目次

  1. 関東大震災とは
    1. 関東大震災と土砂災害
    2. 関東大震災と津波
  2. 関東大震災100年の企業認知度は42.5% 帝国データバンク調べ
  3. 企業ができるBCPの事例を紹介
    1. 富士通アイソテックの事例
    2. カネキ吉田商店の事例
    3. 専門家がオススメする「身の丈BCP」

 内閣府の「関東大震災100年 特設ページ」によると、大正12年(1923年)9月1日11時58分に、相模湾北西部を震源とするマグニチュード7.9と推定される大正関東地震が発生しました。この地震によって生じた災害を「関東大震災」と呼んでいます。

 埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県で震度6を観測し、北海道道南から中国・四国地方にかけての広い範囲で震度5~1を観測し、10万棟を超える家屋が倒壊しました。震度について気象庁の特設サイトは「当時の震度階級は震度0から震度6までの7階級でしたが、家屋の倒壊状況などから相模湾沿岸地域や房総半島南端では、現在の震度7相当の揺れであったと推定されています」と注釈を加えています。

 また、発生が昼食の時間と重なったことから、多くの火災が発生し、被害が拡大しました。全半潰・消失・流出・埋没の被害を受けた住家は総計37万棟にのぼり、死者・行方不明者は約10万5000人に上ったといいます。内閣府の特設サイトでは、被害について次のようにまとめています。

関東大震災 阪神・淡路大震災 東日本大震災
発生日時 1923年9月1日11時58分 1995年1月17日5時46分 2011年3月11日14時46分
地震の規模 M7.9 M7.3 Mw9.0
直接死・行方不明 約10.5万人(うち焼死が約9割) 約5500人(うち窒息・圧死が約7割) 約1.8万人(うち溺死が約9割)
災害関連死 約900人 約3800人
全壊・全焼住家 約29万棟 約11万棟 約12万棟
経済被害 約55億円 約9.6兆円 約16.9兆円
当時のGDP 約149億円 約522兆円 約497兆円
GDP比 約37% 約2% 約3%
当時の国家予算 約14億円 約73兆円 約92兆円

 気象庁によると、関東南部の山地や丘陵地、台地の縁辺部で地震による強い揺れによって地すべり、土石流などによる土砂災害が多数発生したといいます。神奈川県小田原市内の根府川駅(ねぶかわえき)では、列車が駅に入る際に土石流が発生し、列車が海へ転落してしまうなど大きな被害(根府川駅列車転落事故)が発生しました。

 土砂災害が多発した理由について、内閣府の「災害教訓の継承に関する専門調査会」の報告書は、大正関東地震だけでなくその前日にかなりの降雨があったことも大きな理由となったと記しています。

 気象庁によると、大正関東地震は、震源域が相模湾内だったため、三浦半島から伊豆半島東岸に早いところでは地震後5分程度で高さ数m以上の津波をもたらしました。津波の高さは静岡県の熱海で12m、房総半島の相浜で9.3mとなったといいます。

 2023年9月1日は、関東大震災から100年となります。しかし、帝国データバンクが2023年5月に全国の1.1万社から得られたアンケートによると、2023年が「関東大震災から100年」だと知っている企業は42.5%でした。

 「100年であることを知っている」かつ震災への備えに「取り組んでいる」と答えた企業は全体の16.5%にとどまりました。詳しく分析すると、従業員数が少ないほど、「100年であることを知っている」かつ震災への備えに「取り組んでいる」割合が低くなる傾向がみられたといいます。

「100年であることを知っている」かつ震災への備えに「取り組んでいる」企業の割合(従業員数別)帝国データバンクのプレスリリースから https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000725.000043465.html

 日本では近年、大規模災害に見舞われる頻度が増えています。首都直下地震や南海トラフ地震などへ対策の重要性が高まるなか、BCP(事業継続計画)など平常時からの備えが、災害時の事業継続だけでなく、企業価値向上に役立ちます。

 これまでの取材のなかから参考になる取り組み事例を紹介します。

 たとえば、富士通アイソテック(福島県伊達市)は2011年3月11日、東日本大震災に見舞われ、従業員は全員無事であったものの、デスクトップパソコンの生産ラインが全壊したといいます。

 アイソテックの生産ライン全壊の場合、生産ラインをノートパソコンの生産拠点である島根富士通(島根県斐川町)に移設する準備をあらかじめ行っていました。そこで、富士通は速やかに法人向けパソコンの生産ラインを移設することで、年間の最大の需要期をカバーしました。

 宮城県の南三陸町でめかぶなどの水産加工業を営むカネキ吉田商店は、東日本大震災の津波で、沿岸部の工場が壊滅的な被害を受けました。しかし、早期再開を目指したことで、販路減少などの影響を避けられたといいます。

カネキ吉田商店の本社工場(宮城県南三陸町)

 津波被害の直後で原料のめかぶが不足する中、2代目社長は、海外から2千トン規模の原料買い付けを手配。多様な買い付けルートを維持していたことが功を奏し、震災から約1カ月での早期再開にこぎつけました。

 カネキ吉田商店は、次の災害に備えて、会社のBCP(事業継続計画)を見直しました。従業員の安否確認のための連絡網を整えたほか、災害後に社員がどう行動して身の安全を守るか、マニュアルを策定しました。

 ただし、BCPは中小企業で策定しているところはまだ少なく、帝国データバンクの2022年の調査でも、策定率は2割ほどです。資金や人手に限りがある中小企業では、どんなところから手を付ければいいのでしょうか。

京盛眞信(きょうもり・まさのぶ)さん。総合電機メーカーに勤めながら、大手金融機関向けのITリスクコンサルティングを手がけ、中小企業診断士に。専門は事業継続マネジメント、リスクマネジメント。現在は事業継続研究所の代表として、BCPの策定支援などに関わる。共著書に「中小企業経営者のためのQ&AでわかるBCP策定の実務」(税務経理協会)など。

 企業のBCP策定を支援する事業継続研究所代表で、中小企業診断士の京盛眞信さんは、壮大な計画をつくるのではなく、自分たちの事業の継続に欠かせない中核事業をどう守り、続けるかというできる範囲から始める「身の丈BCP」という考え方をすすめています。