目次

  1. 釣竿製造が下火になり甲冑製造へ転換
  2. 鎧兜が怖かった3代目、映画・ドラマの衣装製作会社に就職
  3. 東京を拠点に「甲冑ウエディング」を展開
  4. 本社戻って驚いた派閥 「笑顔のある会社にしたい」
  5. 本社・工場と観光施設を集約
  6. 拠点の集約がもたらしたさまざまなメリット
  7. 受注激減もECサイトは好調 下火になるとマルシェ再開
  8. 作れば作るほど赤字の甲冑も適正価格に
  9. 「大谷効果」契機に、情報発信に力を入れたい

 鹿児島県北西部、薩摩川内市(さつませんだいし)にある丸武産業は、1958年創業の甲冑メーカーです。「丸竹産業」の社名で、初代の田ノ上忍(たのうえ・しのぶ)さんが竹製釣竿の製造で起業しました(2006年に「丸武産業」に社名変更)。忍さんの元には全国から釣竿の注文が絶えませんでした。

1963年の「丸竹産業」の様子。当時はまだ釣竿製造をしていた(丸武産業提供)

 ところが、1970年代にグラスファイバーが普及し始めると、竹製釣竿の需要は激減します。そこで忍さんは、趣味で集めて手入れをしていた甲冑が高値で売れた経験から、1973年に甲冑製造へと業態転換しました。

 当時、甲冑を作る会社は珍しかったため、依頼が殺到し、映画やドラマ、全国各地の時代祭りで丸武産業の商品が使われるように。現在、甲冑の全国シェアは8割に上ります。

 1990年、忍さんは「甲冑もいつかは売れなくなる」と考え、観光施設「川内戦国村」をオープンします。城を模した建物に忍さんが趣味で集めた甲冑や、幕末や明治維新のころの骨董が飾られ、来場者が甲冑を着て記念撮影もできるようにしました。

 忍さんの引退後は、長男の賢一(けんいち)さん(67)が2代目に就任しました。忍さんデザインのオリジナル甲冑がメインだった商品ラインナップに、戦国武将の甲冑のレプリカを加え、人気商品へと育て上げました。

丸武産業の展示館に飾られている戦国武将の甲冑のレプリカ。左は武田信玄、右は真田昌幸

 3代目の智隆(ともたか)さんは2代目で現会長、賢一さんの長男です。

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