目次

  1. 兆候は2023年秋から
  2. 米を安定供給する使命
  3. 「洋服の青山」で学んだこと
  4. 経営課題が分からないまま戻った
  5. HPやSNSが「名刺代わり」に
  6. 「魚に合う米」が県認定の一品に
  7. 「お米への興味を高め続ける」

 紀伊半島南部の尾鷲市は、熊野灘に面した人口約1万6千人の街で、漁業が基幹産業です。世古米穀店はこの街で、1958年から商売を続けています。扱う米の産地は三重県内を中心に、北海道から九州まで広がり、銘柄はコシヒカリ、ゆめぴりか、つや姫、新之助、にじのきらめき、つきあかりのほか、ブレンド米も扱っています。酒も販売し、収益を支えています。

 店で買う一般消費者のほか、地域の飲食店や施設にも配送し、個人宅配も行っています。世古さんの父が2代目社長を務め、パート従業員含めて6人の家族経営です。

世古米穀店の店頭には多彩な米が並びます
世古米穀店の店頭には多彩な米が並びます

 世古さんによると、「令和の米騒動」の兆候は、2023年秋ごろからあったそうです。「そのころから、米の卸や集荷業者の皆さんから米が集まらないという声が出ていました。年明けからどんどん米の価格が上がり、それに比例して、スーパーの棚も殺風景になりました」

 世古米穀店に関しては、年間契約で定量を卸してもらっていたので、米が切れることはなかったといいます。それでも、2024年のお盆明けごろ、尾鷲市内でもスーパーの店頭から米が無くなる状態になり、世古米穀店にお客が流れてきました。

 「精米が間に合わず、お客様に1~2週間待ってもらったり、1家族一つに個数制限したりしました。通常なら9月末まで入荷できる銘柄が8月末で切れ、他のものを勧めることもありました」

 世古さんは騒動が起きた背景について、「米の量は足りていたと思いますが、供給の段階で滞った部分があったのかなと。8月中旬に発令された南海トラフ地震臨時情報で、パニック買いが起きたのも大きかったと思います」とみています。

 大都市圏から米が一気に無くなり、世古米穀店のような地方にも影響が出ました。「東京や大阪に住む子どもや親戚に頼まれて、うちから米を送るお客さんが増えました。毎日3~4件はありましたね。山形の農家さんとも話しましたが、地方は遅れて品薄になったそうです」

世古米穀店は市街地にあります
世古米穀店は市街地にあります

 そんな「米騒動」のさなか、世古さんは自身のX(旧ツイッター)アカウントで、次のような決意を投稿しました。

 この投稿には、社長である父博道さんの思いが込められていました。

 「地域の人の足になれ、というのが父のポリシーです。2011年の東日本大震災の時も米不足になり、父が色々回って米をかき集めて販売したという話を聞きました。特に尾鷲市は、南海トラフ地震の危険度の高い地域です。行政の備蓄だけではなく、米屋にも地域の人たちの食糧を安定供給する使命があると思っています」

 世古さんは家業に入ってから、米農家との取引を増やしてきました。今回の「米騒動」で在庫が足りなくなりそうな時、新潟県の農家に「余っているお米はないですか」と出荷を依頼し、快諾を得ました。

 世古さんは「リスクヘッジという考えはなく、面白そうな方々とつながっているだけ」と笑いますが、生産者らとの信頼関係が安定供給に寄与した形です。

 今回の「米騒動」をめぐり、行政による備蓄米放出も議論になりました。しかし、世古さんは小売店の立場から「備蓄米が店頭に出るのは1~2カ月先で、すぐに米の値段は下がりません。根本的な問題は、米が安定供給できる体制が整っていないこと」と訴えます。

 帝国データバンクによると、2024年の米農家の倒産件数は、過去最多を更新するペースで増えています。主な原因は、生産コストの上昇と深刻な後継者不足です。

世古さんは米の目利きに神経を使っています
世古さんは米の目利きに神経を使っています

 世古さんは「農家さんに失礼のない形で取引し、安心して米や野菜を作ってもらうことが先ではないでしょうか。食糧政策は国防。農家さんがもっともうかる仕組みが必要です」と話します。

 プライドをもって「街のお米屋さん」を守る世古さん。そのキャリアの出発点は、少々意外な職場でした。

 世古さんは、富山県の大学に進んだころ、生まれ育った家業を意識し始めたといいます。まずはアパレル業界でキャリアを積むことにしました。

 あこがれたのは、ユニクロを展開するファーストリテイリングの柳井正会長兼社長です。「大学生のころ、柳井さんの話を聞く機会がありました。『一勝九敗』という哲学を持ち、チャレンジすることが大事と言われ、こういう業界で学んだら勉強になると思いました。アパレル業は早くから店舗運営を任されるイメージもありました」

 ユニクロで働くことはかないませんでしたが、「洋服の青山」を展開する青山商事に入社。地元三重や東京、神奈川の店舗で販売員を務めました。

 影響を受けたのは、若くして出世したという最初の配属店の店長でした。「物事を一つの視点で見るな」、「大変なことでも意味がある」という言葉が今も耳に残ります。

 最も勉強になったのは、店舗運営のあり方です。「倉庫も売り場だと思え」というのもその店長の教えでした。

 「同期が接客を中心に教えられるなか、私は在庫管理の大切さ、商品の回転率を考えた商売、粗利の考え方など店舗運営のことを口酸っぱく言われました。それは今も生きています。上司に恵まれました」

