「何でも自分たちでつくる」商品次々

 最初のヒットは、60年以上前に売り出した結婚式の引き出物を包むビニール製の風呂敷。その次がテーブルクロスで、アメリカや東南アジアから注文が入った。日本でも高度経済成長期に各地で団地が建つと、テーブルを囲んで食事をする習慣が広がり、普及が進んだ。窓に貼る装飾シートや壁紙、床材など商材がどんどん増えていった。

 創業者の故・大島康弘氏は旧日本陸軍で印刷技術者として従事した。終戦後に上官の誘いで名古屋の印刷会社に就職。当時の新素材だった塩ビフィルムに印刷するプロジェクトの責任者となり、1949年に日本で初めてビニール印刷技術を確立したという。
 その後独立し、いまの会社を立ち上げた。「何でも自分たちでつくる」という精神で、いろんなアイデアを商品にしていった。

明和グラビア大阪工場でつくる「貼ってはがせるテーブルデコレーション」は、テーブルに簡単に貼ることができ、はがしてもべたつかない=同社提供

 バブル崩壊後の1993年、息子の規弘氏が後を継いだ。苦しい経営のなかでも、ものづくりの系譜も引き継いだつもりだった。だが定年退職する従業員の言葉にはっとさせられた。「どんどん新しい物が作れて、大変だけど面白かったと言っていた。でもこれはおやじが残したもの。本気になって新しい物を作らないと」

 そんなとき、ある企業から、透明なプラスチックフィルムに静電気が発生しないようにしてほしいと依頼があった。静電気を抑えるにはカーボン加工を施すのが一般的だが、それだと透明にならない。培ってきたグラビア印刷の技術を用いてコーティングを施すことで完成させた。触ってもべたべたせず、ほこりもつきにくい。新製品は、電子機器の製造に使われた。

 7年ほど前にノロウイルスが流行した際、この技術を応用して抗菌・抗ウイルスの製品を開発した。その時は早く終息したため、大ヒットとはならなかったが、コロナ禍で再び注目を集めている。コンビニエンスストアやタクシー、飲食店で使われる飛沫(ひまつ)防止シートがそれだ。引き合いが急増し、燃えにくい素材も開発し、近く売り出す。

 規弘氏は「新しいものを作るのがうちの文化。それは失敗しても我慢する、許す、何とかするということ」。今後も製品開発の手を緩めない。

明和グラビア

 1953年創業のビニール印刷のパイオニア。従業員数332人。2019年度の売上高は100億円。工場は大阪と埼玉の国内2カ所と、インドネシア・ジャカルタにも2カ所ある。「他人のやれない商品作り」を経営方針に掲げる。