気仙沼にある老舗和菓子店「紅梅」は、お菓子の向こう側に見えるお客様の笑顔を大切に、伝統的な製法を守りながら、北海道産の小豆を使用した自家製餡にこだわり、地元・気仙沼に人々に愛されるお菓子作りをしてきました。
気仙沼では老舗のお菓子屋さんということもあり、自己紹介をすると、周りの大人から「お菓子の紅梅さんの息子さんか」と言われました。玄武さんは、それを疎ましく感じるのではなく、誇らしくて仕方なかったと言います。
東日本大震災で店も職人も失った
紅梅のお店は、いつもは穏やかで美しい海のそばに建っていました。
けれども、2011年3月11日東日本大震災により、真っ黒な津波に店も自宅も全て流されました。
当時高校1年生だった玄武さんは体調不良で、偶然にも学校を休んでいたため、家族と一緒に高台に避難できましたが、高台から大好きな気仙沼・店・自宅・紅梅のお菓子のすべてが津波に飲み込まれていく光景を目にします。
一生忘れることのない悲惨な情景からは、未来への不安しか生まれてこなかったと言います。
でも、そのような状況でも、お菓子作りに人生を捧げてきた祖父は、1日でも早い店の再開を願っていました。
震災から半年後に、気仙沼市内の別の場所にお店を開店。
震災後に洋菓子の職人たちが、気仙沼から離れてしまったため、和菓子一本に絞って新しいスタートを迎えます。
菓子屋になる 幼い頃から一度もブレない信念
「昔から菓子屋になる夢はブレていない。でも、震災を機に覚悟が決まった」と、玄武さん。
震災前は、高校卒業後に大学に進学をして経営学などを学んだ後に、知らぬ土地でお菓子の修業に励もうと考えていましたが、それでは間に合わないと決断します。
震災後にたくさんの人が離れていった気仙沼、新しくスタートを切ったお店、大好きな祖父の年齢などを考慮して、1年という短期間で基本的な技術が習得できる菓子製造の専門学校に進路を切り替えたのです。
岩手県盛岡市にある専門学校を卒業後、仙台市内の洋菓子店、石川県金沢市の和菓子店で修業の日々を送ります。
それはすべて、大好きな祖父が命を懸けて守っている、紅梅とその味を守るためです。
大好きな祖父の死 託された言葉を忘れない
「もうだめだ。帰ってきて欲しい」という、気仙沼にいる祖父からの電話が増えてきたと自覚した、1ヶ月後。
祖父の体調が急激に悪化します。
祖父が担ってきた大切なお得意先の菓子製造もお断りすることになれば、企業として成り立たなくなる。
玄武さんは修業先に緊急であるという事情を伝え、1週間で気仙沼に戻ってきました。
それが、2018年9月14日です。
祖父に一緒にお菓子を作ろうと約束していた帰省から2日後の16日、工場に姿を現すことなく、祖父は天国に旅立ちました。
最後に玄武さんに託したのは、「玄武。洋平(玄武さんの父)を頼んだぞ」という言葉でした。
大好きな祖父と父は、お互いに職人同士。幼い頃から、ぶつかる姿を何度も目にしてきました。
祖父と一緒にお菓子を作れなかったことは、玄武さんの一生の後悔です。
だからこそ、大好きな祖父が守り続けてきた、老舗和菓子店「紅梅」は、玄武さんが守るべき宝物なのです。
4代目は餡離れを危惧 若者向けの商品開発に尽力
京都、松江に並ぶ、日本三大菓子処として知名度の高い「金沢」で修業を重ねていた、玄武さん。
修業先のお店でも課題になっていたのが「若者の餡離れ」でした。
気仙沼に戻り、お店の常連客が50代~70代である状況を目の当たりにして、危機感を覚えます。
「味、形、パッケージ、若者向けの商品を作らないと生き残れない」と感じた玄武さんは、創業以来の人気商品である最中や揚げパンを大切にしながら、新しい風を吹かせようと行動を起こし始めます。
地元の高校生が開発した「酒粕ミルクジャム」を使ったクッキーの共同開発や、可愛らしいピンクのパッケージのひと口サイズのチョコレートをイメージした羊羹「プチようかん」など、新商品を続々と発売してきました。
大人気クラフトビールブーム でも年間40トンの廃棄
玄武さんなりのアンテナを張り巡らす中で、クラフトビール醸造所「BLACK TIDE BREWING(ブラックタイドブリューイング)」という企業と出会います。
BLACK TIDE BREWINGは、気仙沼の人たちに誇ってもらえるクラフトビールを作りたいという思いで醸造を始め、その知名度は年々全国区になっています。そして大人気のクラフトビールブームの裏で、醸造工程でどうしても出てしまう「麦芽かす」の存在を知ります。
ビールの主原料である麦芽は大麦を発芽させ、高温で乾燥させたものです。
