課題山積みのホテル業務を改革 龍名館6代目が主導したスキルアップ
東京都内でホテルやレストランを経営する龍名館6代目で専務の濱田裕章さん(40)は、継ぐ準備のない状態で家業に入りましたが、ITツールを全社に導入するなどして業務を効率化。社員教育にも力を入れました。コロナ禍で本店の休業を余儀なくされましたが、SDGs(持続可能な開発目標)に関する施策などで、社員に若いうちからリーダーの経験を積ませ、苦境も乗り越えようとしています。
東京都内でホテルやレストランを経営する龍名館6代目で専務の濱田裕章さん(40)は、継ぐ準備のない状態で家業に入りましたが、ITツールを全社に導入するなどして業務を効率化。社員教育にも力を入れました。コロナ禍で本店の休業を余儀なくされましたが、SDGs(持続可能な開発目標)に関する施策などで、社員に若いうちからリーダーの経験を積ませ、苦境も乗り越えようとしています。
目次
龍名館は1899年、現在の本店がある東京・御茶ノ水で旅館として創業しました。和の趣が感じられるたたずまいで、日本画家の川村曼舟や伊東深水ら多くの文化人に親しまれました。
2009年、社長である濱田さんの叔父が東京駅前のホテルを建て替えたのを機に、ホテル業へと転換します。現在は御茶ノ水、東京駅前、新橋でホテルとレストランを営み、不動産事業も手がけます。社員数は約90人。コロナ禍前の年商は20億円を記録していました。
濱田さんが子どものころは、御茶ノ水の旅館が祖父母の住まいでした。併設されたレストランでよく食事をして、旅館の存在が日常の一部になっていました。
「2階の一部が父や叔父の部屋だったという話をよく聞いていました。父が住んでいたころは、足りない調味料を調理場から借りてくることもあったそうです」
ただ、当時の濱田さんは家業を継ぐつもりはありませんでした。「父も祖父も、家業を継ぐことについて何も言ってきませんでした。大学に入るころ、もしかしたら継ぐのかなと頭をよぎったことはありますが、特に意識せず就職活動しました」
大学卒業後は大手生命保険会社に就職し、主にデスクワークをしていました。
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会長の父から家業に誘われたのは突然でした。東京駅前のホテルを建て直してホテルに業態転換するタイミングでしたが、濱田さんは戸惑ったといいます。
「父と仕事の話をしたことがなく、建て直すこともその時初めて知りました。戻るにしてももっと後だと思っていましたが、力になれればと決心しました」
濱田さんは約3年勤めた保険会社を辞め、08年に家業へ入りました。
濱田さんは早速ホテルの開業準備に追われました。「客室のテレビや家具、金庫から歯ブラシまで、選定や調整を行いました。金庫や歯ブラシなんてどこにお願いするかも知らず、業界の専門用語もわからなかったので、一つひとつ調べながら把握していきました」
翌09年6月にホテル龍名館東京がオープン。濱田さんは宿泊部マネジャーとして夜勤の責任者を担い、フロントに入って現場の仕事を覚えました。
社内は課題が山積みでした。「前職では属人化された業務はゼロでしたが、うちはメモで業務連絡を行うなどギャップを感じました。そもそも、販促・在庫管理・広報などに詳しい人が誰もいない状況でした」
「そのため、引き継ぎがしづらく担当者が休みだと業務が止まってしまいます。各業務に継続性がないため、組織としてノウハウが蓄積しないなどの影響がありました」
オープンに合わせ、それまでほとんど採っていなかった大卒の新入社員が約10人入社。濱田さんは社員とバックオフィス業務を一つひとつ見直し、各セクションに担当者を複数つけました。「私はホームページ担当として、SEO(検索エンジン最適化)から広告の出し方まで学び、予約サイトの口コミを見る係なども作りました」
濱田さんは14年ごろにかけて、ITツールも積極的に導入しました。社員一人ひとりにメールアドレスを持たせ、勤怠管理や顧客の需要予測のシステムなどを次々と採用します。
「社長の叔父や会長の父は当初、ITツールになじみがなかったため懐疑的でしたが、基本的にはやりたいことをやらせてくれました」
「残業時間の正確な把握に課題を抱えていましたが、ITツールの導入で全社員が必要な情報にアクセスでき、お客様や外部業者からの問い合わせへの返信漏れなどもなくなりました。業務効率化で、社員がより主体的にサービスやイベントなども提案するようになりました」
同社の他の施設でも同じ体制が作られていきました。「係としてやっていたものがチームになり、部署になりました。社内がより企業らしく変わっていきました」
龍名館東京と、14年に全9室セミスイートルームのみの高級ホテルに生まれ変わった「お茶の水本店は、ミシュランガイドのホテル部門に掲載されました。
勢いにのった龍名館は、創業期以来約100年ぶりに用地を取得し、新しいホテルの開業に乗り出します。開業準備を主導した濱田さんは、あえて龍名館の名前をつけず、差別化しようと考えました。
新しいホテルに大きな影響を与えたのが、御茶ノ水の本店に併設していた日本茶がテーマのレストランです。
「外国人観光客に向けて日本文化を強く打ち出すために作り、好評を得ました。日本茶は後継者不足などの課題を抱えています。次はお茶をコンセプトにホテル全体をブランディングして、日本茶や日本文化の魅力を伝えたいと思ったんです」
