お酒が楽しめるガソリンスタンドに改装 箱林3代目が打った需要減への一手

三重県伊賀市の箱林は60年間、家族でガソリンスタンドを営んでいます。3代目の箱林穂高さん(46)は2021年、待合スペースを缶詰ダイニングに改装し、全国でも珍しいお酒が楽しめるガソリンスタンドへと装いを新たにしました。決して奇をてらった策ではなく、脱炭素社会、燃料費の高騰、若者の自動車離れといった需要減の未来に手を打つため、地域の防災拠点としてのスタンドの役割を強め、PR力を高めるという戦略がありました。
三重県伊賀市の箱林は60年間、家族でガソリンスタンドを営んでいます。3代目の箱林穂高さん(46)は2021年、待合スペースを缶詰ダイニングに改装し、全国でも珍しいお酒が楽しめるガソリンスタンドへと装いを新たにしました。決して奇をてらった策ではなく、脱炭素社会、燃料費の高騰、若者の自動車離れといった需要減の未来に手を打つため、地域の防災拠点としてのスタンドの役割を強め、PR力を高めるという戦略がありました。
国道25号に面する箱林運営のガソリンスタンド「伊賀一之宮サービスステーション」は、夜になると装いが一変します。スタンド内の缶詰ダイニング「HAKOBA」に明かりがともり、河豚のアヒージョや牛タンシチューなどの珍しい缶詰を、ビールやオリジナルカクテルと楽しむ客で埋まります。
ガラス張りの店内は開放的で、夜は照明が映えてガソリンスタンドとは思えない雰囲気です。箱林さんがDIYで仕上げたテーブルやいすの脚にはホイールやドラム缶を使い、遊び心のある空間が広がっています。
スタンドの歴史をたどると、昭和40年代、箱林さんの祖父が「箱林商店」として開業し、父が1978年に株式会社化しました。現在の事業はENEOSの販売店(ガソリンスタンド)と「HAKOBA」です。従業員4人とアルバイト数人で運営し、年間売り上げは約2億円です。
箱林さんは3人きょうだいの真ん中で、「兄は東京の大学に進み、妹は海外留学で家を出て、何も考えてなかった僕だけが残りました。次男だからと完全に油断していました」と笑います。
料理の道へ進みたかったといいますが、両親の許しが出ず、大阪の大学に片道2時間かけて電車で通いました。学生時代から家業でアルバイトし、卒業後はそのまま正社員に。「継ぐつもりはありませんでしたが、就職活動がうまくいかず、そのまま就職しました。何も考えてなかったんですよ。接客は好きで楽しかったです」
27歳で妻の比佐さんと結婚。その後も「経営には関わらず、何も知ろうとせず」に他の社員と同じように働いていたといいます。しかし、事業承継は突然でした。
36歳だった2014年、父が脳梗塞で倒れて即日入院。一命はとりとめたものの、仕事に戻れる状態ではなく、その翌日から箱林さんが3代目として経営を担うことになったのです。
「従業員もいるし、自分がやるしかなかったのですが、銀行振り込み、小切手の切り方、仕入れや支払い、税金のことなど、とにかく何も分からない。あのときは本当に焦りました」
箱林さんが初めて経営状況を確認すると、経営の継続が危ぶまれるほど多額の借り入れがありました。「ゆとりがあると思っていたのに、苦しい経営だったのをはじめて知りました。おまけに自分が借金の連帯保証人になっていて…。愕然としました」
借り入れのとき、父から「書類にハンコを押して」と言われ、よく確認しないまま連帯保証人になっていたそうです。
どん底からのスタートで、逆に奮い立ちました。「廃業して他の仕事に就いた方が楽だったかもしれません。妻にも大反対されましたが、なぜか自分で経営しようと思えたんです」
従業員を集めて正直に状況を伝え、「誰もクビにしないし、給料も絶対下げない。でも不安のある方は辞めても何も思いません」と判断を委ねました。誰一人辞めず、3代目を支えてくれました。
「毎月しんどかったですが、お客さま、お取引先、スタッフに暗い顏を見せないよう、接客中は笑顔を絶やさず気をはっていました」
素人社長に秘策はありません。がむしゃらに走るうち「たくさんの方に助けられました」と振り返ります。
「先輩経営者、友人が経営面やメンタルを助言してくれたり、顧客を紹介してくれたり、給油に来てくれたりして、ありがたかったです。まだ若かったので無知でも先輩方に素直に聞けますし、従業員、周囲の方々も自分を育ててくれる。50、60歳ではそうもいきません。若いうちに苦しい思いをしてよかったし、早い世代交代は大事だと思います」
少しでも金利の低い金融機関に借り入れをまとめたり、個人客から法人客にシフトしたりして、社長就任から2年ほどで経営は安定しました。
「セルフや激安のガソリンスタンドが増え、伊賀の個人経営の店は価格競争ではかなわない。個人のお客さまはそっちへ流れると予想して、法人にターゲットを変え、営業をかけました」
箱林さん自ら紹介や飛び込みで何社も足を運び、契約をとってまわりました。
車社会の伊賀市で、多数の営業車を持つ法人との契約は安定収入につながりました。年末年始など会社が休みの期間はスタンドを閉めることもでき、職場環境の改善にもつながりました。
社長業が板についてきた2020年、コロナ禍に見舞われます。箱林もガソリンの売り上げが一時、平常時の3割近くまで落ち込みました。
2020年12月には、東京都の小池百合子知事が都内でのガソリン車の新車販売について「乗用車は2030年まで、二輪車は35年までにゼロを目指す」と表明しました。
