目次

  1. 紀の善とは
  2. 乃木坂46の楽曲「他の星から」にも登場
  3. 紀の善 公式サイトに「閉店のお知らせ」

 紀の善は、1860年ごろの創業とされ、元々は寿司店でしたが、戦後の1948年に甘味処になりました。

 2008年7月に、朝日新聞東京都内版に掲載された連載記事「逸品ものがたり」で、次のように紹介されています。

戦前は寿司(すし)屋だったが、辺り一帯が焼け野原になった戦後、女性だけでも作れるものをと甘味を始めた。1990年に店を改築する機に考え出されたのが、今や看板商品の「抹茶ババロア」。神楽坂上にある茶舗「楽山」の最上級の抹茶を使い、香りを立たせるのに最適な温度で溶き、光を避けた専用冷蔵庫で冷やされる。なめらかでほろ苦いババロアは、とろりとした生クリーム、少し煮崩れてなじみのよい粒あんと、食感や味わいを引き立て合っている。

「あんこはウチの自慢。母や祖母から、アクをうんと取って丁寧に煮るように教わりました」と女将(おかみ)の冨田惠子さん。粒あんに使うのは、丹波の無農薬栽培の小豆。年々入手が困難になっているが「いい豆は、アクを抜いても風味が残るから」と妥協しない。その味は近隣の茶道や邦楽の家元からも愛されている。(『料理通信』編集部・柿本礼子)

2008年7月24日朝日新聞東京都内版

 紀の善は、神楽坂を描写した風景にも数多く登場してきました。たとえば、1995年のコラム。

女子高校生や若い女性が列を作る。お目当ては、不二家のペコちゃん焼きだ。神楽坂たもとのこの店は、小倉あん、カスタードクリーム、パンプキン、チョコレートの四種類を商う。小倉は、今川焼きの味わいと大差がなかった。違いは、外皮がペコちゃんの顔をかたどることだけだ。それがこれ程の客を招く。付加価値の風味をかみしめる。 神楽坂には老舗(しにせ)が多い。レストランの田原屋、ぜんざいの紀の善、原稿用紙の山田紙店などだ。江戸時代、一帯は武家地や寺社地が占めた。明治から昭和初期にかけ、山手銀座と称される指折りの繁華街になる。

1995年6月23日朝日新聞夕刊

 紀の善は、乃木坂46の楽曲「他の星から」の歌詞のなかで、紀の善であんみつを食べられれば、それ以上のぜいたくは望まないという旨のフレーズがあり、ミュージックビデオでも西野七瀬さんが紀の善であんみつを食べるシーンが映されています。

 紀の善は公式サイトを更新し、閉店にあたり次のような「お知らせ」を掲載しました。

お客様へ 突然のお知らせではございますが、このたび店主の高齢化や諸般の事情により、令和4年9月30日をもちまして店舗を閉店させて頂きました。長きにわたり何度も足を 運んでくださいましたお客様、 ご遠方よりご来店くださいましたお客様、 常々ご利用くださいましたお客様、心より厚く御礼申し上げます。まことにありがとうございました。

紀の善公式サイト