目次

  1. 井筒屋とは
  2. 井筒屋、駅弁事業から撤退へ
  3. 北陸新幹線延伸ルートで「米原ルート」一部再燃

 井筒屋の公式サイトによると、初代宮川利八氏は1854年、長浜船着き場前で旅籠「井筒屋」を創業。

 1889年になると、3代目宮川利八氏が、東海道線全通を見越し、交通の要衝となるべく米原へと拠点を移し、弁当類を専売することになりました、これが「米原停車場構内立売営業人」の始まりとなったといいます。

 1987年に「新幹線グルメ」として、誕生したのが鴨ローストなど湖北地方の名物を詰め合わせた「湖北のおはなし」です。後に米原名物の駅弁となりました。米原駅内では、在来線の立売売店と新幹線ではベルマートキヨスク米原で取り扱っています。

 2020年には、米原駅そばにある本店で「キッチン井筒屋」を開設。駅弁のテイクアウトだけでなく、「汽車弁・汽車そば」を食べられる飲食スペースを設けています。

 そんな井筒屋は2024年に創業170年を迎えました。

 井筒屋は2025年1月1日、公式サイトで、駅弁事業からの撤退を公表しました。駅弁の注文は2月28日納品分まで、駅弁事業自体は3月20日で終了する予定です。撤退表明にあたり、8代目当主宮川亜古代表取締役は、次の文書を掲載しました。

旅のお供であるべき駅弁とは何か、その土地ならではの駅弁とはどういったものかを思い巡らせ「味をえらび 味をととのえ 味ひとすじに」納得いただける商品をお届けしたいと、日々励んでまいりました。
しかしながら、昨今の食文化は娯楽化がもてはやされ、誤った日本食文化の拡散、さらには食の工業製品化が一層加速し、手拵えの文化も影を潜めつつあります。
そのような環境に井筒屋のDNAを受け継いだ駅弁を残すべきではないと判断致しました。加えて、米原はもはや交通の要衝ではなくなった現在、構内営業者としての井筒屋の役割も十分に果たすことができ、業跡を残すことができたと思っております。
時代の変遷に振り回されることなく、井筒屋らしく、とるべき道を選び、令和7年3月20日をもちまして、駅弁事業からは撤退致します。

お弁当の井筒屋公式サイト

 こうしたコメントの背景には、全国の商業施設の催事で駅弁が注目されるようになり、日本鉄道構内営業中央会が1988年に制定した「駅弁マーク」がなくても、「駅弁」と称して販売する商品が増えたことがあるとみられます。

 井筒屋も「駅弁マーク」の意味が薄れつつあるとして、すべての駅弁から「駅弁マーク」を外すと表明していました。

 一方、米原駅をめぐっては、北陸新幹線の延伸ルートで再び注目されています。

 北陸新幹線の金沢―敦賀間が2024年3月に開業し、その後、新大阪までの全線開通が計画されています。国交省の公式サイトによると、政府の2025年度当初予算案では、北海道、北陸、九州の整備新幹線の事業費に総額2658億円を計上しました。

 一方、新大阪までの延伸に向けては、与党内で2024年内中に予定していたルートの選定を見送ったため、2025年度予算案には事業費が盛り込まれませんでした。

 2016年12月に政府与党整備新幹線建設推進プロジェクトチームが、北陸新幹線敦賀・大阪間は小浜・京都を経由する「小浜・京都」ルートに決定したと発表しましたが、最近になって事業費の安さ、工期の短さなどから、米原を経由する「米原ルート」案が一部で再浮上しているためです。

 現時点で「米原ルート」になる可能性は低いものの、今後の議論次第では、米原駅の位置づけは大きく変わるでしょう。