品評会惨敗から売り上げ10倍に 平尾とうふ店が固めた製造オペレーション
鳥取市の山あいにある平尾とうふ店2代目の平尾隆久さん(37)は2014年、廃業寸前だった祖父母の店を継ぎました。初出展した品評会で惨敗したのを機に、経営改革を進めます。手作りの良さは守りつつ、機械導入による効率化や原料の国産化で品質を高め、パッケージも一新。若手従業員を増やして作業も平準化し、質の高い豆腐を安定的に製造できるオペレーションを固めると、品評会でも受賞できるようになり、売り上げは承継時の10倍となりました。
鳥取市の山あいにある平尾とうふ店2代目の平尾隆久さん(37)は2014年、廃業寸前だった祖父母の店を継ぎました。初出展した品評会で惨敗したのを機に、経営改革を進めます。手作りの良さは守りつつ、機械導入による効率化や原料の国産化で品質を高め、パッケージも一新。若手従業員を増やして作業も平準化し、質の高い豆腐を安定的に製造できるオペレーションを固めると、品評会でも受賞できるようになり、売り上げは承継時の10倍となりました。
目次
鳥取市東部の河原町にある平尾とうふ店は、平尾さんが祖父母と住んでいた民家の一部を改装して運営しています。商品は平尾揚げ、平尾とうふ(木綿・絹・おぼろ)、生湯葉の5種類。5人体制で年間10万パックの豆腐を作っています。
豆腐と油揚げを販売するほか、イートインスペースでは、揚げたての平尾揚げ、おぼろ豆腐、豆乳ソフトクリームなども提供。ポップはすべてイラスト付きの手書きで、和モダンの空間にアットホームな空気が流れます。
道の駅や直売所、スーパーマーケットなど計15軒ほどに卸し、ECサイトでも販売。スーパー経由も含む個人消費者への販売が95%を占めます。2020年3月に法人化し、現在は従業員・役員の計5人で運営しています。うち4人が30代です。
店の前身は1957年創業の平尾食料品店です。祖父・至史(よしふみ)さんと祖母・ユリ子さんが運営し、肉、魚、野菜から衣料品や文房具まで扱う「町のデパート」のような役割でした。
店舗兼自宅に、平尾さんは祖父母、両親、姉、妹の7人で暮らしていました。
「毎日テキパキと働く祖父母を見て育ちました。祖父は魚の仕入れのために朝3時くらいに家を出て、小学校低学年のときは一緒に連れていってくれました。帰ると豆腐の仕込みが始まり、家じゅうに大豆の香りが広がるんです。その風景が大好きで、祖父母のことを尊敬していました」
豆腐は一から手作りし、おくどさん(かまど)に薪をくべて地窯で炊く、昔ながらのスタイル。当時の大きさで15丁(現在のパック換算で36丁)を一度に作りました。平尾家は毎日おやつに油揚げ、食事は豆腐のみそ汁、冷奴が定番でした。
平尾さんは高校卒業後、自動車専門学校を経て、鳥取市内の大手自動車メーカーのディーラーに勤めました。しかしほどなく、組織に雇われて働くことに疑問を感じるように。やりがいはあったものの、自分で事業を立ち上げたいと思い始めます。
そのころ、祖父母は体力が衰えて店も閉めがちになり、次第に客も離れていきます。祖父は80歳を超えても重労働の豆腐づくりを細々と続けていましたが、ある日、「そろそろ辞めようかな」と吐露しました。
それを聞いた平尾さんは「寂しかったです。瞬時に、豆腐づくりがある風景をなくしたくないと思いました」と振り返ります。
祖父母に「僕が豆腐屋をやってもいい?」と聞くと、「じゃあやってみるか?」と後押しされました。
平尾さんは入社から4年後に退職。両親や周りから「安定した職を捨ててまで豆腐屋をやるのか?」と言われましたが、意思は固まっていました。
「日本一の豆腐屋になろう」。2014年、廃業寸前の平尾とうふ店を継ぎました。
勢いのまま継いだものの、平尾さんは豆腐のつくり方すらわかりません。1年目は祖父について大豆の仕入れ、薪のくべ方、炊き方、にがりを入れるタイミング、混ぜ方などを毎日学びました。祖父は「見て、覚えよ」の職人タイプ。気候、気温などを必死にメモしたそうです。
朝6時にスタートし、薪をくべてから完成まで製造時間3時間で、大きな木綿豆腐がわずか15丁できるだけでした。1丁(1キロ)300円で、完売しても4500円の売り上げにしかなりません。合間にまき割りもあり、到底事業として成り立つものではありませんでした。
「1年後、祖父に『僕の好きなようにさせてほしい』とお願いしました。同時に1人だけで豆腐をつくることに、限界を感じました」
平尾さんは機械化を目指し、国から唯一認可された豆腐の業界団体・全国豆腐連合会に「昔ながらの豆腐をつくる店を継いだので、製造に必要な機械がわからない。どんなものを買えばいいですか」と尋ねます。
すると、現会長の東田和久さんから全国の豆腐店後継ぎの見学を受け入れている京都の豆腐店を紹介され、見学にも同行してくれたといいます。
「東田さんのたぎるような熱意に圧倒されました」と平尾さん。浅はかな考えで豆腐店を運営しようとした自分が恥ずかしくなりますが、「日本一の豆腐屋になる」という初心に戻ります。
2カ月後、東京で開催された豆腐製造機の展示会で東田さんに再会。小規模店ではどの機械がいいのか、一緒にブースを回って見立ててもらいました。
平尾さんは祖父母から資金を借りて、機械購入500万円と加工場整備100万円の計600万円をかけて設備投資を決断します。すると、3時間の製造時間が1時間に短縮されました。
