目次

  1. 営業マン時代に感じた危機
  2. 「子供には継がせたくない」
  3. 陶器ボトルの強み
  4. 流通に変化をもたらす
  5. 自らも名入れ技術を習得
  6.  のろしを上げるためのクラウドファンディング
  7. 高田・小名田地区の産業を誇れるように

 もともとお酒が好きだったという野村さんは、建設業界から転職して、2011年に陶器ボトルを扱う商社に入社しました。入社後は営業マンとして12年間、全国の酒蔵を飛び回りながら、お中元やお歳暮、父の日や退職祝いなどの贈答品に使う陶器ボトルの販売を手掛けたといいます。商材である陶器ボトルを車に載せて、日本各地のホテルを転々としながら、年の半分くらいを出張にあてる日々でした。

営業マン時代の野村さん

 「お酒は好きでしたが、最初から高い志を持って入社したわけではありません。営業マンとして全国を飛び回る中、さまざまな酒蔵さんや陶器ボトルを製造する職人さんと接していくうちに、徐々にこの仕事に熱が入るようになっていったんです」と、野村さんは振り返ります。中でも、多治見市の窯元で働く職人たちが手作業で陶器ボトルを仕上げていく細やかさに、驚きと感動を覚えたといいます。

 同時に、この業界の課題も見えてきました。窯元を訪ねると、働いている職人は70~80代。生地づくりを担う職人には、90代もいました。そして、多くの陶器メーカーや窯元には、後継ぎがいません。廃業も相次ぐ中、このままでは高田・小名田地区の陶器メーカーが消えてしまうかもしれないと、野村さんは危機感を抱きます。

 後継ぎがいない原因のひとつは、賃金が安いこと。現在の流通において、陶器ボトルは「備品」の扱いです。酒蔵はお酒を入れる備品として捉えているため、ライバルは安価な瓶。 

 加えて、昨今は若い人の間で、以前よりもお酒が飲まれなくなりました。需要が減っている中、陶器ボトルの値段を上げようにも、価格転嫁がうまくいきません。大切な文化である文字入れも一面20円と、安いものになっています。

文字入れは一面20円

 さらに、労働時間の長さも、後継ぎを見つけづらい原因のひとつになっているといいます。窯元の職人は、深夜の2時に工場に行き仕事を始めることもしばしば。かつては分業制で、アルバイトを雇いながら3~6人でやっていた作業を、すべて1人で行っていることも珍しくないそうです。

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