姿を消した奈良伝統の蚊帳織り 時代に合わせた商品に生かし次世代へ
かつて蚊帳は奈良の伝統産業だった。今では私たちの生活から姿を消したが、丸山繊維産業(奈良県天理市)は蚊帳織りの技術を生かし、時代に合わせた商品を生み出そうと工夫を凝らす。(上田真美)
かつて蚊帳は奈良の伝統産業だった。今では私たちの生活から姿を消したが、丸山繊維産業(奈良県天理市)は蚊帳織りの技術を生かし、時代に合わせた商品を生み出そうと工夫を凝らす。(上田真美)
奈良市の旧市街地「ならまち」にある同社の直営店には、鮮やかなプリントのふきんや、枕カバー、バスマットなどが並ぶ。蚊帳生地の持つ、吸水が良くてすぐ乾く性質を生かした商品だ。丸山欽也社長(63)が「奈良の地に、蚊帳作りという産業があったことを発信する場所にしよう」と、2005年にオープンした。
丸山繊維産業は1930年、蚊帳製造業の「丸山商店」として創業。戦後の復興期から高度経済成長期にかけて、人口の増加に伴って蚊帳の需要も高まった。だが1960年に一貫生産の工場を天理市に建てた頃から、上下水道の整備やエアコンの普及によって、蚊帳は衰退期に入った。
苦境の中、取引先を通じてニチボー(現・ユニチカ)の下請けに入った。農作物を覆って日差しや潮風を防ぐ布「寒冷紗(かんれいしゃ)」の製造では、蚊帳織りの技術や設備を生かした。自動車メーカーのシート生地の生産も請け負った。
ただ、丸山社長が入社した1980年には、「いつまでも寒冷紗があるわけではない」と社内で言われていた。実際、1990年代には寒冷紗の売り上げも減少。
その頃に出席した業界団体の勉強会で、講師のコンサルタントの問いかけに胸を突かれた。「商品は20年くらいで、売れ行きの寿命が来る。大企業は工場の転換などで生き残っていけるが、あなたの会社はどうか」
下請けだけではなく、自分が価格決定権を持ち、独自の製品を作りたい。そう思い詰めながら、ギフト商品の展示会で服やバッグを身につけたマネキンを見たとき、ハッとした。背後や足元を彩る飾り用の布が蚊帳織りに似ている。
「我々にも作れないか」。包装品商社や園芸資材の卸売会社などと相談し、ラッピング資材を開発した。
2000年代に入ると、デザイン力を強化し、雑貨や文具にも参入した。2015年からは本格的に海外への販路拡大にも挑む。コロナ禍で足踏みとなったが、この機会にブランドを再構築したいという。
丸山社長は「今はふきんが主力だけれど、時代の流れに応じて、売れる商品を開発していかないといけない」と話し、蚊帳織りを伝えていくために次を見据えている。(2021年6月19日朝日新聞地域面掲載)
1930年に奈良市で創業。従業員数は約35人。寒冷紗や包装資材のほか、「ならっぷ」のブランド名でインテリア・文具雑貨事業を展開している。奈良市のアンテナ店やネットショップで購入できるほか、各地の百貨店などでの取り扱いもある。
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