これを温水に入れてでんぷんを糖化させ、ろ過することでビールの素となる麦汁ができ、ろ過した残りが「麦芽かす」となります。この麦芽かすは、低糖質・高タンパク・食物繊維が豊富で非常に栄養価が高いものの、これまで食用としての利用はほとんどありませんでした。なぜなら、そのまま食べるにはあまりにもおいしくないからです。
実際にBLACK TIDE BREWINGでも年間40トンの麦芽かすが排出されるのに、飼料や肥料としての利用以外は、廃棄している状況がありました。
自慢の餡×洋菓子 「麦芽かす」をアップサイクル
「そのままだと捨てるしかない。でも、菓子との融合で生まれ変わらせることができるのでは」とひらめいた玄武さんは、菓子で「麦芽かす」をアップサイクルすることに挑戦します。
アップサイクルとは、本来であれば捨てられるはずのものに新たな価値をプラスして再生させることです。
一般的に、工場などの食品製造段階で出される「産業廃棄物」は、都道府県等の許可を得て処分するか、認可を受けた委託業者へ処理を有償で依頼しているという現状があります。
その中には麦芽かすのように「食べられないわけではないけれど、そのままでは食用にならない」「自社では廃棄以外の使い道が分からない」という食材があり、経営者たちがもったいないと感じていることも明らかです。
この問題は1社だけで頭を悩ませるよりも、業種が違う他社とアイディアを積み重ねることで、突破口が見えてくることがあります。まさに、和菓子の紅梅とクラフトビールのBLACK TIDE BREWINGが力を合わせて、廃棄されてしまう食材に命を吹き込むチャレンジが始まったのです。
正直、試作品作りは失敗の連続でした。
麦芽かすは独特の「におい」やぼそぼそとした食感があり、まるで牧草を食べているような感覚を覚えます。
とにかく、おいしくないのです。
フロランタン、饅頭、マドレーヌなどの材料に使用してみましたが、作っている本人も周りの反応もいまいちです。
麦芽かすをアップサイクルして、価値に変化させるのですから、簡単にいくわけがないことはスタッフ全員が分かっています。
色んなお菓子で試す中で、最終的にはフランス語で「お金持ち」を意味し、金の延べ棒をイメージして作られた焼き菓子「フィナンシェ」に、紅梅自慢の餡を掛け合わせて勝負をかけることにしました。
アップサイクルの意味にも、ぴったりだと感じたからです。
今回小麦粉の代替材料として、麦芽かすを自社で乾燥させて粉状にしたものを利用しました。
かなりの手間はかかりますが、麦芽かすのデメリットだと感じていたぼそぼそ感を無くすことに成功します。
老舗和菓子「紅梅」の看板を背負っている以上、手間よりも、おいしさを最優先するのは当たり前のことです。
大好きな祖父が生きていたら、どんなアドバイスをくれたのだろうか?
そう思いながら、知り合いのお菓子職人に相談をすると「食材の特徴を消すのではなく、生かすべきだ」というアドバイスをもらった玄武さん。
ビールやホップなどの苦みのある食材は、チョコレートやキャラメルとの相性が良いことも同時に教わり、麦芽かすの独特な「におい」を「おいしい香り」に変化させるように、焦がしミルクチョコや紅梅こだわりの餡をアクセントにすると決めました。
幾度の試作と研究を経て、「HITOTOKI」には、普段の日常を彩るきっかけになってほしいという思いも込められています。
じいちゃん 俺、新しい和菓子作っているよ
麦芽かすをアップサイクルして作られた「HITOTOKI」は、20~30代の女性を中心に、予想以上の販売数となっています。
この結果に先代である父も、多くを語りませんが、玄武さんを認め始めています。紅梅に入社した当時、現社長である父とは、何度も何度もぶつかりました。
でも今は、その関係性にもアップサイクルが見られるのです。
「小さな結果を積み重ねていくうちに、父も認めてくれている。だから、新しいことを自由にできている」と語るその笑顔は、とても穏やかです。
玄武さんの目標は、東北一のお菓子屋さんになることです。
伝統を守っていくことはもちろん、たくさんの人との関わりや地域の課題、他の経営者が抱える悩みなどに共感していく中で、和菓子としての新しい味・形・スタイルを創り上げていきたいと思っています。
祖父の最後の言葉は「玄武。洋平(玄武さんの父)を頼んだぞ」という言葉でした。
託された言葉を忘れることなく、これからも新しい挑戦をし続けていく、株式会社紅梅の4代目。
「じいちゃん。俺、新しい和菓子作っているよ」
これが、天国の亡き祖父に、今、玄武さんが伝えたいことです。
紅梅は和菓子だけではなく、一度はゴミとなった食材にも新たな命を吹き込んで、大好きな祖父が残してくれた伝統を、新たなスタイルで守り続けていきます。