ブランディングは明確な成果や価値がわかりにくく、当初、社長と会長は反対していたといいます。濱田さんは新しいホテルが目指すコンセプトなどを繰り返し伝えて説得しました。
「行ったことがなくてもどんなホテルかイメージがわくのが大事。ディズニーランド内のホテルなどを参考に、試行錯誤しながら作り上げました」
18年12月、東京・新橋に誕生したのが「ホテル1899東京」です。全63室の客室は「茶屋をイメージした庵」をテーマにしたデザイナーズルームで、約半分の客室には縁側に見立てたベンチソファを設置しました。
アメニティーにはシャンプーとボディーソープに緑茶の成分を入れたものをそろえたほか、茶葉のイラストが刺繍されたルームウェアを用意。オリジナルブランドの日本茶10種類のうち、日替わりで選んだ4種類を用意しています。
茶室をイメージしたフロントにはティーカウンターを併設。茶釜を置き、お茶を知り尽くした「茶バリエ」が抹茶を立ててもてなします。
バックオフィスの改善の経験を生かし、新ホテルでは利用客向けのサービスのIT化にも注力しました。チェックインの1時間前に自動で空調がつくシステムを導入したほか、内線やインフォメーションブックを廃止し、各部屋に設置したタブレット端末で全てまかなえるようにしました。
ホテルは評判を呼び、20年度のホテル・レストラン事業の売上高は、ホテル業に転換した09年度と比べ約6倍にまで成長しました。
龍名館では社員教育にも力を入れ、サービス面だけでなく、ティーチングやプロジェクトマネジメントなど、ビジネスパーソンとしての研修も実施しています。予算の範囲なら、各個人が業務に関連する研修を好きに受けられる制度も作りました。
根底には濱田さんの問題意識がありました。「うちは会社が小さく異動が少ないのですが、企業が持続的に成長していくためには、社員一人一人が成長する必要があると考えたのです」
濱田さんは19年10月、新たに社員を対象とした勉強会を始めました。ホテルのサービスマンやブランディングのコンサルタントらを招いた講演や、日本酒の酒蔵見学など、1年かけて様々な知識を得られる内容です。
さらに、採用活動に関するアイデア出しなどを行う委員会を設け、社員が提案できる環境を整えました。
「採用の施策も全社で検討するべきだと考え、人事部とは別に、公募で有志の社員を集めました。これまでに、TikTokの強化や社員インタビュー、懇親会などを提案してくれました」
これらの活動に給料が直接上乗せされるわけではないため、社内では賛否両論がありました。しかし、濱田さんは「社員の主体性がさらに増した」と手応えを感じました。
「リーダーを経験することはもちろん、複数のリーダーにつくことで、そのあり方やフォロワーシップを学ぶことにつながっています」
新型コロナウイルスの感染拡大で、龍名館も本店と「1899東京」を一時休業せざるを得ませんでした。
その後営業を再開しましたが、「1899東京」は稼働率を上げるため、従来の3分の1の価格に下げて営業。利用客の9割が外国人観光客だった本店は21年7月から再び休業し、再開の見通しはたっていません。
「価格を下げると客層も変わります。本来のターゲット層であるインバウンド客が戻れば早く(価格も)戻せますが、果たしてどのくらいのペースになるのか…。昨今の円安はホテルにとってはチャンスなので、状況を見て少しずつ元に戻していければと考えています」
さらに、コロナ禍の影響による休業などで業界全体にネガティブなイメージがついたことで良い人材が集まらず、自然退職も含めてこの間に減ってしまった人員を、新たに採用できない状態が続いています。
「今いる従業員に少しでも前を向いて働いてもらい、この期間にさらなるスキルアップをしてほしい」
濱田さんは20年10月から、自ら主催する勉強会を社内プロジェクトにして運営を社員に任せました。公募で集まった社員がプロジェクトのテーマに即した検討会などを企画・運営し、リーダーの経験をさらに積ませようと考えたのです。
その他にもSDGsに関する施策や、顧客分析とアプローチの仕方を考えるプロジェクトに関する活動が行われました。
22年度は社内での意識改革を中心に取り組み、外部講師を呼んだ勉強会や社内広報誌での情報発信、また環境に配慮した備品・消耗品への切り替えを進めました。
濱田さんは社内のさらなるIT化も進めています。売り上げ状況などの営業日報はエクセルに入力してメールで送っていましたが、22年10月からはPOSシステムとつなげて数字を入力する作業を省略。スタッフはコメントを入力するだけで済むようになり、さらなる業務効率化につながりました。
濱田さんは事業承継の準備を早くから進めています。「承継の時期は決まっていませんが、会社の負担が少なくなるよう社長や会長と一緒に調整を進めています」
コロナ禍の影響もあり、現在の龍名館の年商は10億円ほどですが、再び20億円まで戻すことが目標です。
「うちのホテルは山手線圏内にしかなく、首都直下地震への対策を考えたら関東圏以外でもホテルを展開したいと考えています。また、ホテルやレストラン、不動産事業以外にも軸となる事業が必要だと痛感しました。コロナが落ち着いたら小規模のM&Aを行って事業を増やすことも考えています」
いつか自分が代表になる時を見据える老舗ホテルの若き6代目は、変化をいとわず進み続けます。
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