「納豆日本一」菅谷食品4代目の粘り強い組織変革 士気向上の試みが成長に
丸井汐里
(最終更新:)
東京都青梅市の菅谷食品は、年間約700万食の納豆を出荷する食品メーカーです。4代目で専務の関本真嗣さん(48)は関西出身で納豆が食べられませんでしたが、妻の家業に入って納豆づくりを極めます。原材料を国産に一本化したり設備投資を進めたりしながら、朝礼や個人面談などに注力するなど、粘り強い組織変革で情報共有や士気向上に努めました。全国納豆鑑評会で「日本一」に輝き、売り上げも右肩上がりに。関本さんの後の承継も見据えて育成に力を入れながら、後継者不在の納豆メーカーのM&Aも進めています。
初めて食べた納豆に衝撃
菅谷食品は1947年、関本さんの妻の祖父が千葉県東圧町で創業し、その後、東京都内に移って規模を拡大。1986年、現在の青梅市の工場に移転しました。納豆は自社ブランドとOEM(相手先ブランドによる製造)を合わせて約80種にのぼり、首都圏や東北、九州のスーパーなどに年間約700万食の納豆を出荷しています。従業員は40人で、年商は3億5千万円です。
商品の多くは2パック180円~190円台です。一般的な納豆より値が張るのには理由があります。関本さんは「最大の特徴は『大江戸せいろ蒸し』という大豆の蒸し方です。下から蒸気を入れて大豆を包み込むことで、納豆菌が必要とする栄養素が残るため、菌が喜んで繁殖しておいしくなるんです」。
原料の大豆の大半は北海道産で、一部は有機栽培を使用。からしやたれも無添加です。さらに稲わらや経木に入れた納豆は「石室炭火造り」という昔ながらの製法で発酵させています。外側は大谷石が詰まれ、内側は総ヒノキ造りの石室に入れ、炭火を用いて遠赤外線で大豆を中から温めることで、納豆菌の働きを助けています。
兵庫県出身の関本さんは、大学入学まで納豆が食べられませんでした。ところが、当時交際中だった妻の実家で初めて菅谷食品の納豆を味わい、衝撃を受けます。「なぜ今まで食べなかったのかと思うほどおいしくて、納豆が食べられるようになりました」
「納豆菌と会話できるように」
関本さんは大学卒業後、岡山県の乳業メーカーで工場勤務と品質管理の仕事に従事しました。妻と結婚し、入社から4年ほど経ったころ、2代目だった妻の叔父が若くして亡くなり、現社長の義父・髙橋武男さん(82)が3代目になりました。
「義父の子どもは当時誰も家業に入っておらず、そこで終わる可能性があったんです。私は2代目にかわいがってもらい、就活の時も『納豆屋をやってみないか』と言われていました。当時は絶対やらないと思っていましたが、2代目の声がよみがえり、無くしたくないと思ったんです」
関本さんは自ら志願して2004年、菅谷食品に入りました。まずは工場で納豆づくりの全工程を勉強します。義父からは「納豆菌と会話できるようになれ」と言われました。「代々の教えだそうですが、最初は声なんて聞こえないし、訳が分かりませんでした」
従業員はベテランばかり。厳しい言葉も浴びましたが「全て教えて下さいという気持ちでアドバイスをもらいました」。
朝礼を始めて情報共有
中でも苦労したのが、入社半年後から任され始めた納豆の発酵状態の管理です。発酵室は温度計などで管理しますが、部屋が納豆でいっぱいになるまで約1時間半かかります。
入れた時間で発酵の度合いが異なるため、細かく状態を見る必要があります。最終的には、人の目で発酵室から出すかどうか判断しなければなりません。最初はうまくいかず、顧客から「糸が弱い」、「においがきつい」という反応もありました。
「この見極めは数値では計れませんが、発酵は最後の工程なので自分が間違えたらみんなで作り上げた納豆がダメになります。責任を感じて必死にやりました」
入社から5年ほど過ぎた2009年ごろには、納豆を見るだけで状態がわかるように。「今が出すタイミングなのか、熱すぎるのか。納豆の顔を見て心の会話をすると状態が伝わってくるんです」
組織で上に立つ自覚と自信が芽生えた関本さんは、このころから始業時に朝礼を始め、連絡事項の共有や声かけをするようになりました。
「朝礼で従業員の顔を見ながら話をすることで、『何か問題はないか』と気づくことができ、早期に手が打てます。前に立って話をすることで、従業員も徐々に『この人についていくんだ』という意識になってきたと感じました。納豆づくりでは厳しい師匠だった義父も、その他は自由にやらせてくれました」
従業員の意識統一で最優秀賞に
菅谷食品は毎年、納豆の品質を競い合う「全国納豆鑑評会」に出品していましたが、2005年に優良賞を受賞して以来、賞から遠ざかっている状況でした。価格競争の激化で高価格帯の菅谷食品は苦戦し、赤字も続いていました。
安易に価格を下げる戦略は取れません。消費者への付加価値を高めるため、関本さんは2009年ごろ、義父と2人で自社ブランド製品の大豆を国産に一本化。一部には有機栽培の大豆を使用し、差別化を図りました。当時、有機栽培の大豆は問屋も扱っておらず、北海道の農家から直接仕入れました。
2015年ごろから、関本さんは年1回、従業員全員との個人面談も始めました。業務改善や個々の状況に合わせた働き方の調整ができるようになり、「例えば2度に分けて行っていた作業をラインに組み込むことで、1度で済むようになり効率が上がりました」
