「沖縄の風味が生きている」黒糖たっぷり SDGsも掲げる上野砂糖
大阪市浪速区の上野砂糖は創業から100年を超す歴史を持つ。沖縄産の黒糖(黒砂糖)をたっぷり使った「焚黒糖(たきこくとう)」が主力商品で、コロナ禍のもとでも出荷量を堅調に伸ばしている。(永田豊隆)
大阪市浪速区の上野砂糖は創業から100年を超す歴史を持つ。沖縄産の黒糖(黒砂糖)をたっぷり使った「焚黒糖(たきこくとう)」が主力商品で、コロナ禍のもとでも出荷量を堅調に伸ばしている。(永田豊隆)
黒糖はサトウキビの搾り汁を濃縮してつくられ、ミネラルやビタミンが豊富な健康食としても知られる。
焚黒糖はそれに粗糖(原料糖)をブレンドした「加工黒糖」。黒糖の含有率が高いのが特徴で、半分以上は多良間島を主に、西表、与那国など沖縄県の8島産を使う。
上野砂糖の工場を訪ねた。甘い香りに包まれながら、いくつかの島から入荷した黒糖を味見させてもらった。島ごとに個性が豊かで、風味や舌ざわりがかなり異なる。サトウキビの品種や土壌、気候の違いが影響しているという。
ただ、風味が一定でないと菓子などの材料として使いにくい。商品として流通させる上で、かつてはこの個性が壁になった。生産が12月から4月に限られることや不純物が混在しやすいこともネックだった。上野誠一郎社長(67)は「いかにして年間を通して安定した品質で生産するか、知恵を絞った」と振り返る。
120度以上の高温での煮沸や濾過(ろか)を繰り返し、ミネラルなどを残して不純物だけを取り除く技法を磨いた。X線による異物検知器を先駆けて導入するなど設備投資も重ねた。すべての工程で社員が目を光らせることで品質の安定化に成功した。
業界のガイドラインでは黒糖の使用割合5%以上で加工黒糖と表示できるが、焚黒糖は40%以上をキープする。菓子メーカーなどからは「沖縄黒糖の風味が生きている」と高く評価されている。
2010~11年に国が定めた指針で、一定の条件をクリアした商品は「黒糖」「加工黒糖」表示が認められた。これを機に、2011年9月、商標登録していた「焚黒糖」の名をすべての加工黒糖商品に付けてブランド化した。
焚黒糖は現在、30キロの業務用、おやつ用の成形タイプ、保存のよさを生かした災害備蓄用など約10種類ある。コロナ禍を含む2020年9月までの1年間、家庭用の出荷量は対前年比5%の伸びだった。
サトウキビ栽培と黒糖生産は離島の数少ない産業だ。加工黒糖づくりは現地の雇用を守り、土壌の保全や温暖化の原因とされる二酸化炭素(Co2)排出抑制にもつながる。上野社長は「消費者に喜んでいただくとともに、SDGs(持続可能な開発目標)にも貢献したい」と力を込める。(2021年3月27日朝日新聞地域面掲載)
1913(大正2)年、上野誠一郎社長の祖父・清作氏が創業した。1994年、現在の社名になった。従業員数62人。焚黒糖は農林水産省のフード・アクション・ニッポンアワード2011などを受賞。2019年のG20サミットで各国首脳が食べるデザートの材料にもなった。
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