しかし、当時はタクシー業界に逆風が吹いていました。デフレ、不景気、マイカーの普及、少子高齢化もあり乗客が減っていました。加えて、2002年の規制緩和で、新規参入事業者が増加。既存の事業者も含め、構造的な業績不良に陥ることになりました。
「リーマンショック前でしたが、法人利用の減少、乗務社員の高齢化による稼働率の低下はすでに始まっていました。しかし、手をこまぬいてはいられません。会社の中から業界全体を客観的に分析し、課題をあぶりだすところから始めようと思いました」
何もすることがないから、皆の仕事を観察。オフィスは紫煙がゆらめき、仕事は紙ベース。指示系統も明確になく、感覚で回っている。紛失や行き違いがあることが見て取れたそうです。
「私は当時、26歳でしたが、年下の社員が1人もおらず、周囲は年上ばかり。社員同士の会話もかみ合っておらず、“これはやばいぞ”と焦りました」
“タクシーはおじさんがやる仕事”を変える新卒採用
それを打破するために、明確な部門の線引きや指示系統の確立を計画します。加えて、自ら主導して新卒採用を開始しました。
根深く残る、“タクシーはおじさんがやる仕事”という社会の常識。今でこそ、業界最大手の日本交通や国際自動車などを中心に新卒採用は進んでいますが、当時は画期的でした。
「2021年3月末時点のデータ(全国ハイヤー・タクシー連合会調べ)では、924人の新卒者が就職しています。しかし、当時はどこもやっていませんでした。新卒採用に踏み切ったのは、成長する企業が新卒を採用し育てていたからです。これをやらなければ未来はない。ただ、応募者も少なくリクルーティングは大変でした。2003年の採用者は4人でしたが、徐々に人数を増やし、最近は年20人を超えています。最初に入った新卒社員は、現在は管理職として活躍中です」
若手が入ったことにより、時代に合わせたサービス、デジタル化など、スムーズに進みました。それと同時に、吉川さんが着手したのは、業務環境の改善です。
「当時、管理職の休みは月に5日あるかないか。週休二日を導入し、健全な勤務体制に整えました。それには乗務社員管理をデジタルベースで行い、分析することが不可避。そこで、ヘッドオフィスと営業所の事務方に、1人 1 台パソコンを導入することにしました」
「デジタル御用聞き」から始まった仕事
同族会社で、子どもが事業を引き継ぐ場合、役員はもちろん、現場の社員との軋轢が生まれることが多く、やはり、どうしても“社長のせがれが来た”という目は付きまとうものです。
しかし、当時の三和交通にはパソコンを使えるのが吉川さんしかいなかったために、自ら、設定や回線接続を行うことになりました。自然と、社員とのコミュニケーションが増えていったといいます。
「最初はデジタル御用聞きだったんですよ(笑)。パソコンにソフトを入れて、ケーブルにつなげて……フリーズした時の対応などを私一人でやっていましたから。みんなができないことを、ひとりだけできるのは強みだと思いました」
それでも、業績は芳しくない。赤字こそなっていないものの、営業収益が底を打つことが続いていたといいます。
「私たちの強みは、他社にできないことができること。そのために本腰を入れたのは、お客様に指名される高品質なサービスの導入です。三和交通は90年代から父が主導し乗務社員の接遇マニュアルを作成し、サービス品質向上に取り組んでいた実績もありました」
加えて覆面調査を実施し、そこから出てきた意見をフィードバック。営業所ごとに課題を明文化し、社内でサービス向上について話し合う場もつくりました。これにより、乗務社員のモチベーションも上がります。
現在も乗務員が2人1組のペアを作り、乗務社員役と乗客役に分かれて、ドアサービス、自己紹介など接客のロールプレイングを実施しています。「地域で一番やさしいタクシー」という理念も掲げました。
社長に就任 法人と自身の痛み重なる
「ただ、新しいことを始めるには、そう簡単にはいきません。やはり反発もありますし、業績の向上には時間がかかります。そうこうしているうちに、もともと芳しくなかった父の体調が悪化。2006年、29歳の私が代表に就任することになりました」
