目次

  1. 売上高200億円超の企業に
  2. たねやの「末廣正統苑」とは
  3. 「ラ コリーナ」が目指すもの
  4. 事業承継で大切な「正統性」
  5. 進取の精神を生み出すには

 たねやグループは1872年に山本久吉が和菓子屋として創業。敗戦で物不足だった時代に「栗まん」が評判となり、その後百貨店などへの出店を加速させます。1951年から洋菓子の製造にも取りかかり、今ではバウムクーヘンで有名なクラブハリエをグループに抱えます。2017年にはグループ売上高200億円を超え、現在従業員は1791人(2022年4月)となっています。

 帝国データバンクによると、業歴100年以上の老舗企業は2022年8月時点で、初めて4万社を超えました。

業歴100年以上の企業数は右肩上がりで、初めて4万社を超えました(2022年帝国データバンク・全国「老舗企業」分析調査より。画像は同社提供)

 老舗企業の多くには活動の原点となる社是などが定められています。たねやにも近江商人の心得をもとに策定した「末廣正統苑(すえひろしょうとうえん)」というバイブルがあります。この「末廣正統苑」が、たねやの活動にどのような影響を与えてきたのか、見ていきたいと思います。

 たねやは1966年に現会長の山本徳次氏が3代目となり、72年に株式会社たねやを設立しました。

 躍進のきっかけは84年、初めて県外進出として、日本橋三越本店に出店したことでした。百貨店は高級感のある和菓子が主流だった時代に、栗まんじゅうや最中が中心の品ぞろえで、多くの支持を得ます。

 当時、県外出店は大きな賭けでした。どのような心構えで臨めば良いのか考え、それを徳次氏の相談相手がまとめたのが「末廣正統苑」になります。

 では、「末廣正統苑」とはどのようなものでしょうか。これは2代目である山本脩次の教えや近江商人の遺訓をまとめたものになります。

 ここでは「末廣正統苑」の中から、商人心得五条を紹介します。

 「たねや末廣」は菓子もて商ふ近江商品なり

 菓子は人の生活をうるほす食物なれば  清潔 美味 美装を三本となすべきなり

 (中略)「商い」とは福をみつけ 福をつくり 福分けをすることと覚ゆれば商行ひの心 次の五条と心得べし

 一に 商人は何事も「手塩にかける」ことと心得べきなり

 「手塩にかけし商物の行先は我が娘の嫁ぎ先と覚候こと」と先人の残せし言は今日も色あせず鮮やかなり

 二に 敬ふ心こそ商人の心の芯なり

 「商物は己が生命 客様は生命の親と心得べき」との教へを心にしみしみ込ませれば感謝とともに自ずと敬ふ心の生まれてくるもの

 敬語も丁寧語もこの中から湧き出ずる心-言葉ならん

 三に 正直にして有難き合唱感謝の心こそが明日の商ひを呼び寄すなり

 四に 工夫の心

  朝に夕に工夫するの心を忘れねば常に新しき歩を進め得るものなり

 五に 装いの心

 装いの心こまやかにしてゆたかなれば商物も見世棚も衣裳も美し それ即ち生活のゆたかに美しくなることにして客様への礼と覚ふべき心なり

※「たねやの心」(山本徳次著、毎日新聞社)から引用


 近江商人の三方良し(買い手よし、売り手よし、世間よし)を具体的に記した内容です。日頃からこのような考え方を意識して接客などに取り組むかどうかで大きな違いになってくるように思います。

 たねやの社員は一人残らず、それぞれの番号が入った「末廣正統苑」を持っています。ことあるごとにその内容を読んでもらい、読み解きの講習会なども実施しており、商いの心得を会社の隅々まで浸透させています。

 現社長の昌仁氏がよく思い浮かべるのは、「如在(おわずがごとく)」という教えだそうです。その内容は次のようなものになります。

 いつ どこに居ても

 師の在すが如く 父の在すが如く 母の在すが如く 伴友の在すが如く

 己に厳しく 心寛く 豊かに 清和健進をなすなり

※「たねやの心」(山本徳次著、毎日新聞社)から引用

 このような言葉を常に意識することで、経営者として謙虚になれるのだと思います。文章が難しく感じられますが、何度も読み込むことでより一層意識できるのでしょう。

 また、社員に対しても、単に接客マニュアルを覚えさせて業務に当たらせるのではなく、このような商いの心得を理解させることで、接客のそもそもの目的や本質を理解できます。マニュアルに定められた通り一遍の接客ではなく、その目的に即した業務もできるようになります。

 さらに、社員同士で共通の価値観を持つことができ、それぞれの価値観のベクトルがそろい、接客業務にとどまらず、全社一丸となった取り組みが推進できることが大きいと筆者は考えます。

滋賀経済同友会の代表幹事(当時)として朝日新聞のオンライン取材に応じた、たねやグループの山本昌仁CEO(2021年、朝日新聞社撮影)

 たねやは、84年の日本橋三越本店への出店までに「末廣正統苑」を完成させ、従業員に徹底的に読んでもらったといいます。その後、東京、大阪などの大手百貨店へと出店を加速させていきました。

