前掛けに刻む復興のメッセージ 永勘染工場5代目が高めたのれんの価値
かつて染め物を作る染師たちが暮らした仙台市若林区南染師町に、今も唯一残る染物屋が永勘染工場です。5代目の永野仁輝さん(45)は東日本大震災で被災した地元のために、復興へのメッセージを記した前掛けを作って売り上げを寄付し、被災者の背中を押しました。コロナ禍では売り上げが半減しましたが、ITツール導入やサイクリングキャップの開発で、老舗ののれんの価値を高めています。
かつて染め物を作る染師たちが暮らした仙台市若林区南染師町に、今も唯一残る染物屋が永勘染工場です。5代目の永野仁輝さん(45)は東日本大震災で被災した地元のために、復興へのメッセージを記した前掛けを作って売り上げを寄付し、被災者の背中を押しました。コロナ禍では売り上げが半減しましたが、ITツール導入やサイクリングキャップの開発で、老舗ののれんの価値を高めています。
1887年創業の永勘染工場は、はんてんや前掛け、のれん、神社ののぼりなどをオーダーメイドで生産しています。はけに染料をつけて生地に引いて染め込む「引染」という技法を用いているのが特徴です。全国の神社や地域の祭りに関わる団体、飲食店、旅館などから年間約3千件の注文を受けています。
永野さんが子どものころは自宅に工場があり、染め物や家業は生活の一部でした。「職人たちの作業をいつも見ていました。祖父母からは遠回しにいつか継ぐんだぞと言われていましたね」
ただ、先代の父からは継ぐように言われたことはなく、大学卒業後は別の企業への就職を決めていました。
ところが祖母が亡くなり状況が一変します。「当時は父母と祖父母の4人で回していたので、人手が足りなくなってしまいました。いずれ家業に戻るのかなということは頭の中にありましたが、戻るなら早い方がいい。何とかしなければという思いでした」
2002年、永野さんは就職先の内定を断って23歳で家業に入ります。引退していた職人を呼び戻し5人体制で仕事を進めました。
入社後、永野さんは染料の調色や染め物の水洗いなど、職人技を覚えながら、取引先に覚えてもらえるよう父の配達や営業にも同行しました。
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技術の習得には約10年を費やしました。「求められた色にならないと染料を捨てざるを得ず、無駄にしていました。難しかったですが数をこなすしかないですから」
当時は注文が少しずつ増えてきたころでしたが、家業の課題も見えてきました。個人でできる作業には限界があり、機械化を進めて効率化しなければ仕事が回らないと考えたのです。
03年ごろから、職人が一つひとつカッティングナイフで切っていた型をカッティングプロッターで作るようにしました。「父もパソコンを使ってデザインをプレゼンし始めていた時期で、抵抗なく受け入れてもらえました」
04年ごろからは、仙台市の産業振興事業団のセミナーで経営の勉強を始めました。仙台市のデザイン事務所とともに、同業に先駆けて自社のホームページを立ち上げ、インターネットでの受注販売をスタートします。
さらに、のれんや前掛けなどカテゴリーごとにホームページを作成し、商品の特徴や製作の流れが一目でわかるようにしました。「アイテム数や情報量が多く、お客様が混乱すると思ったんです。各アイテムに合った情報を別々のホームページにして、専門性を高めました」
永野さんが専務になった05年には従業員も8人に増やしました。増えた注文にスムーズに対応するため、営業人材が必要と考えたのです。これらの施策で、震災前の年商は入社前の約3倍まで伸ばしました。
11年3月、東日本大震災が発生。永勘染工場の従業員は全員無事でしたが建物にヒビが入って海外に発送する商品が送れず、茨城県つくば市の運送会社まで自分たちで商品を運びました。
通常業務に戻ったのは約2カ月後で、受注していた商品も製作に時間がかかってしまいました。「どうしても作れずに間に合わないものは、西日本の染物屋に依頼しました」
売り上げも一時は震災前の10分の1にまで減り、通常の注文はほとんどなくなってしまいました。「祭りなんてできる状態ではなかったですからね。従業員の雇用を維持できるか不安でした」
そんな中、付き合いがあった中学校が避難所になっていると知り、永野さんはタオルを届けます。そこで、被害状況や避難生活を送る地域の人たちの姿を目の当たりにしました。
「地域のためにできることは何か。従業員の雇用を守るために、何か仕事を作らなければとも考えました」
震災直後、営業所で止まっていた材料を自ら取りに行ったため、1カ月分は手元にありました。できる限りのものを使ってできる支援を考え、11年4月に製作したのが前掛けでした。
通常は飲食店の名前を入れる前掛けに「復活宮城」、「いぎなりがんばっぺ宮城」などというメッセージを初めて記しました。前掛けは得意先に配ったほか、1枚3500円で販売し、経費を除く売り上げを義援金として寄付しました。前掛けは1年で2千枚、3年で3千枚以上売れました。
地域の人からは「泥のかき出しで疲労もたまっていたけれど、メッセージに元気をもらった」という声をもらいました。災害ボランティアからも「前掛けをつけたことで相手との距離が縮まった」という反応があったそうです。永野さんは「人と人とのつながりが生まれるアイテムになったと実感しました」と振り返りました。
