息子の一言で火が付いた イチカワファーム2代目が育てた八戸毬姫牛
青森県八戸市の「イチカワファーム」は大手企業の牛を飼育する預託事業から転換し、2代目の市川広也さん(39)を中心に2020年、「八戸毬姫牛(まりひめうし)」という独自ブランドを立ち上げました。くどくない脂肪とうまみの濃い赤身、そして手ごろな価格を実現するため、和牛と乳牛を掛け合わせた交雑牛を選び、肉質が柔らかい雌牛だけにこだわって評判を高めています。
青森県八戸市の「イチカワファーム」は大手企業の牛を飼育する預託事業から転換し、2代目の市川広也さん(39)を中心に2020年、「八戸毬姫牛(まりひめうし)」という独自ブランドを立ち上げました。くどくない脂肪とうまみの濃い赤身、そして手ごろな価格を実現するため、和牛と乳牛を掛け合わせた交雑牛を選び、肉質が柔らかい雌牛だけにこだわって評判を高めています。
八戸毬姫牛が誕生したきっかけは、5年ほど前の何げない会話でした。
市川さんが牛の世話を終え、保育園に通う長男と風呂に入っていたとき、なんとなく聞いてみました。
「将来、どんな仕事がしたい?」
答えは「パパがしている仕事以外をしたい」というものでした。
息子にとって世界一やりたくない仕事が、自分がやっている畜産業だったのです。家族を養うために必死で働いているのに、自分の姿は息子にとってあこがれとは全くに映っていました。市川さんは大変なショックを受け、心に火が付きました。
よくある親子の会話が、市川さんと牧場の未来を大きく変えるきっかけになったのです。
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イチカワファームは父の秀廣さんが立ち上げた牧場で、市川さんは2代目になります。現在の敷地面積は約2万5千平方メートルです。
父の牛好きが高じて始めた事業で、市川さんにとって牧場で牛を育てることを「家業」と感じたことはありませんでした。
後継ぎという自覚もなかったため、高校卒業後に上京し、内装業の会社に就職しました。技術を磨き、次第に大きい現場を任されるようになります。千葉県出身の妻とは「将来は青森に戻らないし、牧場は継がない」という約束をして結婚したそうです。
転機が訪れたのは2010年のことでした。
安定した暮らしの中、ふと故郷について「牧場がなくなったらどう感じるだろう」と考えました。脳裏に浮かぶのは父が毎晩泊まり込み、情熱をもって牛を世話していた姿です。
近所でも「べこ屋の市川」と呼ばれて可愛がられていたこともあり、「牧場を無くしたくない」という思いが強くなっていました。
妻を説得し、覚悟して戻ってみると牧場はすっかり活気を失っていました。
きっかけは00年に発生した牛海綿状脳症(BSE)問題です。順調だった経営が一気に傾き、牧場から次々に牛が消えました。BSE問題が起きた当時、高校生だった広也さんの目から見ても、資金繰りがうまくいっていないことは明らかで、食卓のおかずも日に日に少なくなっていたそうです。
BSE問題後も経営は回復せず、秀廣さんは商売を安定させるために決断を下しました。牧場名を冠した自家牛肉の生産をやめ、大手企業からの牛を育てて肥育料を受け取る「預託事業」にシフトしたのです。
それまでは、おいしい肉を作って販路を拡大することが経営のメインテーマでしたが、預託事業にシフトしてからは「預かった子牛を事故なく育てること」が日々の目的になりました。えさや管理方法も細かく指定されるため、経営は安定するものの、やりがいを見いだすことは難しい仕事でした。
預託事業はグループの各牧場が事故率や肉質の評価でランク付けされ、定期的に公表されます。イチカワファームは中位の評価を受けていたものの、牧場はすっかり活気を失っていました。
あれほど熱心に牛を世話していた父は元気を失い、牛舎に足を運ぶことも少なくなっていました。スタッフのモチベーションを高めることも難しく、牛が病気になったり、けがをしたりして死んでしまう事故も相次ぎました。
畜産業の経験がまったくない市川さんから見ても、牧場は危機的に見えました。「このままでは先がない」と感じ、「とにかくできることをしよう」と幼少期の秀廣さんの姿を思い返しました。
記憶にあるのは、一年中休みなく牛舎に泊まり込み、牛と対話を続ける姿です。
牧場で仕事を始めたとき、父から伝えられたのは「牛の顔色を見ろ」の一言だけ。最初はどの牛もまったく同じにしか見えませんでしたが、日を重ねるうちに少しずつ見える景色が変わり始めました。
市川さんは朝3時に牛舎を見回り、夜も遅くまで牛の表情をチェックします。そのうち、目に力がない牛、耳が少し下がっている牛、せきをしている牛など、集団の中で元気がない個体がいることにすぐ気づくようになりました。
気が付けば一日のほとんどを牛舎で過ごすようになっていました。寝ていても目が覚めると牛の様子が気になり、深夜に牛舎に戻ることもしばしばです。
自身でも「異常だった」という日々が続くうち、事故率は下がり、肉質は上がりました。「自分で牧場を変えなければならない」と思い込んでいた市川さんは、スタッフに厳しい態度を取ることはありませんでしたが、寝食を忘れたように働く姿についていけなかったのか、ほとんどが辞めてしまいました。
