「大谷かぶと」の丸武産業 派閥なくし張り合い生んだ職場と観光施設の集約
米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手がホームランセレブレーションでかぶり、話題となった兜があります。製造したのは丸武産業株式会社(鹿児島県薩摩川内市)。全国シェア8割を誇る甲冑メーカーです。3代目社長の田ノ上智隆さん(43)は本社・工場、経営する観光施設を集約することで職人の仕事への張り合いが生まれ、雰囲気が改善しました。大谷効果を追い風に甲冑という日本の伝統文化を世界に発信し続けようと意気込んでいます。
米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平選手がホームランセレブレーションでかぶり、話題となった兜があります。製造したのは丸武産業株式会社(鹿児島県薩摩川内市)。全国シェア8割を誇る甲冑メーカーです。3代目社長の田ノ上智隆さん(43)は本社・工場、経営する観光施設を集約することで職人の仕事への張り合いが生まれ、雰囲気が改善しました。大谷効果を追い風に甲冑という日本の伝統文化を世界に発信し続けようと意気込んでいます。
目次
鹿児島県北西部、薩摩川内市(さつませんだいし)にある丸武産業は、1958年創業の甲冑メーカーです。「丸竹産業」の社名で、初代の田ノ上忍(たのうえ・しのぶ)さんが竹製釣竿の製造で起業しました(2006年に「丸武産業」に社名変更)。忍さんの元には全国から釣竿の注文が絶えませんでした。
ところが、1970年代にグラスファイバーが普及し始めると、竹製釣竿の需要は激減します。そこで忍さんは、趣味で集めて手入れをしていた甲冑が高値で売れた経験から、1973年に甲冑製造へと業態転換しました。
当時、甲冑を作る会社は珍しかったため、依頼が殺到し、映画やドラマ、全国各地の時代祭りで丸武産業の商品が使われるように。現在、甲冑の全国シェアは8割に上ります。
1990年、忍さんは「甲冑もいつかは売れなくなる」と考え、観光施設「川内戦国村」をオープンします。城を模した建物に忍さんが趣味で集めた甲冑や、幕末や明治維新のころの骨董が飾られ、来場者が甲冑を着て記念撮影もできるようにしました。
忍さんの引退後は、長男の賢一(けんいち)さん(67)が2代目に就任しました。忍さんデザインのオリジナル甲冑がメインだった商品ラインナップに、戦国武将の甲冑のレプリカを加え、人気商品へと育て上げました。
3代目の智隆(ともたか)さんは2代目で現会長、賢一さんの長男です。
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「幼いころは祖父の家で見る鎧や兜が怖かったですね。でも小学生になると、祖父からお小遣いをもらって武者姿で戦国村の中を歩き回り、お客さんといっしょに記念撮影をする『アルバイト』をしていました」
父や祖父から家業を継いでほしいと言われたことはなく、父も「好きなようにしなさい」と言ってくれていました。けれども智隆さんは、高校生ぐらいになると自分が継ぐのだろうと漠然と考えるようになります。
高校卒業後は、当時、丸武産業の売上の3分の1を占めていた得意先の「松竹衣裳」に入社しました。映画やドラマの衣装製作を手がける会社で、智隆さんは扇子など日本舞踊の小道具を製作する仕事に就きます。5年ほど勤めた後は、クラシックカーやクラシックバイクのレストアをする東京の会社で働きました。
智隆さんが丸武産業に入社したのは2006年、27歳のときです。「お父さんは本当は帰ってきてほしいと思っているみたいだよ」と、知り合いから聞いたのがきっかけでした。
1年ほど工房で甲冑づくりを担当した後、智隆さんは上京します。戦国武将、直江兼続が主人公となった2009年のNHK大河ドラマ「天地人」が火付け役となり、結婚式で甲冑を着たいという要望が増えたためです。
智隆さんが中心となり、東京を拠点に甲冑のレンタルや着付けを行う「甲冑ウエディング」を展開しました。都内に2つの支店も出し、忙しい日々を過ごしました。