その後、東北応援の機運が高まったことで、震災で失った神社のぼりやはんてん、祭り衣装、大漁旗などの受注が増え、ピーク時で震災前の1.5倍まで売り上げが回復しました。
父の年齢も70歳近くになった18年に、永野さんが代表取締役に就任しました。「父は常々、このくらいの年齢で代表を交代すると口にしていたので、心構えはできていました。1年弱かけて準備を進めました」
代替わりのタイミングで、すき間風が入る築60年ほどの工場を改築しました。その際、天候に左右されずに染め物を干して乾燥させられるよう、作業場にも業務用エアコンを設置。均一的に製品が作れるようになり、従業員の作業環境の改善にもつなげました。
一方、のれんや前掛けなどは購買層が限られます。永野さんは、永勘染工場のは一部の人にしか知られていないという課題を感じていました。伝統産業を後世に残すため、永野さんは19年、自社のブランディングに着手します。
取引先のデザイン事務所に相談し「染物屋はお客様の思いを染め物で形にしている業種」というヒントを得たことから、「想いを、染めて」という企業理念を作りました。ロゴマークも永勘の「N」と「無限大」をイメージしたものに刷新。様々な色で染められることを示すため、カラフルな色合いに仕上げました。
業界では職人の高齢化が課題になっていますが、永勘染工場では従業員をさらに増やして職人を育てています。現在の従業員は11人で、うち5人が職人です。うち1人は現在産休をとっています。従業員に長く働いてもらうために、永野さんは産休育休制度を導入するなど、社内環境の整備にも取り組んでいます。
「一番若い職人は30代前半なので、若い職人はまだまだ必要です。今後、育成のための制度設計や適正な仕事量の確保に、さらに取り組まなければと思っています」
20年からのコロナ禍で、永勘染工場は再び祭り関係の団体や飲食店からの注文が減り、対面営業もできなくなりました。コロナ前と比べ、売り上げが半減してしまいます。
そこで、取引先が対面でなくてもスムーズに注文ができるよう、20年、国の「IT導入補助金」を活用し、顧客がスマートフォンで自分の好きなイメージにデザインができるツール「デザインシミュレーター」を導入しました。
スマホで文字を入力して、書体を変更してイメージを確認することができ、作業工数も短縮。その手軽さから計1千枚以上の注文が入りました。
さらに、永野さんは仙台市中小企業チャレンジ補助金を活用し、ブランディングを手がけたデザイン事務所と共同で新商品開発に取り組みました。そこで生まれたアイデアが、自転車愛好家がかぶるサイクリングキャップでした。
「デザイナーが趣味で自転車チームに入っていたことから、ヘルメットの中に着用する手ぬぐい生地のキャップを作るアイデアが浮かびました」
手ぬぐいは生地が薄くて軽いので、お尻のポケットに帽子を入れることが多い自転車ユーザーの需要に合致しました。また、吸水性が高い上に乾くのも早く、ヘルメットと一緒に着用する帽子に適した材料でもあります。自転車は密にならないスポーツで、市場が伸びていることも決め手となりました。
職人が一つひとつ手作業で染め上げた生地は、絵柄の仕上がりが微妙に異なり、独特の風合いを醸し出しています。染色技術と生地の特性も最大限生かし、これまであまりなかった製品を作り上げました。
「つばの部分の素材は異なるので縫い合わせる必要がありますが、うちでは直線は縫えても曲線をきれいに縫えませんでした。そのため、県内の縫製工場に依頼しました」。自転車チームで試作品を繰り返しかぶってもらい、つばの出る角度を調整しました。
企画から約1年半が経った22年10月、3種類の「染 CYCLING CAP」を発売しました。価格は6千円(税込み)です。自転車関係商品の売り上げが落ちる冬でしたが、発売から10日で80個ほどが売れ、追加生産を行いました。翌11月には仙台市産業振興事業団が主催する新東北みやげコンテストで「お取り寄せ特別賞」を受賞しました。
現在は永勘染工場の店頭とネット販売のほか、仙台市営地下鉄東西線国際センター駅のカフェで販売されています。今後、デザインやカラーバリエーションを増やす計画です。
永勘染工場では震災の経験に加え、工場の目の前に川があり浸水エリアにあたることから、事業継続計画(BCP)を策定しています。顧客のデータを守るためサーバーを建物の2階に上げたほか、クラウド化にも着手しています。「災害は避けて通れません。備えが必要だと感じています」
永勘染工場も円安や材料価格高騰の影響を受け、商品の値上げで対応しています。「綿製品は中国から仕入れているため、価格が高止まりしています。毎年のように商品を値上げしている状況です」
それでも、永野さんは前を向いています。「現況は確かに大変ですが、大震災以上のことではないと前向きにとらえ、取り組んでいます」
早くからホームページの充実を図ったため、今はほとんどインターネット経由で注文が入り、年商は震災直前の8割までになりました。「まず震災直前の金額まで戻し、その後は震災後の売り上げまで回復させたいです」
伝統産業でさらに売り上げを伸ばすために、永野さんは新商品の開発に挑み続けます。「注文を受けて作るだけでは状況は打破できません。世代を問わず使ってもらえるものを作って永勘染工場を知ってもらい、のれんやはんてんなどの受注増につなげていきたいです」
伝統産業を担う5代目は枠にとらわれない発想で、技術の継承に取り組み続けます。
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