努力の結果、グループで上位の評価が定着したものの、市川さんの心はどこかもやもやしていました。
預託事業は牛がどこに出荷されるのかわからず、自分で作った肉を食べることもできません。知人に「市川さんの作った肉はどこで食べられるの」と聞かれても、「自分でもわからないんです」と愛想笑いでごまかすしかありませんでした。
手塩にかけた牛はどこで食べられているかわからず、おいしいとほめられることはありません。目指すのは事故率などの数字を改善することだけ。忙しい日々の中で、いつしか心の余裕を失っていました。
息子に「パパがしている仕事以外をしたい」と言われたのは、そんな時期だったのです。
息子の言葉にショックを受けた一方、背中を押されたようにも感じました。
預託事業は安定しているように見えますが、取引先からの契約が途切れれば、一気に経営は傾きます。命綱を他人に託しているような状態の中で努力を続けるのは、心理的にも難しくなっていました。
「自前のブランド牛を作り、味と価格で勝負する」。そう決めた市川さんはすぐに預託事業からの転換を決めました。その決断は秀廣さんも賛成してくれました。実はブランドの確立は父の夢でもあったのです。
BSE問題が発生する直前まで、秀廣さんは「はちのへ岩廣牛」という名前のブランド牛の生産を目指していました。焼き印も作り、準備を進めていた矢先、BSE問題ですべてが泡のように消えました。
市川さんが目指したのは、食べやすい価格でありながら、和牛のうまみを十分に味わえる逸品です。
ステーキ1枚が1万円もするような高級牛ではなく、幅広い消費者にも食べてもらえるよう、価格を抑えつつ高級感とうまみを楽しめる牛を目指しました。その条件に合うのは和牛と乳牛の交雑牛と判断し、柔らかい肉質を確保するため、雌のみの飼育にこだわりました。
「黒毛和牛は生産コストがかかり、リスクが高いと感じました。また赤身ブームへの移行でサシの多い霜降り肉が敬遠されがちな時代になってきたこともあり、サシと赤身のバランスもよく、ニーズが増えて単価も安定しそうな交雑種を選択しました。父も私も皆様に食べていただくことに価値があると思っているので、黒毛和牛よりも購入しやすい価格設定が出来るのも魅力に感じました」
「柔らかい肉質にするために他社にはないオリジナルの肥育マニュアルに加え、多少コストをかけてでも肉質を良くするために配合飼料にも強いこだわりを持っています。あえて畜産経験のない意欲あるスタッフを採用しました。牛の格付けの成績が給料に反映されるので、やりがいを感じてもらい、一緒に成長出来るように取り組んでいます」
家族もブランド化を後押ししました。市川さんは妻と相談し、ピンクをイメージカラーにして「八戸毬姫牛」というブランド名を決めると、焼き肉店や精肉業者に足しげく通い、販路の拡大を目指しました。
自社ブランドの牛肉の生産は、金銭面でも大きな賭けです。牛の肥育事業は子牛の仕入れから出荷まで1年半ほどかかるため、資金回収まで大きなタイムラグがあります。
預託事業は子牛の仕入れを預託元の大手業者が行ううえ、預託期間は安定的に収益を得られます。一方、自社ブランド牛は子牛の購入資金を先に用立て、出荷までにかかる費用も自社でまかなうことになるのです。
イチカワファームは預託事業を行っていた時期はほぼ無借金でしたが、毬姫牛の生産を始めてからは、約1200頭の子牛を購入する費用などを準備するため、数億円を借り入れることになりました。
19年の生産開始から1年半後、資金面、販売面、牛の生育などの困難を乗り越え、毬姫牛は初の出荷を迎えました。初出荷からすぐ後に最高評価のA5を獲得する牛もあらわれ、地元飲食店を中心に広く話題を集めるようになりました。
手ごろな価格と品質の良さが受け入れられ、毬姫牛の人気は拡大しています。地元八戸市内を中心に焼き肉をはじめ、和食、フレンチ、イタリアン、ステーキ、居酒屋、ホテルなど20店舗ほどで提供され、県外での取り扱いも増えているといいます。現在は常時約1200頭の毬姫牛を育てています。
こうした取り組みが評価され、イチカワファームは21年度の「青森県攻めの農林水産業賞」で特別賞を受賞しました。
市川さんは息子に仕事を理解してもらおうと、保育園の子どもたちに牛への餌やりを体験してもらい、給食に毬姫牛を提供しました。息子の友達から次々に「おいしい」という感想があがり、息子が将来なりたい職業は「パパの牛肉を海外に売る仕事」に変わりました。今は夢をかなえるため、英会話教室に通う日々です。
市川さんの近い目標も海外市場への展開です。近隣の若手畜産業者と連携し、輸出や青森県産牛肉の販路拡大を目指す協議会を設立しました。
新型コロナウイルス感染症の影響で地域の外食産業がダメージを受ける状況を目の当たりにしました。毬姫牛の名声を国内外で高め、精肉店や飲食店、消費者も含めた地域全体にプラスの影響を与えることを目指しています。
市川さんは「地元の人たちに助けられているといつも感じています。恩返しできるように毬姫牛をもっと有名にしたい」と意気込み、世界中で毬姫牛が食べられる日を夢見ています。
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