デジタル御用聞きから社長へ。経営の最高責任者になれば、さまざまなものが見えてきます。当然、将来の健全な経営を妨げる要素にも気付きます。社員と話し合いを重ねるも、意見が食い違い、会社を去ってもらわなければならない事態もありました。
「向かい合って、辞めていただきたいことを伝えるのは緊張しますし、辛かったです。眠れなくなってしまい、心療内科に行き睡眠導入剤を処方してもらいました。帰り道に“これを飲んでもいいのだろうか”と自問自答して、結局は飲まずに捨てました。このとき、三和交通という法人の痛みと、吉川永一という自然人の痛みが一体化したことを感じました。あのときから強くなったと思います」
「思い切りやってください」と応援する声も
経営改革はまさに大手術でした。反対する人もいましたが、応援する人もいました。当時のある役員から、「吉川さんの好きなようにやってください」という言葉も得ます。
「その方は、当時40代後半で、最年少役員でした。私に対して“思い切りやってください。もし、それでうまくいかなかったら、一緒に立て直しましょう。頑張りますから”って言ってくださったのです」
ほかにも「時代は変わっているんだから、俺たちも変わらないと」と言う役員もおり、会社は変わっていきます。
「そういう言葉に力をもらい、会社は確実に変わっていった。そして、いつの間にか眠れるようになっていました。ここで感じたのは、開き直ることも大切であり、これは能力だということ。私は批判や風評を恐れず、徹底的に開き直ることにしたのです」
その後、三和交通はゆるやかに業績を伸ばしていきます。吉川さんが一息ついたのは、入社から10年経った頃でした。
「やはり、体質改善には10年かかりました。そのときに、これからの時代に合った、私たちにしかできないサービスを立ち上げようと、プロジェクトを立ち上げました。会社として初めて、外部の人とチームを結成したのです」
安全性はそのまま エンタメに徹したサービス続々
そこで2013年12月に生まれたのは、急加速や急停車をせず、法定速度を遵守しゆっくり走る『TURTLE TAXI(タートルタクシー)』のサービス。安全に丁寧に運転してほしいという利用者のニーズがあることがわかり、その意思表示ができるボタンを、車内に設けたのです。
タクシーに乗る人は急いでいる、という常識を覆したタートルタクシーは、『2014年度グッドデザイン賞&グッドデザイン・ベスト100』を受賞。また、ゆっくり運転することで、環境負荷も減らすことができ、CO2の排出も削減できるといいます。
その後、特別研修を受けた乗務員が、保護者から依頼を受け子どもを目的地まで送り届ける『キッズタクシー』、陣痛がやってきた妊婦さんを送り届ける『陣痛119番』、ペットと同乗できる『ペットタクシー』などの新しいサービスも展開していきました。
「タクシー×エンタメツアーが誕生したのもこの頃です。60分間で横浜の主要な観光地を巡る『YOKOHAMA 1HOUR TOUR』、抽選倍率60倍も話題の『心霊スポット巡礼ツアー』、役になり切ったドライバーが送迎する『SP風タクシー』や『忍者でタクシー』、『ハロウィンタクシー』などがよくメディアで取り上げられています」
どのサービスも、安全性はそのままに、エンタメに徹しています。リリースしたツアーは50以上もあります。
いずれもメディアの取材が殺到し、宣伝効果は自社試算で約3億円以上。タクシー会社としての確かな実績を積み上げているのに、イメージを覆すおもしろさ。理念として掲げた「地域で一番やさしいタクシー」は、「地域で一番おもしろいタクシー」でもありました。
TikTokも若手のリクルーティングのためだった
「施策を打ち続けるのは、若い世代の人々に、タクシー業界に興味を持ってほしいから。そして、私たちの会社で働きたいと思っていただきたい。TikTokで“踊るおじさん”としてフォロワーが約23万人の溝口(取締役本部長・溝口孝英さん)も、もとはリクルーティングのために、SNSを始めたのです」
