林さんは巨人、日本ハム、DeNAで活躍し、引退後すぐに父・敬さんが経営する船橋中央自動車学校に入りました。現在は系列校の鎌ヶ谷自動車学校(同県鎌ヶ谷市)の運営を任され、着実に後継ぎとしての経験を積んでいます。家業の傍ら野球解説の仕事も続け、グラウンドを訪ねるたび、古巣の球団フロントと経営に関する意見交換を重ねています。そこで得たヒントの一つが、教習所の卒業生のアンケートを生かすことでした(前編参照)。
同校のアンケートは、手書きでびっしり感想が書かれています。例えば、「丁寧にわかるまで指導してくれた」、「何度質問しても、わかるまで教えてくれた」という内容です。それらはホームページでも公開されています。
「アンケートなんて面倒くさいと思う人もいるはずなのに、丁寧に書き込んでくれる。入社して衝撃を受けたことの一つでした。中には指導員の個人名を挙げておほめいただくこともあります。教習所には『怖い』というイメージがありますが、卒業するのが寂しくなったという声もいただいています」
もちろん、感謝や喜びの声ばかりではありません。「教え方がわかりにくいなどという声もあります。指導員歴が長いベテランでも目配りが届かないことがある。だからこそ、アンケートには大きな『答え』が詰まっているのです」
千葉県警の資料(21年)によると、指定教習所卒業生の人身事故率(免許取得後1年以内)は、船橋中央自動車学校が0.25%、鎌ヶ谷自動車学校が0.33%で、千葉県内の教習所平均(0.39%)を下回っています。こうしたクオリティーを保つ、あるいはさらに高めるための源泉はアンケートではないかーー。そう考えた林さんは、アンケートの回答を全員に定期的に共有するようにしたといいます。「アンケートの回答はボーナスの評価対象にもしています」
林さんのような中継ぎ投手は、試合展開次第でいつ登板するかわからず、肩を作ったのに登板しないこともしばしばです。こうしたテレビには映らない登板準備は、評価につながりにくい面があります。林さんも現役時代の契約更改で、そうした評価基準に納得がいかないと感じることがありました。
しかし、球団側も評価に対する指標やデータが少ない中でやらざるを得ない状況もありました。経営を担う今ならそれも理解できると、林さんはいいます。
「教習所では『さじ加減で評価するのはやめましょう』と社長に言って、様々な企業にヒアリングしながら、人事評価の20項目を自分で作りました」
DeNA時代の最後の2年間、1軍で登板できなかった経験も、役職者が部下を査定する評価表づくりに生かされています。
「当時のアレックス・ラミレス監督はデータにこだわり、『直球で143キロを超えなければ1軍に上げない』という明確な目標数値をいただきました。当時は使ってくれないのは嫌だと思うこともありましたが、逆に経営側に立った今はすごく分かりやすいと感じます。人は明確な評価基準が無ければ頑張れないですから」
若手とのコミュニケーションを重視
1年1年が勝負のマウンドで16年間生き抜いてきた林さんは、評価表を書く役職者に高い水準を求めています。
「以前も評価表はありましたが、5段階評価の数字に丸をつけるくらいの感じでした。僕が人事評価制度を作ることで、大変さが生まれたと思います。今は、毎年同じ内容の評価表を書く人もいれば、教習車の洗車など隠れた努力を書いている人もいます。そういう目に見えない部分を評価する人が役職者になった方が、部下も頑張れると思うんです」
選手時代、ベテランの域に入ると若手の面倒を見ることもありました。今も教習所の若手と1対1でコミュニケーションを取る機会を重視しています。
「運転初心者の方に教えるには、会話の中に自分の引き出しを多く持たないといけない、といった話をしています。教習所内をブラブラ歩いて声をかけ、夜まで残って終業後にじっくり話を聞くこともあります。そうしたコミュニケーションができるのは、中小企業の大きなメリットではないでしょうか」
プロ野球の世界では、有望な若手を「強化指定選手」として重点的に鍛えることがあります。林さんも教習所で同じような仕組みを取り入れ始めました。「成長させてほしい若手をピックアップして、その上司に伝えました。アプローチの仕方は任せていますが、そうすることで責任感を持ってもらえるのかなと思い、仕掛けました」
コロナ禍で感じた父の経営力
林さんがようやく自動車学校の業務に慣れてきた2020年、コロナ禍に直面します。同年4月に緊急事態宣言が出されて以降、同校も2カ月間の休校を余儀なくされました。
経験したことのない不安の中、社長の父とじっくりと経営の行く末を語り合いました。「この緊急事態に、改めて父の偉大さ、経営力の高さを痛感しました」
