紅花とお醤油売りからはじまり、時代の流れに合わせて取扱商品を増やし、現在は日用雑貨・消火器・非常食・業務用洗剤、私が元テレビディレクターということもあり、動画やホームページ制作、写真撮影などのコンテンツ事業など何でもしています。
私は一人娘として生まれて、幼いころから両親だけではなく、社員さんや取引先の人が常に近くにいる環境で育ってきたわけですが、家を継ぐつもりなんて1ミリもありませんでした。
その反動なのか、大学卒業後は華やかなテレビの世界に飛び込みたくて、全国各地のテレビ局の就職試験を手当たり次第に受験し、40社受けてようやく地元のテレビ局に、テレビディレクターとして採用されました。
ズームイン・24時間テレビ……手放せぬ胃薬 でも一生の宝物
最初は営業志望として入社しましたが、配属されたのは「報道制作局 テレビ制作部」でした。
「君は、ディレクターになるんだよ」と当時の上司に伝えられた時は、大きな不安からか「ディレクター 仕事」「ディレクターとは?」を夜な夜な検索し続けるほど、未知の世界です。
実際に働いてみると、取材の企画立案・取材者との打ち合わせ・スケジュール調整・お弁当の手配・台本作成・撮影・VTRの編集・音の調整・BGMの貼り付けなど・・・もう、伝えきれないくらいの仕事量でした。
常に胃薬を飲んでいた記憶がありますが、その刺激が20代前半の私にとっては、本当に楽しかったです。
取材のお相手・カメラマン・音声マン・アナウンサー・大道具スタッフなど、本当にたくさんのプロフェッショルとゼロから作品を作り上げていく面白さ、時々起こるハプニングを乗り越えたときの達成感は、最高という2文字そのものでした。
ズームイン・24時間テレビ・スポーツ中継・ドキュメンタリー・イベント中継・選挙・市政番組などさまざまな番組に関わることができたのは、私の一生の宝物となっています。
震災で気づいた「家業ってすごい」 継がない勇気を持てなかった
東日本大震災の3日後となる2011年3月14日、私の人生にとって、大きな出来事が起こりました。テレビ局の仕事を終えて帰宅すると、実家である会社の前に、ひとりの男性が座っていました。
「福島県の南相馬市から、水のポリタンクを買いに来ました。山形も大手スーパーやホームセンターは閉まっていましたが、ここなら売っているのではないかと道すがら教えてもらいました」と男性は、話しました。
この瞬間、恥ずかしながら初めて「うちの仕事(家業)ってすごい。誰かに必要とされている!」と思ったんです。同時に一人っ子である私が継がなければ、歴史も終わるし、この場所から会社も無くなってしまうと、今までに感じなかった危機感を覚えました。
「継ぐ決意をした」というよりも、「継がない勇気を持てなかった」という絶妙なニュアンスが、当日の私の気持ちを表現するのにはぴったりだと思います。
継がない勇気を持てなかった私は、テレビ局を退社後、都内のITベンチャー企業で総務・経理などの勉強を積み、9年前に有限会社西谷に入社しました。
でも、全く興味を持っていなかった家業の仕事ですから、びっくりするくらいに何もわからないんです。
ひとまず「茶色の巻髪スタイルの私のことなんて、誰も信用してくれない。資格があれば信用してもらえるかも!」という安易な考えで、子供を1人産むたびに、国家・民間資格を取得するという難題を自分に叩きつけ続けました。
今では子どもが3人、資格は防災士・防災介助士・消防設備士・一般毒物劇物取扱責任者・SNSマネージャーなど、合計6個になりました。
高まる個人の防災意識 でも当初は「箱単位でしかお売りできません」
東日本大震災後、度重なる余震や台風被害などが世の中的に増えてきている感覚が生まれたころ、これまで行政や民間企業に、1ケース50袋入りの非常食やロットの大きい防災グッズを納品してきた西谷に「個人で買いたい」「5袋販売して欲しい」と、個人の方からの問い合わせが急増しました。
最初は「販売することはできますが、箱単位でしかお売りできません。同じ味の非常食50袋でしたら可能です」と答えていましたが、自分で言って、自分でバカだなぁと思っていました。
どう考えても、同じ味を50袋なんて、食べ飽きてしまいますよね?
