目次

  1. 次代につなぐ工場を竣工
  2. 一貫生産体制で町工場の窓口に
  3. 歴史的建造物の依頼が続々
  4. 祖父母に導かれて家業に
  5. 祖父と交わし続けた日報
  6. 直談判して採用を担当
  7. 新工場効果で受注額も拡大

 「作業に励む祖父の横顔は、家で接するそれとはまるで違いました。一言でいえば、とてもいい顔をしていた。その生き様を含めて、継いでいきたいと思います」

 小林さんは2017年、本社のすぐ近くに「鋳交(ちゅうこう)ファクトリー」と名づけた工場を竣工しました。マシニング(切削)の工程を担う工場で、協力工場から「マシンを導入すればノウハウも客も引き継ぐ」といわれ、踏み切りました。

マシニング(切削)の工程を担う鋳交ファクトリー
マシニング(切削)の工程を担う鋳交ファクトリー

 一般にマシンと聞けば大量生産を想像しがちですが、その布石ではありません。あくまでハンド(手仕事)の代替としてのマシンであり、職人不足が深刻な業界にあって当然用意しておかなければならない駒でした。

 斜陽する業界の技術を次代につなげる――。それは祖父・容三さんの悲願でした。

 東日本金属は曽祖父の小林剣二さんが新潟から上京し、1918(大正7)年に創業した鋳造メーカーです。窓やドアの取っ手などの建築金物で事業を軌道に乗せると、2代目の容三さんは高度経済成長の時代のヨットブームに目をつけ、船舶艤装金物をあらたなメニューに加えます。

 時を前後して鋳造からプレス、板金加工、めっき加工、旋盤加工、組み立てまで行う金物の一貫生産体制を築きます。高齢化する業界の受け皿になった格好でした。

(続きは会員登録で読めます)

ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。