目次

  1. 「海外に売り込める」と家業へ
  2. 和食店・レンタル事業に挑戦
  3. 「生き埋めも覚悟した」
  4. 「復興の中心はお前」と背中を押され
  5. すし店の大将から叱られて
  6. 輪島塗の再生へ集めた「出資」
  7. 岸田首相に伝えた要望
  8. 米大統領夫妻への贈呈品をプロデュース
  9. 更地に仮設の「ビレッジ」を
  10. 有事だからこそ「即行動」

 輪島塗は製造工程ごとに専門の職人が担当する分業制です。職人は、塗師(ぬりし)、呂色師(ろいろし)、蒔絵師(まきえし)など大きく六つに分かれ、工程は124もあります。田谷漆器店は全工程を取りまとめ、販売・流通を担う「塗師屋」(ぬしや)と呼ばれています。

 創業は1818(文政元)年で、田谷さんの祖父・勤さんが1988年に法人化しました。従業員は約20人で、輪島塗の器や文具、建築内装などを製造販売しています。

田谷漆器店が扱う輪島塗のおわん
田谷漆器店が扱う輪島塗のおわん

 「高校生の時は『輪島塗に未来はない』と言っていたらしいです」。田谷さんは頭をかきます。

 「その時の自分に言ってやりたいですね。『面白いぞ』と」

 田谷さんが大学進学で上京した際、出来合いの器を買ったのが家業の価値に気づくきっかけでした。「その器でみそ汁を飲んでも、おいしく感じなかったのに、実家から持ち帰った輪島塗で試すと味の違いは歴然でした」

 外資系ホテルのアルバイトで外国人と話す機会も多く、「海外に売り込める商材は輪島塗しかない」と、家業に入りました。

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