ただ、すべてを機械化できるわけではありません。高品質の豆腐をつくるために不可欠な工程は今も手作業です。
それでも、工程が変われば味も変わります。毎日試作するものの、しばらくは商品として成り立つものができませんでした。
豆腐や油揚げは一般に、製品生産量に対するロスの発生率が3割にのぼります。平尾さんにとって特に難しかったのは油揚げ用の豆乳づくりでした。何とか納得できる形に仕上げ、製造機械の設置から2カ月後にオープンしました。
平尾さんはその後も何年もかけて、全国30カ所の豆腐店に直接問い合わせて見学に訪れ、様々な作り方を学んでいます。
平尾さんは2015年、全国の店が参加する全国豆腐品評会に木綿豆腐を出品しました。しかし、審査の総得点は150店舗のなかで148番目。「お客さんからは評判がいいのになぜ」と落胆します。
上位入賞した豆腐を試すと、甘さが強く、一口目にインパクトがある、濃い食味であることがわかりました。
平尾さんは濃い豆腐を「絹」と「おぼろ」で新たに作ってみようと考えました。大豆を外国産から長野県産のナカセンナリに変えると、味わいが格段によくなりました。
しかし、大豆の品種変更で製造コストも大幅にかさみ、60円の値上げに踏み切ります。
「本音では顧客が離れるのが怖かったですが、誠意をこめて値上げの理由を説明しました。店内に手書きで『美味しい豆腐を作っていきたいから、大豆を国産に変えました』といった表示も出しましたね。ここできちんと豆腐の価値を上げないと、製造すら厳しくなりますから」
心配をよそに支持する客が増え、売り上げも右肩上がりになりました。
全国豆腐品評会に初挑戦した翌年の2016年、平尾とうふ店は「全国豆腐品評会中国四国地区大会」の寄せ・おぼろ豆腐部門で銀賞に輝きました。
平尾さんはそのころ、たくさんのなかから目に留まるデザインにするため、パッケージも一新します。
まず着手したのは油揚げです。先代のときはポリ袋に入れるだけの簡易なもので、必要にかられて自前でつくったシールを貼るだけでした。
高級感を出すため、徳島市のパッケージ会社の力を借り、ポリ袋からクラフト紙がついたタートルパックに変更します。シールは平尾さんの思いをデザインし、鳥取県の形にしました。
「鳥取を代表するという志を示す」、「店名を商品名に潔く入れる」。この二つを表現したシールは、豆腐商品に横展開しても統一感が出るデザインにしました。
スーパーからは「うちに置いてほしい」と連絡が来るようになりました。「目に留まる機会が増え、売り上げに貢献しました」
豆腐づくりを事業として成り立たせるには、安定的な製造体制が不可欠でした。
そのため、商品数を5品に抑え、最低限の研修期間を経れば、安定して製造できるオペレーションの確立を目指しました。
にがりと豆乳を合わせる際は、温度が高くて、にがりが多く、混ぜる力が強いほど固まりやすくなります。このさじ加減を見極めるのに、技術が必要といいます。
「ある豆腐屋さんを見学した際、安定製造のためにわざと豆乳の温度を下げてからにがりを合わせて、 そこからもう1回温度を上げていました。この手法なら応用できると考え、5年かけてにがりの量や豆乳の温度を微調整し、基本的な製造方法を平準化させました」
体制強化のため、SNSを使って求人をかけ、若手従業員を増やしました。「豆腐屋の仕事内容や、働いている人はどんな思いで商品を作っているかを発信し、共感してくれた人や商品のファンになってくれた人が手を挙げています」
製造は従業員に一任し、商品を作る責任を感じてもらっているといいます。
月に1度のミーティングでは、従業員に毎月の目標を発表してもらっています。例えば、店舗販売、オンライン販売などの担当を任命し、月の目標売上額を設定してもらいます。目標から逆算したToDoリストを各自が作成し、提示しています。
平尾さんも「目標への手応えはどう?」などと個別に声をかけています。「従業員には最低限の目標を設定してもらうことで、仕事へのやりがいが生まれ、確実に事業成長に結びついています」
2018年の全国豆腐品評会中国四国大会では、49種類のなかから、平尾とうふ店の絹豆腐が金賞に輝きました。
審査は味、食感、香り、見た目といった各項目ごとに評価されます。審査員からは「とろけるような食感の後に、甘みが追いかけてくる」という高評価を受けました。
2024年の全国豆腐品評会中国四国大会でも、絹豆腐が金賞、平尾揚げが銀賞に輝きました。
安定的な製造方法の確立に加え、混ぜる力加減や混ぜ方など数値化できない部分で、各従業員の勘と技術が蓄積されたのも大きいといいます。「最高評価は、従業員が日々試行錯誤した結果です。品評会は、従業員のモチベーションにつながっています」
受賞を重ねると、地元メディアへの露出が増えました。評判が広がり、事業承継から10年で売り上げは約10倍になりました。
2023年12月にはイートインスペースもオープン。月平均750人が山あいの店を訪ねるといいます。「3年以内に平尾とうふを体験してもらえる飲食店を作りたいです。イートインスペースを活用し、商品開発を少しずつ進めています」
「日本一の豆腐屋になる」。その初心を忘れず、平尾さんは挑戦する心に薪をくべ続けています。
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