実は僕は池家の三世代ぶりの男の子で、母がひどい副作用に耐えつつ不妊治療を頑張って僕が生まれたと聞いています。母は僕を産んだ後も治療に励んでおり、副作用で倒れたのです。
とはいえ、父と祖父が定年までは外で働いていたのを見て育ち、自分も大学卒業と同時に継ぐのではなく、地域を知り、地域をよくするために働き、時期を見て引き継ごうという意識でした。
いえ、家族の誰からも一度も家を継げと言われたことはありません。継ぐのを嫌だと思ったこともないんです。
もともと五人百姓が飴を始めたきっかけは、四国という海に囲まれた土地の外へ金刀比羅宮のことを広めるためです。
「飴であれば、お団子やお餅よりも海の向こうへ届けることができる」
代理参拝の文化がある金刀比羅宮において、神事のお手伝いを続ける五人百姓が作る加美代飴(かみよあめ)は、神様の代わりの御利益飴として参拝に来たくても来れない方へ、ご利益を持って帰ることができます。
加美代飴は、一つひとつが手作り。それをもう700年以上も五つの家で情報を共有しながら続けているわけです。
それを元に今もこうしたらもっと美味しくなるんじゃないか、こうしたらもっと溶けにくく、より遠くへと持って帰っていただけるのではないかと洗練されてきた歴史を超えたこだわりを感じます。
こんな仕事を自分は受け継げるのかと思うとむしろうれしかったんです。
この町の神事を司り、飴を使って海の向こうまで金刀比羅宮を広めるということを何百年と続け、両親も祖父母も家族がずっとそれを守り続ける姿を誇りに思っていました。
コロナ機に町を鼓舞するリニューアルを決意
—継ぐ決断に至ったきっかけはどんなことだったんでしょう?
きっかけはコロナです。コロナ禍に入って、2020年5月に緊急事態宣言が出されました。金刀比羅宮も感染拡大を防ぐため、参拝禁止になったんです。
365段目まで琴平町の土地で、それより上が境内なんですけど、人が来ないから何もすることがないんです。必然的に全部の店のシャッターが降りました。長い石段をお客さんを担いで登ってくれる石段かごもこの時に廃業しています。
普段は綿密な近所のやりとりが消えていき、発見が遅れたせいでコロナ以外の病気で亡くなる方も出ました。葬式も家族葬で終わってしまいました。
町が、人と人のつながりが、静かに消滅しようとしているような感覚でした。これまで年間300万人が階段を通り、勝手に草が刈り取られていましたが、緊急事態宣言の間だけで膝丈の高さにまで伸びていました。参道の痛々しい姿を見て、もうこんな景色は見たくないなと思いました。
伝統あるお店も臨時休業・廃業を余儀なくされました。今動かなければ、元の姿を見ることは叶わないかもしれないと思いました。
この状況だからこそ、逆に今こそ店をリニューアルしようと考えました。今立ち上がることで、町の人を鼓舞できるかもしれないとの思いもありました。こんな時だからこそ、前進しようとする姿を見せたかったんです。
誰かに話さずにはいられないストーリー伝える店づくり
— 店のリニューアルではどんなことを意識しましたか?
僕らの売る飴は、卸売をせず、五人百姓の五つの家系からしか販売されていません。一度来てもらった方に、そして飴を受け取った方にもう一度ここに来ようと強く思ってもらうには、飴がいいだけではなく、ストーリーを伝える必要があります。
町の魅力と五人百姓と飴の物語を、1人でも多くの方に伝えることをリニューアルのテーマに店を設計しました。
限りある人生の時間を使って来訪、そして再来訪していただくために、旅行会社さんとも連携し自分から外に出ていき五人百姓の歴史と物語を伝える活動を始めました。
コンセプトは町の小さな観光大使を増やしていくこと。一度の話の中にいくつも「へぇ」「面白い」と思っていただける小話を散りばめて、他の方にも紹介したいと思っていただけるように話すように心がけています。
講演会に行くと何百人もの方から「琴平に行きます!」と感想をくれます。
僕の講演に来てくれた方が実際に琴平に来られると、すぐわかります。何人かの友人を引き連れていて、お店の前で熱弁を振るってくれるんです。
聞いてみるとその方自身も初めての琴平観光でした。人に伝えたくなる話を知って、実際に足を運び、初めて地で小さな観光大使になってやって来てくれる。こんなにうれしいことはありません。
—たとえば、どんなお話ですか?
たとえば、うちの店の暖簾にロゴが載っています。このロゴについてお客さんにこんな話をします。
黄色の扇形は何を表しているのか。これは、ここで販売しているご利益飴、名前は加美代飴と言います。
境内で唯一商売を許される五人百姓、神事をお手伝いをしてきた五つの家々が代々ひとつ一つ手作りをし、ご利益飴として販売させていただいています。
その加美代飴は扇形で、これを小槌で割ってご利益を分けることができる飴です。ロゴだと4つに割れていますが、香川県のある四国を表しています。
割れた扇形の下には「since1245」とあり、そんなに古くからやっているのかと驚かれますが、本当はもっと古いかもしれないんですよ。天皇陛下からのご通達の記録が残っているのがそこからというだけなのです。
金刀比羅宮には長い歴史があります。昔から、「人生に一度はこんぴら参り」という有名な言葉があり、江戸時代には庶民が江戸から歩いてお参りに来てくれていました。車や電車のない時代には、病気のお母さんや幼い子どもに代わって参拝し、ご利益飴と共に土産話を江戸に届けたんです。
店内では要予約になりますが飴作りを体験していただくこともできます。
みなさんぜひ大切な誰かの顔を浮かべながら、心を込めて飴を作っていただき、その方にお土産話とともにご利益をお裾分けしてあげてください。
—誰かに話したくなりますし、飴も欲しくなりますね。
そう思っていただけたらうれしい限りです。リニューアルした時、飴工場を店舗に移設しお客さんに飴を作る工程を見ていただけるようにしました。いい香りと共に美しい飴作りを見学いただけます。
またリニューアル時に“飴屋さんが本気で出すスイーツ“を販売するようになりました。『飴屋さんのおやつ』として飴を使ったカフェメニュー(ひやしあめソーダ、飴がけソフト)や、香川産のフルーツを使った棒付きのフルーツ飴等、飴を使ったこだわりのメニューを出しています。
金刀比羅宮とことを広めてきた五人百姓の飴で今度は香川県の良いものを知っていただこうという取り組みです。飴は季節ごとに今もどんどん新作が出ています。
「人生に一度は」から「人生に何度でも」へ
—お店のリニューアルの際に町全体を意識していたのでしょうか?