2015年、鹿児島の本社に戻った智隆さんは驚きます。工場内に派閥ができて、職人たちの間で仲違いが発生していたのです。派閥は戦国村にもありました。智隆さんは当時をこう振り返ります。
「おはよう、と声をかけても、ムスッとして返事もしない。僕でさえあまり会社に行きたくないと思うほど、当時は社内の雰囲気がよくありませんでした。同じ会社で同じものづくりをしているのにどうして仲良くできないのか、何とかして職人さんの笑顔のある会社にしたい、と考えるようになりました」
建物の老朽化も気になりました。本社・工場は完成してから60年近く、戦国村も30年近くが経過していたからです。本社・工場は薩摩川内市の住宅街で十分な広さが取れず、観光客が大勢来ると見学もままなりません。雨漏りもありました。
気になることは他にもありました。
「本社・工場と戦国村は離れた場所にあり、車で15分ほどかかります。この2拠点の間を1日に何度も往復して、甲冑や部品などを運んでいました。大した距離ではありませんが、積み重なれば、その分の人件費やガソリン代は無視できない金額になります。往復の運転中に居眠りする社員もいて、この状態を早く解消しなければと思いました」
そこで智隆さんが考えたのが、本社・工場と戦国村の集約です。一つ屋根の下で仕事をするようになれば自ずと会話が生まれ、会社の雰囲気もよくなるだろうと考えたのです。
また、2拠点を集約すれば、往復にかかる人件費やガソリン代が不要になり、交通事故のリスクも減らすことができます。
同時に施設をリニューアルすれば、老朽化して客足の減っていた戦国村を立て直すこともできるのではないかと考えました。
幸い、戦国村の敷地は約4000坪もあるため、本社・工場を移設しても各部署は十分な広さを確保できます。智隆さんは、拠点の集約と施設のリニューアルを決断しました。
戦国村を2017年1月上旬に一時閉館し、1年以上かけて改修工事を進めました。新工場の建設では智隆さんが職人の意見を聞いて、できる限り取り入れていきました。
「職人さんにとって、工場は日中の大半を過ごす場所です。気持ちよく作業ができるような環境をつくれば、モチベーションも上がるだろうと考えたんです。職人さんにどの工程でどんな作業をするかを逐一ジェスチャーで示してもらい、設計図に落とし込んでいきました」
2018年10月、ついに川内戦国村が本社と工場、観光施設を備えた「甲冑工房 丸武」として生まれ変わりました。入場料は無料です。鹿児島の人でさえ甲冑を作る会社が薩摩川内市にあると知らないのを、智隆さんは常々残念に思っていたからです。
「とにかく知ってもらわなければ始まらない。興味のある人にもない人にも気軽に入ってほしい」と考えてのことでした。工場は撮影不可ですが、展示館の甲冑の撮影は自由。撮った写真をSNSにアップするのも自由です。
借入は増えましたが、智隆さんは拠点の集約と施設のリニューアルを決断してよかったと考えています。
「社員間のコミュニケーションが増えました。仕事のしやすい環境が整ったことで職人さんのモチベーションが上がり、会社の雰囲気も少しずつ良くなっていきました。本社・工場が観光施設と一体になったことで、お客さんの反応を直接感じられるようにもなり、仕事に張り合いが出たのもよかったと思います」
本社・工場を移転したことで、智隆さんの方針に賛同できない社員が会社を去り、同じ方向を向いてくれる社員だけが残ることになりました。
「私は、社員は家族だと思っています。困っていたら話を聞く。社員だけで解決できない問題があるなら、方向性を示す。上に立つ人間は社員に親身になって接することが大事だと思っています。
しかし、どうしても変われない人もいます。従業員数40人ほどの小さな会社ですので、同じ方向を向けない人がいると周りにネガティブな影響を与えてしまう。そうした人が、本社・工場の移転をきっかけに会社を去ったのは残念ですが、同じ方向性を共有できる人が残ってくれたのはありがたかったですね」
