく伸びたといいます。「自動包装機のメーカーと一緒に袋を開発する」という考え方で、シコーは同業他社と一線を画すことができたのです。
鈴木さんは新市場の開拓にも成功しました。1990年代半ばまで、12ロールや18ロールといった単位でパック詰めされたトイレットペーパーを、さらにまとめて段ボール箱に入れて出荷するのが一般的でした。ところが1997年ごろ、段ボールではなく紙袋に入れる企業が出てきたのです。ただ、その作業は全自動ではありませんでした。
そこで鈴木さんは、全自動のライン開発に乗り出した自動包装機メーカーへの協力を決意します。こうして生まれたのが、大型で丈夫な紙袋「アレンジ・バッグ」です。段ボールに比べ、価格が安く、梱包材としての置き場スペースは10分の1で済み、使用後のゴミとしての量も4分の1になります。全自動ラインにも対応しました。
狙い通り、段ボールの代わりにアレンジ・バッグを使ってくれる顧客は増えました。現在ではペットフードや猫砂、ショッピングバッグなどをまとめる用途でも使われています。市場が伸びる様子を目の当たりにした忠臣さんは「(凝り固まった思考の)枠を外すとはこういうことかと実感した」と振り返ります。
また、鈴木さんは現在まで一貫して、商品開発に積極的に関わっています。営業担当者が顧客の困りごとや要望を会議で報告すると、鈴木さんが議事録に目を通し、担当者に詳細を確認。実用化できると判断すれば、試作に入ります。
こうして生まれた製品の1つが「迷路シール」です。迷路シール加工を施した袋では、中の空気を外に逃がす一方、外の空気や水が中に入るのを防ぎます。例えば肉牛用発酵飼料は袋詰め後に発酵が進み、袋が膨張することがあります。荷崩れなどを防ぐため、従来は人が袋に穴を開けて空気を抜き、再びふさぐといった対応が必要でした。
しかし、袋に穴を開けるだけだと、外から水分が入り、飼料にカビが生えることがあります。すると牛は食べません。迷路シールがあれば、穴を開ける作業もカビの心配もいらないと、顧客から好評といいます。
「努力する人にチャンス」実感した留学
3歳上の兄がいたこともあってか、忠臣さんは幼い頃、家業を継ぐことに無関心だったといいます。ところが兄は大学進学時、「将来はお前が継げ」と言い残し、大手広告代理店に就職。忠臣さんは後を継ぐ決心がつかないまま就職活動をし、内定も得ます。それでも結局、大学4年の年度末に心変わりし、2004年4月、シコーに入社したのです。
入社後は現会長の鈴木さんに厳しく鍛えられたといいます。26歳で機械設備の導入プロジェクトの責任者になると、納期遅延などのトラブル対応やメーカーとの交渉など、苦労が続きました。鈴木さんに助言をもらいながら、何とか形にできたそうです。
海外経験も積ませてもらいました。鈴木さんは入社前にタイとマレーシアに通算9年駐在した経験があり、英語が堪能で、海外企業との取引にも積極的でした。一方、忠臣さんには当時、海外渡航歴がほぼありませんでした。
忠臣さんは鈴木さんに同行する形で、海外での展示会に10回以上参加しました。そのつど鈴木さんから任務を与えられたといいます。売店でパンを買うことに始まり、旅程の作成、海外渡航歴のない部下の引率など、だんだん難易度が上がりました。鈴木さんなりの段階的な教育だったのです。
こうした経験を通じ、忠臣さんは次第に海外に目を向けるようになります。「海外で体系的にパッケージングについて学びたい」という思いが強まり、米国の大学院に留学することにしました。目指したのは、パッケージングに加え、マーケティング、サプライチェーンなども学べるミシガン州立大学の修士課程です。
入学前に語学学校に通う期間も含め、2年3カ月の滞在予定でした。しかし渡米直前、不合格通知が届いたのです。大学で化学や物理の単位を取得していないことが理由でした。
それでも忠臣さんは日本を出国。現地で担当教授に直談判し、近くのコミュニティカレッジで不足分の単位を取得した上で、正式に大学院に入りました。修士号を得て帰国したのは、3年後でした。
「教授や現地の人には、さんざんお世話になりました。一方で、アメリカは努力する人間に寛容で、チャンスを与えてくれる国だと実感しました」
若手に本来業務以外も任せる理由
帰国後、忠臣さんは工場の設備改造のプロジェクトリーダーのほか、ホームページの刷新などを担当。グループ会社の社長も務めました。やがてシコーの取締役になると、事業部の再編や設備の移管を手がけ、収益改善につなげました。
そして2021年6月、忠臣さんは4代目の社長に就任します。2016年から3代目社長を務めた鈴木さんの後任です。
まず取り組んだのは、ビジョンの策定とデジタル社内報の導入でした。いずれも社長一人でやらず、社員に積極的に関わってもらうよう心がけました。
シコーにはもともと「感動の共有」という経営理念がありました。ただ、「誰とどんな感動を共有するのか」について、人によって解釈が異なるという問題意識が忠臣さんにはあったそうです。そこで、工場の社員から役員まで16人が参加する「VISIONプロジェクト」を開始。「包装で創るストレスフリーな世界~つかいやすく、かたづけやすく、つくりやすい~」をビジョンに掲げました。
デジタル社内報はourlyという外部サービスを導入。コンテンツの作成と発信は各地の営業所や工場の若手たちに任せています。SNSのようなレイアウトで、全社員が自分のスマートフォンで読めます。会社や社員の取り組みのほか、新商品の紹介、社長のオススメ書籍など、多彩な内容です。デジタル社内報は社員を「シコーのファン」にするためのツールの1つ、と忠臣さんは考えています。