 紳士服の販売員を5年半務め、2012年10月、家業に入りました。

 「最初は、SNSを使って発信すれば何とかなると思っていました。でも、うまくいかず借り入れも増え、社長の父と話してもどうしたらいいか分からない。今思えば、本当の経営課題が分からないまま戻ってしまいました」

 家業に入ったときのことを、世古さんはこう振り返ります。

 世古さんはひたすら米の勉強を重ね、2017年3月には米穀商の全国団体・日本米穀商連合会が認定する「三ツ星お米マイスター」の資格も得ました。

 また、祖父や父が築いたルートに加え、関西や東京など全国の米屋や米農家とのネットワークも開拓します。

 「『米騒動』のときに助けていただいた新潟の農家さんも、三ツ星お米マイスター関連のイベントで出会いました。当時、付き合いのあった農家さんと突然連絡が取れなくなり、困っていたら『うちの米を出してあげる』と。サンプルを送ってもらったら、おいしくて取引が始まりました」

 「おわせマルシェ」という地元のイベントに出て、商工会議所の青年部に入り、異業種の経営者らと勉強会も重ねました。「家業の外に一歩出てみたら、色々な人とつながることができました」

 2021年にリニューアルした世古米穀店のホームページは、世古さん一家が食卓を囲む様子が前面に出たり、「お米であなたを幸せに」という理念を掲げたり、商品の見せ方にこだわったり、スタイリッシュな印象です。

 「お客様にお米や米屋に興味を持っていただけるようなデザインにしました」といいます。

 世古さんは元々、デザインの知識はなく、デザイナーに関わってもらうイメージもありませんでした。しかし、自身のグループで開いた勉強会でデザイナーとの接点が生まれ、デザインの重要性に気づいたといいます。

 SNSの活用も重視。Xを世古さん、インスタグラムやフェイスブック(FB)は、世古さんの妻・美沙樹さんが手がけています。

世古米穀店のインスタグラム。米の魅力を広げるため、多彩な写真を投稿しています
世古米穀店のインスタグラム。米の魅力を広げるため、多彩な写真を投稿しています

 インスタとFBは毎日のように写真を投稿し、内容も炊きたてのお米や、地元の祭りの紹介、世古家の食卓の様子まで多種多様です。妻は前職でテレビ番組の制作に関わっていて、コンテンツ発信への意欲があったといいます。

 「妻には『何でもいいから毎日投稿してくれ』とお願いしました。彼女なりに考えて、お客様からいい反応もあって、ブラッシュアップしています」

 こうしたデジタル施策は、取材や問い合わせを増やしたのはもちろん、「名刺代わり」にもなりました。「展示会で、農家さんにHPやSNSを見てもらって知ってもらうことで、お付き合いが始まることもあります。逆に、うちから商品を買いたいお客様にも店のことを知ってもらうツールになっています」

1歳のお祝いに贈るためのギフト商品「一生米」。パッケージデザインが目を引きます
1歳のお祝いに贈るためのギフト商品「一生米」。パッケージデザインが目を引きます

 世古米穀店のような「街のお米屋さん」はスーパーや量販店という競合がいるうえ、人口1万6千人の尾鷲市は米の生産地でも大消費地でもありません。世古さんは生き残りをかけて、アイデアを巡らせます。

 世古さんは「うちはスーパーより少し価格は高いですが、お米を楽しんで買ってもらえるお客様が来ています。毎月、スポットで色々な品種を仕入れて5キロずつ販売するなど、お米に興味を持ってもらえる取り組みをしています」と話します。

世古米穀店の「魚に合う米」
世古米穀店の「魚に合う米」

 新しい商品やサービスの発案にも余念がありません。2021年、「魚に合う米」というブレンド米を発売しました。

 「尾鷲の人は毎日魚を食べます。おいしい魚が自慢の街を後押ししたいと考えました。濃い味付けが多い尾鷲の魚料理を引き立たせるため、米は甘さや粘りを強くし過ぎず、スルッと味わえるブレンドにしています」

 「魚に合う米」は、周辺自治体の道の駅でも扱われるなど評判を呼び、2024年には県が認定する「みえの食セレクション」の一品に加わりました。

 3キロの米を毎月届ける定期便も始めました。「量は食べられないから3キロくらいの米を毎月ほしいという高齢の方の要望に応えました。今では12~13軒が利用しています」

 地域ネットワークを生かし、マグロの角煮や、海洋深層水を使ったクラフトビールなど地元産品と米を組み合わせたセットを販売。2024年10月には、干物店やカツオ節店と一緒にワークショップを開くなど、イベントにも注力しています。

 家業に入ってから下り坂だった売り上げも、2022年度から上向きになり、黒字転換も実現しました。

世古さんは「街のお米屋さん」の価値を高めるため、アイデアを巡らせます
世古さんは「街のお米屋さん」の価値を高めるため、アイデアを巡らせます

 「令和の米騒動」を受けて、世古さんは「街のお米屋さん」の価値を、多くの消費者に伝えたいと考えています。

 「まずは地域の皆さんに米をしっかり届けるのが使命です。加えて、他地域の方に、尾鷲や三重のおいしいものをアピールすることが、小さな米屋が取れる戦略だと考えています。私が尊敬する徳島県のお米屋さんは『米に興味がないのが最大の敵』と言っていました。だからこそ発信を続け、お米への興味を高めたいと考えています」

 使命感と信頼関係という土壌で培ったアイデアは、実りの時に向け、すくすくと育っています。