経費削減もできました。電力会社を旧電力から新電力に変えて、消費電力量をコントロールするシステムを新たに導入。社内の電球はすべてLEDに替えました。その結果、電気代を50%以上削減することができました。浮いた分の経費を、職人の作業環境の改善にあてることもできるようになりました。
「甲冑工房 丸武」のリニューアルオープンによって、順調に走り出したかのように思われた丸武産業ですが、1年半も経たないうちにコロナ禍に見舞われました。甲冑を使う時代祭りのようなイベントが軒並みなくなって甲冑の受注は激減。
一時は「甲冑工房 丸武」の休業も余儀なくされました。ただし、少ない仕事をシェアするなどの工夫をして、社員に仕事を休んでもらうことはありませんでした。
智隆さんはその間、ECサイトの運営に力を入れました。次々に商品をサイトに追加。月600万円売り上げたこともありました。
感染状況が下火になると、地域の活性化に少しでも貢献できればと、コロナ禍前から定期的に開催していたマルシェを「甲冑工房 丸武」の敷地内で開催しました。地元の飲食店や雑貨店に声をかけて、屋外で感染対策もしながら営業をしてもらいました。知り合いのつてをたどってアーティストの無料ライブも開催し、地元住民が大勢訪れました。
「イライラしていると、周りの人も機嫌が悪くなります。笑う門には福来るという言葉のように、厳しい状況でも何とか工夫をして笑顔でいることが大事だと思っています。おかげさまで現在は甲冑や祭用の小道具の需要が戻ってきています」
智隆さんは東京の支店から鹿児島の本社に戻った直後、すべての商品価格の見直しもしました。作れば作るほど赤字になるような低価格で売っていた甲冑もあったのです。どの甲冑にどれだけ時間がかかるか、職人にヒアリングをして、適正価格に変えました。
しかし、物価高やロシアのウクライナ侵攻の影響もあり、現在、甲冑の材料代は全体で20%ほど上がっているといいます。このままでは早晩、原価割れになってしまうかもしれないと、智隆さんは危機感を抱いています。
そこで智隆さんは、あらためて価格を見直すと同時に、甲冑製造の生産性を上げることを考えています。
「手が空いたときに他の人の仕事を手伝うなどすれば、少しでも生産性が上がるかもしれません。ただ、鎧の種類は非常に多く、特殊な技術が必要で、簡単に他の人の工程を手伝えない現実もあります。
それに丁寧なものづくりは時間のかかるものです。無理なスケジュールで仕事をさせると職人さんのモチベーション低下につながりかねません。品質は保ちながらも生産性を上げる。それが、これからの課題だと思っています」
2023年4月、米大リーグエンゼルスが丸武産業の兜をホームランセレブレーションに使用したのをきっかけに、丸武産業には取材が殺到しました。大谷翔平選手が兜を初めてかぶった日は夜中まで取材の対応に追われました。
報道によって丸武産業の知名度は上がり、事業にも好影響を及ぼしています。「甲冑工房 丸武」の2023年のゴールデンウィーク期間中の入場者数は例年の4〜5倍、売店の週末の売上も大幅に増加。
ECサイトの4月アクセス数は数十倍、売上は5倍超に跳ね上がりました。その後、数字は落ち着いてきましたが、それでも前年同月の2倍ほどあります。問い合わせ数も以前と比べると大幅に増えています。
この好機を逃すまいと、丸武産業ではエンゼルスが購入した兜と揃いの甲冑一式や、甲冑の柄をプリントしたTシャツなど、関連商品の販売を始める予定です。
大谷翔平選手のおかげで、思いがけず日本の甲冑文化を世界に発信することができました。智隆さんはこの「大谷効果」を契機に、一層、情報発信に力を入れていきたいと考えています。
「今はどの社員も目の前の仕事をこなすことで精一杯ですが、せっかくの機会ですから、もっとSNSに力を入れていきたいですね。大谷さん効果を一時的なもので終わらせず、甲冑という日本の伝統文化があることを世界に発信し続けていきたい。『甲冑工房 丸武』を通じて、職人のものづくりへのこだわりも伝えて、若い人たちに鹿児島でものづくりができることを知ってもらえたらと思っています」
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