目次

  1. 売り上げがピーク時から半減
  2. 「もう一度、一兵卒に」と家業へ
  3. 強みにプラスした「新しい売り方」
  4. 出版社出身のいとこが参画
  5. パッケージを変えて「体験を届ける」
  6. イベント開催で広げた顧客層
  7. パリの展示会に出展オファー
  8. EU圏向けの越境ECも準備
  9. 売り上げ減少に歯止め

 東京繁田園茶舗のルーツをたどると、1815年、今の埼玉県入間市に開いた茶園にたどり着きます。会社としては、1875年に日本初の茶の直輸出会社として設立された狭山製茶会社(繁田園)が始まりです。東京繁田園茶舗は1947年、繁田さんの祖父弘蔵さんが、繁田園の東京支店として設立しました。

昭和30年ごろの阿佐ヶ谷本店(東京繁田園茶舗提供)
昭和30年ごろの阿佐ヶ谷本店(東京繁田園茶舗提供)

 狭山製茶会社は今はありませんが、東京繁田園茶舗は独自の進化を遂げ、一時は杉並区外にも複数店舗を運営。経営を継いだ繁田さんの父豊さんは、2人の弟と忙しく店を切り盛りしました。

 ところが1980年代、缶やペットボトル入りの緑茶が登場すると、「急須でいれるお茶」の市場は急速に縮小。都内の日本茶専門店も激減し、東京繁田園茶舗の売り上げもピーク時から半減したといいます。現在の店舗は阿佐ヶ谷と荻窪の2店です。

阿佐ヶ谷本店の店内(同社提供)

 豊さんは2020年ごろ、親族が集まる席で「5年後に店を閉めようと思う」と宣言します。当時、百貨店勤務だった繁田さんの心は揺れました。「慣れ親しんだ店がなくなる寂しさ、お茶の文化を伝える場所が消えることの危機感を覚えました」

 実は繁田さんも、自身のキャリアについて悩み始めた時期でした。

 繁田さんにとって、小さいころから家業は身近でしたが、大学卒業後は都内の大手百貨店に入社しました。食品部門担当として年間120日は出張して地方を回り、物産展を企画。大学院でMBAを取得し、6年間の上海駐在も経験しました。

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