 95年には洋菓子部門をクラブハリエとして独立させ、バウムクーヘンの専門店としても名前を広げました。地域の老舗和菓子屋を発祥としながら、その立場にとどまることなく、積極的な取り組みを進めています

 2011年、昌仁氏に代替わりしても進取の精神は引き継がれています。15年には、琵琶湖岸の八幡山のふもとに広がる約12万平方メートルの敷地に、グループの拠点となる「ラ コリーナ近江八幡」を開業しました。

 「自然に学ぶ」をコンセプトに、豊かな自然やスイーツが楽しめます。現在は滋賀県内で最も観光客を集める施設となりました。

 「ラ コリーナ近江八幡」の公式ページに、昌仁氏は次のようなメッセージを寄せています。

 たねやには、社員のために「商いの心得」を説いた『末廣正統苑』という冊子があります。その冒頭に「道」と書いてあります。お菓子屋の道というのは売り買いだけのことではありません。売り買いは結果であって、それが成り立つために、地域があり、原材料をつくる産地があり、きれいな水があり、それらをつなぐ心がしっかりしていることが最も大事です。

「ラ コリーナ近江八幡」公式ページ

 たねやでもう一つ注目すべきは、事業承継への取り組みだと思います。3代目の徳次氏は、長男の昌仁氏をたねやの社長職に、次男の隆夫氏を洋菓子部門のクラブハリエの社長職に就任させています。

 2012年の徳次氏へのインタビュー(日経トップリーダー)によると、徳次氏はまねが嫌いで、息子にも「人のまねをするな」「みんなと違うことをせい」と小さな頃からやかましくいってきたそうです。徳次氏がトップにいた当時、たねやは従業員60人程度の規模で一人何役もしており非常に忙しかったといいます。

 ただ、そのような姿を見て、長男の昌仁氏は中学生になるころ「たねやに入って菓子職人になる」と言っていました。高校卒業後に東京の製菓学校に入り、その後も東京と兵庫で菓子職人のもとで、10年間みっちりと修業しています。

 クラブハリエのホームページによると、次男の隆夫氏も鎌倉の洋菓子店で修業していたそうです。

 直接家業に入社するのではなく、外部で厳しい修業を積んだことは大変良い経験になったと筆者は考えます。

 ファミリービジネスの事業承継にあたって、後継者を入社時にいきなり役員に就任させるケースがあります。それでも、やはりまずは会社の基盤となること、たねやで言えばお菓子作りをしっかりと体験させるべきだと筆者は考えます。

 さらに、従業員からの支持を得るために会社の文化を理解すべきでしょう。たねやでいえば、「末廣正統苑」を理解し、それに沿った行動を先導することになります。

 そのような取り組みで、後継者としての地位、すなわち「正統性」を得られるのです。(参考記事:トヨタ社長から学ぶ「従業員から認められる」ためのポイント

節分向けのお菓子「富久豆(ふくまめ)」づくりに励む、たねやの従業員(2019年、朝日新聞社撮影)

 昌仁氏は自著「近江商人の哲学」で、後継者の心構えについて次のように述べています。

 自分はリレーランナーの一人にすぎなくて、一時的にバトンを預かっているだけだと謙虚になればいいのです。そういうふうに考えられるならば、いかに次のランナーを育てるか、いかにいまより良い状態にしてバトンを渡すか、にしか関心が向かなくなります。

 ファミリービジネスの後継者は、伝統を貫くためにも時代に合わせたイノベーションを志向するべきでしょう。「ラ コリーナ近江八幡」に代表されるように、たねやグループも単にモノを販売することから、体験も併せて訴求しています。

 ファミリービジネスの良さとして、経営者が長期的な目線に立って経営できるというものがあります。そのような背景から、少し先の未来の変化を捉えて、現状を変える、または新しい取り組みを行うといった進取の精神を育みやすい土壌もファミリービジネスにはあります。

 「ラ コリーナ近江八幡」もそのような土壌から生まれた取り組みと言えるでしょう。短期的な収益が求められる上場企業などではなかなか取り組むことができないと思います。

 たねやでは、進取の精神が代々引き継がれており、これからの取り組みも楽しみな企業の一つと言えそうです。

 事業承継(経営承継)を円滑に進めていくための具体的な取り組みについては、拙書「『経営』承継はまだか」(中央経済社)をご覧ください。本書ではファミリービジネスが抱えている課題やその解決方法についても、欧米の知見を盛り込んだ内容となっています。ぜひ参考にしてください。

【参考文献】

「『経営』承継はまだか」(大井大輔著、中央経済社、2019年)
「たねやのあんこ」(山本徳次、毎日新聞社、2007年)
「たねやの心」(山本徳次、毎日新聞社、2010年)
「近江商人の哲学」(山本昌仁、講談社、2018年)
「近江商人魂 脈々と」(朝日新聞記事、2010年5月29日)
「病が背中を押した世代交代 菓子職人が経営者へと進化」(日経トップリーダー記事 2012年11月)