「今の若手には、製造、営業、総務、経理といった本来の業務以外に、もう1つ別の仕事を与えるようにしています。社内での様々な経験を通じて会社を好きになってくれたら、退職者も減ります。そんな魅力的な仕事を見つけて任せることも、社長の仕事の1つです」
新卒の採用活動の一部も若手に任せました。入社2年目の2人に会社説明会を担当させたところ、新しいアイデアを次々に口にしたため、1次面接に挑戦させたのです。すると、シコーの採用基準や面接のコツについての質問が矢継ぎ早に飛んできました。いつもと違う仕事にやりがいを感じてくれているようでした。
シコーのゆるキャラ「シコラ」まで生まれました。社員の子どもが描いたイラストが元となり、現在はシコーの公式YouTubeチャンネルのマスコットキャラクターを務めています。
シコーでは数年前から、自社の袋の使い方や特徴を紹介するYouTube動画を積極的に制作しています。もともと外部の制作会社に頼んでいましたが、あるとき営業担当の社員が「もっといい動画を作れる」とダメ出しをしたことをきっかけに、その社員が制作を担当しています。
「一度任せてみたら、質の高い動画を作ってくれたんです。それ以来、動画担当をお願いしています。彼の頼みなら、と他の社員も撮影に協力的です」
「やりたい人がやりたいことをできる」「言い出した人が得をする」会社になるよう、最初の一言を発しやすい環境を作るのも社長の仕事だと忠臣さんは言います。アメリカで自分が助けられたように、頑張る人にチャンスを与え、社員が主体性を発揮できるよう心がけているそうです。
ツイートに2.5万いいね、催事出店へ
ある時、忠臣さんは営業担当者から相談を受けました。米作りの閑散期に米袋を使ってもらう方法はないか、というものです。製造機が動くのは米の収穫時期に合わせ半年ほど。残りの期間は休眠状態だったのです。
営業担当者と一緒に考えた末、自ら米袋を頭にかぶった写真をツイッターに投稿しました。「閑散期にできるお仕事はないかと袋の気持ちになって考えましたが答えは出ませんでした」「どなたかお知恵を拝借できないでしょうか?」と尋ねたのです。
このツイートには2.5万件の「いいね」がつき、リツイートは1.1万件に達しました。多くのコメントが寄せられ、大半が前向きなアイデアでした。
予想外の反響に驚きながら、忠臣さんは寄せられたアイデアを分類しました。「宅配用の袋として使ってもらったり、スーパーで一般向けに売ったりして販路を広げる」「別の用途で企業に売り込む」「おもちゃや生活雑貨として、あるいはアウトドア用に使う」など提案は多岐にわたりました。
メディアから取材依頼も相次ぎ、3つのテレビ番組のほか、ラジオやウェブメディアでも取り上げられました。さらに驚いたことに、大阪・梅田の百貨店の催事に出店しないか、ツイッターを通じて打診があったのです。
「弊社はBtoB企業で、企業向けの特殊な袋しか扱っていません。催事で一般販売するなんて想像したこともありませんでしたが、挑戦してみることにしました」
誘ってくれた作家のアドバイスを受けながら、袋の良さを伝えるためにと初めて一般消費者向けの商品を制作、販売することになったのです。
ワークショップで得た学びと発見
7月27日から8月2日まで開催された催事では、米袋をアレンジした2種類の「よろず米袋」などを販売しました。社外のデザイナーらのアドバイスを受けながら、2カ月弱で開発にこぎ着けたのです。期間中は関東方面からも社員が販売員として駆けつけてくれました。
「一般のお客様向けに販売する現場に、会社としても個人としても初めて立ち、緊張しながらもしっかり観察しました。すると、見せ方や置き方を少し変えるだけで売れ行きに大きな差が出たり、コメントをひと言添えるだけで手に取る人が増えたりすると分かり、もっと工夫したくなってきたんです」
特に好評だったのはワークショップです。10kgの米を入れる紙袋に、はんこやテープ、ペンで好きなデザインを描いた後、紙のバンドをつけてオリジナルの米袋リュックを作れる内容でした。
普段のビジネスでは接する機会のない、子どもたちと保護者の笑顔に触れ、忠臣さんは社員たちと喜びを分かち合いました。来られなくなった参加予定者からは「子どもが楽しみにしているので、材料を自宅に送ってもらえないか」という相談まであったそうです。
「紙袋の魅力を伝えるのが催事の目的でしたが、逆にお客様からたくさんの学びをいただきました。一般向け商品の値付けの難しさも勉強になったし、何より『紙袋って喜んでもらえるものなんだ』『子どもたちの笑顔はこんなに前向きな気持ちにさせてくれるんだ』という発見に満ちた1週間でした」
「かっこええ社長」になるために
忠臣さんが大切にしている言葉があります。それは「かっこええ社長になれ」です。社長就任にあたり、父・忠信さんから贈られたといいます。以来、「かっこええかどうか」は物事を判断する際の指針になっています。
では、忠臣さんの考える「かっこええ」とは何でしょうか。
「他社とは違う『オモロイ』試みの実践です。例えば、リニューアルしたホームページでは、お客さまが困っていることを入力すると、悩みの解決策として弊社商品をご紹介する仕組みになっています。同業他社からも好評で、彼らから受注できるようにもなりました。『かっこええ』を突き詰めることが、競合との差別化につながり、利益率の向上や受注増に結びつくと考えています」
自分も社員も前向きに仕事を楽しめる、笑顔の絶えない「オモロイ」会社に――。それが忠臣さんの目指すシコーの姿です。