それまでは鑑評会への出品すら社内で知られていなかったといいます。関本さんは朝礼で鑑評会の話題に触れるなど、従業員の士気も高めようとしました。
2015年の鑑評会で、主力商品「国産大粒つるの子納豆」(現在は「つる姫納豆」にリニューアル)が最優秀賞の農林水産大臣賞に輝き、日本一に昇り詰めました。
「市販品の中から状態の良い納豆を出品するので、日ごろの努力が認められた気がしてうれしかったです。自分だけがやりたいと思ってもダメです。従業員全員が同じ方向を向いて取り組んだからこその受賞でした」
関本さんは同時に工場の設備投資を進め、機械化にも着手。納豆のパックを自動でコンテナに入れる機械を導入したり、ラベルを巻く機械にパックを入れる作業も自動化したりして、効率を上げました。
「待つ」営業で大口契約が増加
関本さんは2016年、専務に昇格し、営業も兼任することになりました。営業は初めてでしたが工場での経験が強みになったといいます。「一度に出せる商品の量や生産量などがわかるため、顧客から要望を受けた場で判断や調整ができました。タイムラグを作らないことで信頼を得ました」
高価格帯を扱うスーパーや自然食品を扱う店などへの販路開拓を進めました。「短期的な売り上げを求めて焦った売り方をすると『なぜこんなに値段が高いのか』と突っ込まれます。商品の魅力を丁寧に説明し、その後は待つ。この姿勢が大事なんです」
有名な高級スーパーにも営業をかけ、前任者と合わせて約5年がかりで契約を獲得しました。「当時のバイヤーが青梅にゆかりがあり、説明申し上げて待ったところ興味を持ってもらえました。そこで押したんです。担当者が変わっても扱って頂いています」
関本さんは自社のブランディングも兼ねて設備投資を推し進めました。下から蒸気を送ることができる大豆の蒸し釜は1台しかありませんでしたが、2022年に全4台をその窯に入れ替えたのです。
最優秀賞の納豆はこの製法でしたが、全商品ではなかったため、営業活動でも「一部製品がせいろ蒸し」としか言えなかったといいます。「全商品を作れるようになったことで『大江戸せいろ蒸し』と名付けて前面に出しました」
主力商品の「国産大豆ひきわり納豆」が、2017年から6年連続で鑑評会の特別賞を受賞するなど、成果を出し続けています。関本さんが営業を兼務してから大口契約は10件以上増加しました。
親族外承継も見据えた人材育成
さらに関本さんは業績の推移を記録し、社員全員が閲覧できるようにしたほか、2カ月に1度、社員ミーティングを開いて情報を共有しています。
2019年ごろからは朝礼で、消費者からの声などを従業員により細かく共有しています。改善を求める声があった際も、一方的な命令として伝えるのではなく、その場で改善案を出し合ってもらっています。
従業員が以前より意見を言えるようになったと、関本さんは感じています。
「今や私がピリピリしている時も『声をかけづらいです』と指摘してくれます。実数字を前月、前年と見比べることで、現状を的確に把握できるようになり、改善策も生まれやすくなっています。従業員一人ひとりが自主的に考えるようになったことで責任感が芽生え、業務改善や効率化につながりました」
関本さんは数年以内の承継を目指して準備を進めつつ、その先も見据えた後進の育成にも力を入れています。
「納豆の発酵管理は職人技ですが、今は義父も現場からはほぼ離れており、仮に私が倒れても対応できる体制を作る必要があります。私の子どもたちが継いでくれるかはわかりません。社員にも継承できるよう備えなければと思っています」
関本さんは今後、納豆の海外展開を考えています。その意図をくんだ営業担当の社員が得意の英語を生かし、英語版のホームページを作成しました。「今は海外の営業も彼に任せています。月に500個程度ですが、日本の商社とタイアップし、台湾のスーパーに納豆を出荷しています」
売り上げは右肩上がりに
2020年からのコロナ禍は納豆市場に追い風となりました。「免疫力を高めたい」という需要が増えたからです。ただ、リモート商談が増え、契約前に顧客に工場を見学してもらうことができなくなりました。
そこで菅谷食品では、製造工程を伝える動画を制作し、ホームページで公開すると、問い合わせが増えました。
原材料や資材の値段高騰の影響で、2023年には2割値上げしました。それでも、関本さんが専務となった2016年ごろからの売り上げは前年を割ることはなく、ここ数年は平均して年約10%ずつ上がり続けています。
後継ぎ不在のメーカーをM&A
菅谷食品は2020年、納豆の納入先で後継者不在だった甘納豆メーカー「フォルッツァ」(静岡県富士宮市)の経営権を取得しました。
フォルッツァの主力商品「どらいなっとう」は、日本航空の機内食として提供されており、賞味期限も長いことから海外展開の切り札になると考えています。「ただ、どらいなっとうは嗜好品で、納豆とは違って毎日食べるものではありません。売り先も異なるため、販路拡大が課題です」
関本さんは今後もM&Aによる販路拡大を視野に入れています。「フォルッツァの前社長は高齢のため承継後に亡くなっており、(事業承継しなければ)存続が難しかったかもしれません。後継ぎがいない納豆屋を残す意味でも、M&Aは有効ではと思っています」
「次は全商品の大豆を有機栽培にしたい」と意気込む関本さん。納豆を食べたことがなかった4代目は、これからもこだわりの商品を粘り強く広め続けます。