「苦労は山ほどありますが、忘れられないのはダイオキシン測定の公定法(国が定める検査方法)に認められたこと」と村田弘司社長(65)は振り返る。技術畑を歩み、2007年に社長に就任した。ダイオキシン類対策特別措置法が制定されたのは1999年。日吉は前年から米国企業と共同研究し、ホタルが光る原理を利用し、遺伝子組み換えをした細胞でダイオキシンの毒性量を測定する方法を開発していた。

ダイオキシンに反応する細胞を培養する容器を持つ技術部の中村昌文次長(右)

 だが国はなかなか公定法に認定せず、「多いときは年50回、霞が関を訪れた」。2005年、ようやく公定法に採用された。「従来の1台1億円以上する機械を使った測定より、安上がりで時間も格段に短縮できました」と技術部の中村昌文次長(49)が説明する。

 総務部の上森勇輝さん(25)が入社した2019年は、人体に有害なポリ塩化ビフェニール(PCB)の処理に関する法律で、高濃度PCBについては近畿エリアの処分期限が2年後に迫っていた。PCBは蛍光灯の安定器にも使われている。日吉は近江八幡市内の学校設備の調査を請け負い、社員総動員で調査にあたった。

 「入社直後で右も左も分からない中、夏休みの学校で各教室に何本もある蛍光灯の型番を汗だくになってすべて確認した」と上森さん。「社会の困りごとがあれば、人海戦術で対応して、入力システムなどを作り業務にしていく。それができる人と技術があるのが強みだ」と感じたという。

 元々は廃棄物処理からスタートした日吉。東日本大震災では、被災したし尿処理施設に、業界団体と協力し、バキュームカー3台、社員3人を派遣した。総務部の大角浩子課長(54)は「ごみ収集なども含め、光が当たりにくい分野だが、災害時は感染症予防の面で大事なインフラです」。

 村田社長は「我々の仕事は、バックヤードで人目につかないですが、生活環境や産業活動を技術で守っています」と自信を込めて語った。(2022年2月19日朝日新聞地域面掲載)

日吉

 創業は1955年。本社は滋賀県近江八幡市北之庄町。東京、横浜、大阪に支店があるほか、グループ会社がインドやアメリカにある。従業員は355人。1988年以降、海外36カ国から1000人以上の研修生を受け入れている。