コロナ禍で、町を支えてきた宿泊・飲食・交通のほか多くの商店や事業者は未曾有の危機にさらされました。こんな中で自分の店だけ盛り上がっても意味がありません。町全体で盛り上がっていく。この町を面白い、また来たいと思ってもらうことが大事なんだとずっと思っています。
琴平は代々続くものを守ってきた人たちが多い町です。僕がコロナ禍で立ち上がったように、何かせねばと思った人たちはたくさんいました。彼らの根幹には次の世代のために戦おうという意思があります。
緊急事態宣言が出た頃、誰が合図するでもなく、この町をどう再生しようかと話し合う会がポツポツ始まり、広がっていきました。みんな、笑みを浮かべて、楽しみながら未来を話し合いました。
僕はこの町をいっそう好きになったし、明るい未来をどう作るかというポジティブな会話をしながら、あれこれアイデアを出し、形にするような働き方の方が性に合っていると思いました。
また、地域のテーマが決まりました。「人生に一度はこんぴらさん」と言うけれど、単発の消費で終わっちゃもったいない。だから、「人生に何度でも訪れたくなる町へ」が観光テーマになりました。やっぱりみんな思いは同じだったんですね。
こうして生まれた取り組みが「こんぴら十帖」です。2022年11月10日に始まりました。金刀比羅宮は毎月十日が縁日です。十が特別な意味を持ち、それが二つ重なる十月十日は神様が町に降りて来る例大祭の日なんです。
この例大祭がコロナ禍で二度も行われずにいました。二度目の中止があって、来年は負けずにやるぞという意志を込めて翌月から始まったんです。
—取り組みの内容はどんなものなんですか?
十日が特別なことを地元の人はみんな知っていますが、観光客の方は十日かどうかに関係なく来ているわけですよね。これってもったいないと思って、町のみんな、つまり山上山下で一体となって十日の金刀比羅宮参りを知ってもらうことと平日の集客を上げることをどうしたらいいかと考えたんです。
結果、いろんな店が十日にしかないメニューを出すことにしました。飲食店はもちろん、着物の着付け屋さんは十日だけの値付けをし、美容室は十日しかないパックをしたりする。しかも、毎月十日にやることが変わるんですよ。
この取り組みで正月にしか来なかった地元の方も毎月、琴平に来るようになったりして、それがとても嬉しいですね。十日に足をお運びいただければ、「こんぴら十帖うどん」「こんぴら十帖饅頭」「こんぴら十帖餅」「こんぴら十帖珈竰」「こんぴら十帖パフェ」など、季節替わりの限定メニューを楽しめます。
町ぐるみで、町の歴史と共にみなさんをお迎えし、誰かに語らずにはいられない土産話を最高の土産物と共にこれからも届けて行きたいと思います。
コロナ前から倍増した売り上げ
—店舗のリニューアル、思わず訪問したくなる講演会、街をあげてのイベントなどの結果、売り上げはどうなりましたか?
リニューアルし、1年目からコロナ前より売り上げが上がり、2年目もさらに上がりました。引き継ぐ店舗の頃と比べて変わったのは、「池商店に行って加美代飴を買うんだ」と目的を持ってくる方が増えたことです。
代表になる前から、ちゃんと説明したら絶対面白いと思える歴史があると思っていました。限られた五家しか販売していない飴だからこそ、お店に来てもらえないと伝える機会がなかったし、お店でも伝えきれていないなと感じることが多かったんです。
だから、伝えたいことを散りばめた形でお店をリニューアルし、一度聞いたら誰かに話したくなるストーリーを発信して、知っている人・話したくなる人を増やすことに注力してきました。その結果、皆さんに訪問頂き、購入頂けているのだと思います。
取材をした老舗食堂から
五人百姓 池商店さんは池龍太郎さんが継ぐ前も後も、看板商品が加美代飴であることは変わっていません。カフェメニューやフルーツ飴などのメニューも増えているのですが、売上があったのはその新商品以上に、取り組まれてきた五人百姓と加美代飴の認知度向上による販売量が増えたことが大きな要因です。
加美代飴の商品自体も、パッケージも変わっていません。変わったのは「伝え方」のみ。その伝え方も飴そのものだけではなく、「街全体」のことを語り、街に人が来て、そして飴が売れるようになりました。紐解いた歴史の中に、買いたくなる理由が隠されていた、と言えるかもしれません。
池さんの講演を聞いた時に、「この人はなんて楽しそうに街のことを話すんだろう」と感じました。聞いていると、その街に行きたくなって、加美代飴が買いたくなるんです。もし皆さんの会社に歴史ある商品があるなら、ぜひその歴史を紐解いて、誰かに語ってみてください。そのストーリーの中に、お客さんに響く何かが隠されているはずです。