体育館のように天井の高い工場に高さ数メートルの大きな機械が並ぶ。国内の自動車部品会社などへ出荷される製品だ。

製品の機械が並ぶ光栄製作所の工場

 宝塚市南部。阪神・淡路大震災からの復旧が進む1995年に竣工(しゅんこう)した工業団地・宝塚テクノタウンの一角に、「光栄製作所」はある。油圧で金型を高速に上下させ、半導体の切断や金具の取り付けなど多用途に活用できる機械が看板製品。

 「油圧ベンチプレスといえばKOEIと言われるほど、業界では有名」(宝塚商工会議所)な機械メーカーだ。

 宝塚の工場から出荷された機械は国内のほか中国、東南アジア、南アジア、中東、欧米、中南米と世界約20カ国の生産現場で活躍する。社長の小俣(おまた)秀利さん(72)は「うちで作っている機械は現場で20~30年は使われる。派手さはないですが、産業の下支えをしています」と話す。

 前社長の父、荘一さん(93)は戦時中、戦闘機などを造る軍需工場で働いたが、敗戦で職を失った。戦後の60年代、大阪の佃(つくだ)(大阪市西淀川区)に作業場を構え、船舶部品の修理をしていた。

 やがて兵庫県西宮市の今津に移り、クリスチャンだったことから「光栄製作所」と改名。76年に株式会社となり、ダンプカー用のギアポンプなど大手メーカーの下請け作業を担ったが、公共事業の増減による注文の変動など取引先の事情に経営が左右された。

 「自分たちで考え、働くことができるよう独自の製品を作ろう」(秀利さん)と決心し、得意の油圧技術をいかして高速自動箔(はく)押機を開発した。80年ごろのことだ。祝儀袋などに金や銀の箔を入れる機械だが、販路は限られた。

 宝塚に拠点を移し、82年に開発したのが高速油圧ベンチプレス。当時の他メーカーと比べて3~4倍の作動の速さが評判になった。ほとんどの部品を自社製造し、顧客ごとの細かい注文に対応。これまで約3500台を製造した。

 「これからは電力消費が少なく、安全で自動化に対応でき、環境にも優しい機械作りが求められます」と秀利さん。設計などを担う長男の恵一さん(42)や従業員とともに、さらなる発展をめざす。(2021年11月20日朝日新聞地域面掲載)

光栄製作所

 1963年創立。従業員17人。小俣秀利社長みずから営業も担い、従業員の約4割を設計業務にあてて各メーカーのニーズに対応する。メガネのフレームを加工する機械や、大手製菓会社のアルミカップ容器を作る機械など幅広いメーカーと取引。