このニュースを聞いて、箱林さんは落ち込むどころか「あと10年もチャンスがある。やりたいこと、楽しいと思えることをしよう」と奮起します。
とはいえ、何をしたらいいか分かりません。顧客の内装業者に相談すると、「代替わりしたんやし壁紙変えたらどうや?」と言われました。待合室は30年以上手つかずで、壁紙は汚れ、ほとんど売れないカー用品が置いてあり、くつろぎに欠ける空間でした。
実は父親が元気なときに、壁紙の見積もりをとっていたことも知りました。「分からないならまず行動してから考えよう」と、改装に着手します。
壁紙の柄を決めるために世界のインテリアを検索すると、素敵なカフェやバーが目にとまります。ブルックリンスタイルの内装を気に入り、床材は木目、壁紙はレンガ調に決めました。そして「待合室で飲食店をしたら面白いのでは…」と思いはじめたのです。
箱林さんは、カフェや本屋を併設してイベントも開催している和歌山県のガソリンスタンドにも実際に足を運び、刺激を受けました。
飲食業経験がなかったこともあり、まずはバーとしての開業を目指し、消防やガソリンスタンドに関わる法律を調べると、営業可能であることが分かりました。石油製品需要の減少が見込まれる中、スタンドの経営多角化を柔軟にする規制緩和の流れもありました。
しかし、地元の消防本部に相談すると、最初は強く否定されたといいます。「車で行くガソリンスタンドでアルコールを出すなんて…。そりゃそうですよね」
それでも箱林さんはあきらめず、説得材料を集めました。
ガソリンスタンドには、災害時の緊急車両のために給油機を動かすための自家発電機があり、建物も頑丈に造られています。冬場に暖を取るための灯油もあるため、地域の一時避難所として活用でき、お酒を出せば体をあたためることもできます。さらに、缶詰を扱うバーにすれば缶詰を緊急時の保存食としても使えます。
こうした「地域の防災拠点としての役割」をプッシュして消防署を説得し、条件付きで営業許可を得ました。
その条件とは「風営法の対象にならない店舗」であること、壁紙などの内装は耐火性のあるものを使い、IT調理器で加熱することなどです。耐火性に優れた内装材は高額でしたが、インテリアのほとんどをDIYで進め、改装費は100万円程度に抑えました。
飲酒運転を誘発した場合はバーだけでなく、ガソリンスタンドも営業停止になります。店内には飲酒運転厳禁の注意書きを掲示し、ハンドルキーパーや代行運転案内も徹底しました。
こうして2021年7月、缶詰ダイニング「HAKOBA」の開業にこぎつけました。
「HAKOBA」の営業は毎週木、金、土曜日の午後8時~11時です。ガソリンスタンドの業務を午後6時で終え、妻の比佐さんと2人で切り盛りしています。
缶詰はなじみの酒屋や、出張先で見つけた専門店などで仕入れて500円~千円で販売。飲食業の経験がある妻の比佐さんが調理を担当し、そのまま出すのではなく、あたためたり、薬味を添えるなどアレンジしたり器に盛って提供しています。
アルコールはビールやワイン、ウィスキーなど。箱林さん行きつけのバーのマスターと考案した「エンジン洗浄剤」、「重油」、「ウォッシャー液」という名前のオリジナルカクテルもあります。
「ガソリンスタンドを終えてからの夜営業なので体力的には大変ですが、色々な方とお話ができ、新しいつながりや広がりもうまれています」
店の開業のタイミングで会社のホームページもリニューアルし、インスタグラムも立ち上げました。ガソリンスタンドの仕事に比べ、飲食業は情報を発信しやすく、ふらりと立ち寄れる「楽しめるガソリンスタンド」に変化をとげました。
スタンド内で「ハコバスタ」というイベントも開催。複数の出店者によるマルシェや、DJブースで音楽を流すなどして、多いときで200人もの来場者があったといいます。
開業から丸3年。「HAKOBA」の年間売り上げは200万円程度で、まだ全体の1%以下といいます。それでも、改装前にはなかった取材依頼が増え、インスタなどの情報発信でスタンドを訪れる客が急増しました。来店者の9割が新規で「HAKOBA」をきっかけに、給油やタイヤ交換の利用につながったケースもありました。
箱林さんは思いがけず家業を継ぎ、苦しみもがく中で、何もしなければ右肩下がりの家業の経営を微増に持ち直し、かつてあきらめた料理の道に進む夢もかなえました。20年先を見据え、こう語ります。
「缶詰ダイニングは好きなことなのでモチベーションもあがり、ガソリンスタンドも頑張れるという循環ができています」
「スタンド経営は手を尽くしきった感があり、将来的な需要減を考えると、設備投資をしてまで拡張する判断はできません。であれば、伸びしろのある業種に力を入れ、相乗効果を狙いつつ、未来の可能性を模索したい。飲食事業をもっと充実させたいです」
今も自宅療養中の父親から思い出したように電話がかかり「あれはどうなっている?」と聞かれることもあるといいます。
「急に経営を任されたときは大変で、両親に言いたいこともありました。でも、あのときあきらめずに動いたからこそ、たくさんの人に出会え、助けてもらい、選択肢が増えて今があります。本当に運がよかった。分からないなりに動いてみると何かが変わるかもしれません」
今宵も町のガソリンスタンドに明かりが灯り、リラックスした笑顔で接客する箱林さんの姿があります。
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