当時の林さんは不安に駆られ、「この先、どうすればいいのですか」という問いばかりが口をついたといいます。
「しかし、父からは休業期間に備えておくべきこと、学校が再開できた時に最初に取り組むべきことは何かについて、明確なビジョンに基づく答えが出てきました」
最優先課題は資金繰りでした。休校で収入はゼロでも、給料はもちろん、車両のガソリン代や車検代などの経費もかさみます。林さんの父は、2カ月の休業ならこのくらいの融資で済む、それが半年続けば資産の一部を売却する必要も出てくるというように、経理のデータ画面を凝視しながらシミュレーションを重ねました。
「オイルショックを経験しているからか、父の発言には重みがあり、経営者としてのすごみを感じました。それまでは職員の前で『お父さん』と口から出てしまうこともありましたが、コロナを機に『社長』と呼ぶようになりました」
AI時代に求められる引き出し
警察庁の運転免許統計によると、全国の指定教習所の数は1295校(22年)で、13年と比べて56校減っています。教習所を取り巻く環境は大きく変わろうとしており、後継ぎの林さんも対応を迫られています。
例えば、コロナ禍を機にオンラインによる学科講習が加速しました。林さんは「利益率を考えると魅力がある」としつつ、あくまで対面にこだわる考えです。
「人と人とのふれあい、コミュニケーションという点では、オンラインだとどうしても行き届かない面があります。運転免許の取得を目指す人にとって、安全運転の知識や難しい法律を寄り添って教えてくれる安心感は、対面だからこそ得られます。学科の指導レベルの高さという自分たちの強みを、あえて消す必要はないと考えています」
高齢者講習の浸透や、今後見込まれる電気自動車や自動運転の普及、すでに一部の教習所で試験導入されているAIを使った教習などの諸課題に、アンテナを張らなければいけません。
「野球界でも、今は選手がAIの数値を追い求めるようになり、コーチの存在意義が問われています。教習所でもAIが生徒の評価に活用される可能性があるなかで生き残るには、人として寄り添う指導員のホスピタリティーやクオリティーがカギになります。指導員には経験の引き出しが求められるし、こちらも準備をしないといけません」
教習所をサードプレースに
林さんは後継ぎとして、長期ビジョンを描いています。「10年先、20年先を考えると、教習所だけでは生き残っていけません。僕は教習所を地域のサードプレースにしたい」と力を込めます。社内にその下地はすでにあるといいます。
「例えば、教習所には前職で柔道整復師として働いていた人材がいます。その経験を生かし、高齢者講習に来た受講生にストレッチ教室を開いてもいいし、僕が家業に入ったときに学んだようなパソコン教室を誘致するのもいいでしょう。免許を取得したり更新したりすれば教習所に来なくなるものですが、他に通いたくなる理由があれば、教習所に満足した卒業生がまた来てくれるようになります」
鎌ヶ谷自動車学校のある鎌ヶ谷市は、古巣の日本ハムの2軍が本拠地を構えており、林さんは今も球団関係者との交流を続けています。船橋中央自動車学校の近くには、社会人野球のNTT東日本のグラウンドもあり、高校の同級生がコーチを務めているといいます。
「チームとイベントを企画したり、子どもたちを対象にした野球教室を開催したり。地域密着は父の取り組みですが、私は『野球』という軸を加えたいと思っています」
常にスーツを身にまとう理由
林さんは1年前から、各教習所が集まる業界内の経営会議に参加するようになりました。「僕に振られる話は野球のことばかり。経営者からみれば、はっきり言って認められていないわけです。すごく悔しいと思いました」と振り返り、こう続けました。
「会議では教習料金などの話だけでなく、政治や経済にまで話題が及びます。そういうことも話せないと、他の経営者と同じ土俵には立てません。政治や経済に目を向けるようになると、今年に入って野球以外の話にも参加できるようになってきました」
林さんは教習所内でも、常にスーツを身にまとっています。「スーツが自分にとってのスイッチになっている。経営者としての公式戦ユニホームなんです」
従業員との距離の取り方は、今も試行錯誤を続けています。それでも、後継ぎとして5年間奮闘する中で変化も見え始めました。
「従業員との壁をなくすのが自分の役割です。去年くらいから、若い従業員が、野球の話だけでなく悩みを相談してくれるようになったんです。自分の中では、少し前進したのかなと思います」
地域に開かれた新しい時代の教習所を目指して、林さんはマウンドと同じく、アクセル全開で腕を振り続けていきます。