2022年の全国ハイヤー・タクシー連合会のデータを見ると、タクシー乗務員の平均年齢は59歳(男性)ですが、三和交通は43歳。若手の採用を増やしていることと、休みがとりやすく福利厚生を充実させ、働きやすい職場作りを徹底。これによる、離職率も下がっています。
2024年問題に向けて副業ドライバーも活用検討
吉川さんは未来も見据えています。
2023年11月、タクシー配車システムを開発する電脳交通とともに、タクシーの運転手に副業人材を活用する実証実験をスタート。2種免許保有者を対象に週1日、1日4時間からという短時間の条件で副業として働けるようにする仕組みを構築しました。
「2024年に乗務社員の時間外労働が年960時間までに制限されます。この実験で需要が多い時間帯に乗務社員を確保できるか検証します。私は常に“5年後にうちの会社はなくなっているのではないか”という危機感がある。そのため、次の一手を常に考えています」
そんな吉川さんは、最近トレンドに上るライドシェアをどう考えているのでしょうか。ライドシェアが注目されたきっかけは、岸田首相が2023年10月23日、臨時国会の所信表明演説で言及したことです。
この発言の背景には、大都市圏で急増する訪日外国人の対応、地方の交通インフラを維持するための人員不足などがあることがわかります。しかし、一般のドライバーが自家用車を使って有料で人を運ぶライドシェアは、“白タク行為”として原則的に禁止されてきました。
「まず、ライドシェアの定義をどうするのかを考えなければなりません。ドライバーを示しているのか、車両がどこに所属しているのかを示すのか、現時点では曖昧です。タクシーのドライバーは二種免許を保有しており、タクシーの車両は年に1回の車検がある。加えて、3か月に1回の定期点検を受けています」
タクシー・ハイヤーは、ドライバーもプロならば、車両もプロなのです。これについて、今後も議論されるのではないかと考えています。
無人運転の普及も想定した次の一手とは
「近い将来、人は車を運転しなくなると考えています。というのも、私は先日、米西部アリゾナ州まで、グーグル傘下の企業・ウェイモが運営する完全無人運転の配車サービスを試してきました」
完全無人運転を試すために、吉川さんは単身でアリゾナに行きました。現地ではスマートフォンに『ウェイモ・ワン』というアプリを入れるところから始め、客目線でサービスを体験。
「自分の居場所と目的地のホテルを地図上で指定すると、無人の車が来るんです。ドアが開き、車内に乗り込み、シートベルト後にタッチパネル画面の“乗車開始”をタップ。すると、ドアは自動的に閉まり、発進。客は後部座席に座るのですが、前方にドライバーはいない。車は時速70キロ程度で、目的地に進み、その運転は快適でした」
吉川さんは「これはやがて日本にも来る」と確信。人の移動はなくならないからこそ、技術革新と周辺環境は先読みしていく、と語ります。
「ドライバーはいらなくなっても、車両や地図データは必要ですし、それをメンテナンスしたり更新したりする人も必要です。ライドシェアと一言でいっても、その広がりは大きい。人の移動に私たちがどう対応していくか、それが私たちの課題です」
未来を見据える吉川さん。しかし、同時に現在の地域活性化や、県内の過疎地の交通インフラの改良にも正面から向き合っています。いま、三和交通が掲げているのは、「街をカラフルにするタクシー」です。
12月25日まで、横浜のイルミネーションをタクシーで楽しむサービス「イルミネーションタクシーツアー」が好評です。
真っ赤なサンタクロースの衣装に身を包んだ、乗務社員が案内するオプションは、我が子へのプレゼントをサンタさんから渡してもらうという親からの申し込みも多いといいます。
親子、夫婦、恋人、友達と一緒に、イルミネーションがきらめく夜景を、あたたかな車内から大切な人と巡っていく……色彩あふれる思い出を作るのは三和交通のタクシー。これからどんなカラーのサービスを打ち出すのか、今から楽しみです。