「小売りをなめていた」3代目の販促戦略 日東タオルが広める自社製品
東京・日本橋の日東タオルは、年間100万本を扱う老舗タオル問屋です。34歳で転身した3代目の鳥山貴弘さん(43)は、ネットショッピング全盛の影響で、五つあった店を一つに集約。有名メーカー・ホットマンの技術協力でタオルブランドを立ち上げて小売業にも参入。当初は販促戦略が分からず、多くの在庫を抱えましたが、カフェを併設した販売拠点を設け、地域イベントを開くなどして新ブランドを成長させ、祖業の卸売りにも好影響をもたらしました。
東京・日本橋の日東タオルは、年間100万本を扱う老舗タオル問屋です。34歳で転身した3代目の鳥山貴弘さん(43)は、ネットショッピング全盛の影響で、五つあった店を一つに集約。有名メーカー・ホットマンの技術協力でタオルブランドを立ち上げて小売業にも参入。当初は販促戦略が分からず、多くの在庫を抱えましたが、カフェを併設した販売拠点を設け、地域イベントを開くなどして新ブランドを成長させ、祖業の卸売りにも好影響をもたらしました。
日東タオルは1947年に鳥山さんの祖父が創業しました。愛媛県の今治や大阪府の泉州などタオル関連だけで100社以上の仕入れ先を抱え、取引先は3千社に広がっています。約10人の「タオルソムリエ」(今治タオル工業組合認定)を抱え、仕入れ先工場の得意分野に応じてオリジナルタオルの企画提案を行っています。
同社は、「お年賀用」など粗品としてのタオルを扱うことが多いといいます。例えば、同じ白色でも、厚みや色合いなどが微妙に異なる複数の商品を扱っているため、顧客の様々な要望に対応できるのが強みです。
父が2代目として日東タオルで働いていました。1階が店舗、2階が自宅という環境で育った鳥山さんは、早くから3代目になることを意識します。
小学1年生のとき原因不明の円形脱毛症を発症し、見た目に自信を持てずにいました。高校に入っても心を許せる友達ができなかったといいます。
そのころ、父から「家業を継ぐにしても、まず10年ほど一般企業を経験しなさい」と言われました。
鳥山さんはあこがれだった教員を目指して教育学部に進みますが、最終的には一般企業就職を目指し、2002年、仙台市の医薬品卸会社に入社。医院や薬局向けの経営コンサルティング会社への出向も経験するなど、提案書を書いたり経営や簿記などを勉強したりしながら、10年間働きました。
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家業入りも考え始めましたが、都立高校の英語教師の募集を知り、12年5月からは教員を務めます。あこがれの仕事で働く中、鳥山さんは父と初めて2人だけで箱根に旅行し、家業を継ぐ意思があるか、継ぐならどのように進めるかを話しました。
鳥山さんは14年4月、専務として家業に入ります。34歳のときでした。
タオルの専門知識はほとんどなかった鳥山さんは、東京タオル卸商業組合理事長も務め、国内外のタオルを知り尽くす森和彦さんの私塾「タオル塾」に入ります。3~4年間、毎月数時間ずつタオルについて学び続け、国内外のタオル工場も見学しました。
そのころ、ベテランの営業担当者が退職し、営業未経験の若手が後任に就きます。鳥山さんが営業の基本を伝え、逆に若手社員からタオルの知識を教えてもらいました。
家業で働く中で、鳥山さんは売り上げと売り場面積が比例していないことに気づきます。当時は徒歩5分圏内に五つの店舗が固まっており、いずれも企業へのオリジナルタオルの企画提案が柱で、店舗間の違いもありませんでした。
オンラインショッピングの普及で、店舗の売り上げは全盛期の3分の1にまで落ち込み、80人いた従業員数も鳥山さんが入社したころは25人に減少します。しかし、店があれば来店客がいなくても人を置かなければならず、非効率と感じていました。
鳥山さんは家業に入ってすぐ、急逝した叔父が経営する関連会社を畳み、地域イベント事業を受け継いだ経験がありました。
その経験を生かし、日東タオルでも15年から店を集約し始めます。最初は1年かけて一つ畳み、段階的にスピードを上げ、19年までに1店舗に絞りました。
現状維持を望む声もありましたが、叔父が急逝した際の鳥山さんの対応を見て、経営改善の本気度が伝わり、大きな反発を生まなかったといいます。
鳥山さんはタオル塾の縁で、有名タオルブランド「ホットマン」社長の坂本将之さんとも知り合いました。
技術者から30代後半で社長に抜擢された坂本さんの知識と経験、そして「タオル愛」に圧倒されます。ホットマンは元々着物生地の織物を扱っており、高い縫製力を持っています。鳥山さんは端を折り返した部分の縫い目が直線で、ふちのギリギリを縫っているタオルに、ホットマンの品質の高さを感じました。
鳥山さんは坂本さんに「一緒にタオルを作りたい」と頼み込みました。話し合いを重ねた結果、鳥山さんが16年9月に「モラルテックス」という関連会社を立ち上げて代表を務め、ホットマンから技術協力を受けました。経理とSEが専門だった鳥山さんの弟を説得し、創業に携わってもらいました。
モラルテックスは卸売りではなく、タオルの商品企画と小売りへのチャレンジです。日東タオル社長の父から反対こそされませんでしたが、「日東タオルの足を引っ張る事態になった場合は事業をやめろ」と、あらかじめモラルテックスの撤収計画を作るように勧められました。
「世界一のタオル」を目指し、鳥山さんは米カリフォルニア州の綿花畑にも足を運びました。そうして生まれたモラルテックスのオリジナル商品「オッキデ」シリーズは、使い勝手の良さが特徴です。