我々のような卸売・小売業は、メーカーから箱単位で非常食を卸して納める方が、在庫もしなくて済みますし、売り上げもしっかり確保ができます。
でも、そんなことは私達企業側の都合であって、顧客のニーズにきちんと応えられているとは思えませんでした。私も母親になって守るべきものができたからこそ、「個人でしっかり備えたい」という気持ちには心から共感していましたし、正直な話……私自身も目の前の子供達を育てるのに必死で、備えていませんでした。
だから「ポチっとするだけで、1度に色んな味の非常食や用途の違う防災グッズが手元に届けば、楽に備えが充実するな~」「誰か作ってくれないかな~」と考えていました。
ネットで探してみましたが、気に入った商品がなかったので、結局自分で作ることにしました。
何を参考にすべきか分からない SNSで呼びかけた
新たな防災アイテムを企画するにあたって、月並みにリサーチを行いましたが、ネットにも色んな情報が載りすぎていて、何を参考にすべきか分からないというのが、正直なところでした。
そこで、SNSを通して、リアルな声を集めることにしたのです。
最初の投稿で「防災屋さんとして、本当に必要とされる商品が作りたい」という気持ちを伝え、「災害時の悩みや不安を教えてください」とストレートに投げかけました。
すると「おいしい非常食が欲しい」「水は自分で買えるから、わざわざ入れなくて良い」「防災グッズを揃えても、どこに置いたか忘れてしまう」「防災グッズって、なんかダサい」という、メディアを通していないリアルな声がたくさん集まりました。その声を活かして、2020年3月11日に発売したのが「断水時に便利なアイテムが入っている。でも、ちょっと足りない防災ボックス(2020.3.11)」です。
ナチュラルボックスに「ENJOYBOUSAI」のロゴが入った本棚収納もできるオシャレなボックスの中に、すべて味見済みのおいしい非常食と断水時に便利な歯磨きシートやトイレ、泡なしシャンプーを詰めた商品。
「このボックスをきっかけに備えを楽しんで欲しい」との思いから、防災士が監修しているにも関わらず、一番大事な水を抜いている上に、最初から足りないと言い切っています。
「当社の商品1つあれば、大丈夫!」なんて口が裂けても言っていないどころか、足りないというワードを商品名の中に入れているほど……普通に考えたらちょっとおかしな会社ですよね。
最初のBOXを発売してからは、どんどんSNSで質問を投げかけていきました。そこから半年~1年に1度のペースで、非常食の補充サービス、アレルギー対応版、甘いものや野菜だけを集めた防災ボックスを発売しながら、県内外の大学や高校・町内会などで防災講座を年間50件ほど行っていました。
ありがたいことに、その一連の取り組みが令和3年(2021年)4年の内閣官房国土強靭化の取り組み事例集に2年連続で選出されています。
ギフトにもなる防災グッズ 「楽しくないと続かない」をテーマに
現在も、自分の防災知識にはまったく自信はありません。
ちなみに大学入学時に上京する私に、両親がくれたのは「非常用持ち出し袋」でしたが、あまりのダサさに彼氏や友人が自宅に来るたびに、押し入れの奥にしまい込み、結局中身を開けたのは卒業の引っ越しの時というエピソードもあるほどです。
防災について興味を抱いたのは、「東日本大震災を経験したこと」「母親になったこと」の2つのきっかけであることは間違いありません。
でも、私は自分自身を、被災したなんておこがましくて言えません。
楽しい・おいしい・オシャレな「ENJOYBOUSAI」をテーマにしていますが、最初は「防災を楽しむなんて不謹慎だ」「茶髪のギャルに防災って言われても」など、さまざまな意見が寄せられました。
でも、自分の中にある「防災は継続が大切。楽しくないと続かない」という思いは、一度も曲げたことはありません。
5年保存の非常食を販売していますが、食べ慣れることの大切さを訴え、購入者にはすぐに食べてとお伝えしていますし、まさかの非常食をギフトにして、誕生日やバレンタイン、お歳暮など全国にお届けしています。
「非常食の常識を超えていく」というのが、私のゆるぎないテーマです。
私の事業で社会を変えようなんて、思ってはいません。でも、目の前の一人ひとりの防災意識が少しでもアップすれば、きっと周りにも素敵な変化が起きるはずです。
その小さな変化が、もしもの時でも笑顔につながっていくはずだと信じて、これからも動いていきます。