世界三大コットンの一つである良質な「ピマ綿」を用いており、通常の綿より繊維が長いことから肌触りが滑らかで、吸水性が高くなります。この綿本来の柔らかさを生かし、ボリューム感や吸水性、軽さが長続きするように設計。ホットマンと試作を繰り返して、1年あまりかけて開発しました。
良質のタオルは生まれましたが、鳥山さんはこれまでエンドユーザー相手の商売をしておらず「小売りをなめていた」と振り返ります。「エンドユーザーにどのように訴求したらいいか、プロモーションの方法が全くわかりませんでした」
そのため、モラルテックスは相当な在庫を積み上げてしまいました。
贈答品や業務用など手ごろな価格帯を扱う日東タオルと異なり、モラルテックスの場合、フェースタオルは1500円~3千円ほど、バスタオルは4千円~7千円ほどと単価も高く、「おもてなし」のシーンなどで使ってもらうのを想定しています。
鳥山さんは焦らず、少しずつファンを増やすことを目指しました。一人ひとりに商品を説明し、納得した上で購入してもらえる接客を心がけるようにしたのです。
17年12月、日東タオルの店舗をリノベーションして、モラルテックスの商品を置いたセレクトショップとカフェをオープン。「モラルテックスラボ」を名づけたスペースでタオルを手に取れるほか、洗面台で洗った手を拭いて使い心地を試すこともできます。
子どものころコミュニケーションが苦手だった鳥山さんは、モラルテックスラボを地域のよりどころと位置づけます。かつて栄えていた問屋街を盛り上げようと、自ら音頭を取り、落語や演奏会、子どもたちの夏祭りやワークショップなどを開きました。「地域イベントや経営者が集う交流会を開き、情報交換の場にしたかった」
町内会などの地域活動に参加する機会が急増し、若手経営者らとの接点が増え、新商品誕生のきっかけに結びついていきました。
徐々に、モラルテックスが家業に好影響を与えるようになりました。来店客のニーズが卸売り向きだった場合は日東タオルにつなぐなど、家業の外商部のような役割も担っているのに加え、新規事業に挑む姿勢が家業全体のイメージアップにもなりました。
モラルテックスは現在、ホテルやファクトリーブランドなどを取引先に、約100種類のタオルを取り扱っています。
モラルテックスは20年に開催予定だった東京五輪・パラリンピックで来日する外国人観光客をターゲットに商品を検討していました。
目玉に考えていたのが「米つなぎ紋様タオル」です。日本橋に直営専門店を構える「江戸切子の店 華硝」の3代目の協力を得て、タオルの端の部分に江戸切子の紋様をデザインした商品でした。
しかし、コロナ禍で外国人観光客が激減し「米つなぎ紋様タオル」の販売が難しくなり、営業自粛などで販売先も減りました。
そこで、クラウドファンディング(CF)で「米つなぎ紋様タオル」を販売すると、21年3月からの1カ月間で123人の支援を受け、目標金額50万円の188%となる約95万円を集めました。また、CFをきっかけにモラルテックスを知った客から新商品の相談もあったといいます。
こうした手腕を見て、2代目の父は家族会議で日東タオルを22年11月、鳥山さんに受け継ぐ決断をしました。
代表となった鳥山さんは、店舗の閉店時間を午後5時から午後3時へと繰り上げます。
初代や2代目のころは「営業すれば売れる」時代だったため、営業時間の短縮など考えもしませんでした。しかし、コロナ禍の営業自粛で2週間店を休業した際の売り上げが、休業していなかった前年同月の売り上げと比べて、危惧していたほどのマイナスにはならなかったのです。
そして午後3時からの2時間を店の広報業務に充てるなど、時間を効率的に使いました。
最近は円安や物価高の影響が大きいといいます。タオル生産は綿や糸などの輸入素材に頼らざるを得ません。染色などの工程では電気やガスを使用するため、タオルの原価も上がっています。
日東タオルの従業員数は現在20人。年末年始の贈答用商品の需要が高まる11月と12月が繁忙期ですが、原価上昇の中で人手を増やすことは難しく、8月~10月に前倒しで注文してもらえるようキャンペーンなどを打ち、繁忙期を分散させています。
日東タオルは従業員20人のうち8人が親族です。40代~70代が多く30代以下は少数となっています。
鳥山さんは今後の採用について「タオル問屋のビジネスだけでの人材集めは難しい。タオルを中心とした新事業にも取り組み、できたご縁を大事にしながら採用にも力を入れたい」と語ります。
鳥山さんは従業員を大切にしながら、「毎日会社に来るのが楽しい」と思ってもらえる職場環境づくりを目指しています。
そのためには、まずは自分の家族を大切にすることだと考えています。鳥山家は仲が良く、初代の祖父が亡くなった今も祖父母の結婚記念日にみんなでケーキを食べるなど、家族と過ごす時間を尊重しています。
鳥山さんは「家業をブランディングするには、家族仲の良さが大切です。鳥山家ではタオルの話をしているときが一番盛り上がります。もうかるからではなく、家族が仲良くするためにタオル問屋を続けている面があります」と言います。
家族の仲の良さが社員同士の関係の良さにつながり、それが会社の雰囲気を明るくし、結果として顧客からの信頼を得られる。そんな好循環が生まれると信じています。
「家業を守ることは家族の笑顔を守ること」という鳥山さんは、事業承継についてこう語ります。
「社員と家族の笑顔を考えるのが代表取締役の役目です。それを楽しく感じるなら、ぜひ継いでほしいと思います」
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