そんな両親の気持ちをつゆ知らず、すぐに華やかな環境に心が躍った私は、勉強よりもギャルである自分に一所懸命。一人暮らしで多少の寂しさを感じていたものの、安心と備えの非常用持ち出し袋をクローゼットの奥に押し込める、またニュースで防災の特集をしていても、興味はゼロに等しい、そんな大学生でした。
社会人、3児の母にもなり、守るべき存在ができたからこそ、ようやく防災の大切さを理解できるようになっていましたが、まったく興味を持てない人の気持ちは誰よりもわかっていたつもり。
防災関連のニュースや新聞記事を見ても「防災についてきちんと考えましょう」「備えは大事。しっかり取り組むべきだ」とコメントしているのは、地震や災害の専門家が多い印象を受けました。
そこで、私がもともと家業の業務内容の1つだった「防災事業」を新しい切り口で世の中に広げていきたいと思った時に、防災とはイメージが遠いワード「ENJOY」と一緒に使っていくことにしました。
SNSで叩かれ SNSに救われた
「ENJOY BOUSAI」をテーマに、SNSで意見を募集し、楽しい・おいしい・オシャレな防災ボックスを企画・発売したところ、1ヵ月間で23社の取材依頼が来ました。
予想以上の反響に驚くと同時に、厳しい意見もちらほらと。
防災を楽しむなんて不謹慎だ、防災は真面目に取り組むものだ、茶髪で防災語るんじゃないなど、SNSを通して否定的なコメントやダイレクトメッセージが届く日もありました。
自社の商品や思いを自由に無料で紹介できるSNSは、大企業のように広告宣伝費を捻出できない中小企業にとって最高の宣伝ツールなのに、投稿すること自体に恐怖感を覚えるようになっていきました。
でも、そんな私を救ってくれたのも、SNSに寄せられたお声でした。防災ボックスを購入したお客様から「リビングに飾りました。安心です」「可愛いので贈り物にします」「味見をしたら、非常食がおいしくてびっくり」「次は甘い非常食が欲しいです」など、実際に使用した感想やリクエストを頂くようになったのです。
その声を1つ1つ集めて企画に生かし、スタンダードな防災ボックスだけではなく、甘い非常食、野菜、食物アレルギーなどの特化した商品を3年間で4ボックス開発。
投稿を重ねるたびに、フォロワーも増えていき、批判ではなく応援コメントも増えていきました。
こだわり抜いたのは、SNSを通して当社のアカウントに寄せられた消費者のダイレクトな声を生かすことです。
テレビや新聞、ネット上の記事は、ディレクターや記者など、誰かのフィルターを通して世の中に発信された情報なので、あえて頼りませんでした。
SNSが存在しない世の中だったら、こんなにも簡単に全国各地の方々の災害時の不安や悩みを聞き出すことが出来なかったと思います。
大切にしているのは 忖度なしの商品選定とSNS投稿
メーカーと消費者の真ん中の存在である、販売代理店の立ち位置に誇りを持っています。
世の中にはたくさんの商品があり、商品の製造元であるメーカーのサイトやSNS発信を見ると、当然のことながら「良いことばかり」が書いてあります。
そこで、当社はあくまでも自分や会社というフィルターを通して【忖度なしに商品の情報を、個人的な主観をたっぷり込めて伝える】ことを意識するようにしました。
防災士として、女性として、3児のママとして、妻として「私は実際に使ってみて、食べてみてこうでした」という発信方法です。
人間は価値観も好みもさまざまなので、正直な気持ちをSNSで発信し、そこにもしよかったら、参考になればのスタンスで通販サイトのURLもつけています。
正直な感想を投稿するので、メリットだけではなくデメリットも書いてはいますが、通販の売り上げにマイナスの影響はありません。むしろ、フォロワーの方々からは「デメリットも事前に分かっていた方がいい」「西谷さんのフィルターを通して選ばれた商品なら買う」などの、うれしいメッセージも寄せられます。
ENJOY BOUSAIというブランドを立ち上げた、5年前から変わりません。
良いことも、悪いことも、お客様の声が直接届くことで、一度生まれた商品も企画も、ブラッシュアップしようという気持ちが湧いてきますし、常にリアルな声を反映できるので、災害時に本当に必要なものが見えてきます。
西谷の大きな転機の1つ 東日本大震災
創業276年の有限会社西谷。「お薬と生鮮食品以外は何でも売っている」をキャッチコピーにしている、山形の小さな商社です。日用品・衛生用品・消防・防災用品・動画・HPなどのコンテンツ各種、さまざまな事業を進める中で、あくまでも防災はその1つでした。
そんな私たちにとって、一生忘れることができない東日本大震災が起こります。
会社の前に自衛隊の車両が何台も止まり、当社から食料や遺体を包む袋、衛生用品などを積んで被害が大きい地域へと出発していく光景。遺体を包む袋も何百枚も渡しました。地震から3日後には、ガソリンも不足、信号も停まっている中で福島県の南相馬市から「水のポリタンク1つ」を買い求めに来られた男性と一緒に涙を流しました。
東北にある防災用品を扱う企業として、今までと同じではダメだと思いました。
もしもの時にもっと頼られる企業でありたい。もっとお客様によりそいたい。何かあっても「有限会社西谷さんがいるから大丈夫」と思って頂けるような企業にならなければと思いを新たにしました。
山形から全国へ、私たちなりの防災を発信していくのが、使命だと思っています。
ENJOY BOUSAIをはじめたきっかけ
全国的に地震や水害が目立ち始めた、2019年。個人のお客様から「非常食を備えたい」「アイテムを販売して欲しい」というお声が増えてきました。でも、当社は行政や民間企業との取引が中心のため、個人向けの商品はありませんでした。有限会社西谷のルーツは近江商人です。
「売り手よし、買い手よし、世間よし」の考えを大切にしてきたからこそ、お客様が本当に必要としているものをお届けしたいのです。東日本大震災のような災害はいつ来るかわからない。
お客さまと一緒に助かるために、防災グッズを扱う企業として、備えの大切さをもっと伝えていきたい。
このような気持ちが、社員1人1人の中で大きくなっていきこれまでになかった防災をつくろう。
本当に必要なものを届けようと決意につながり、2020年にENJOY BOUSAIシリーズを立ち上げました。
能登半島地震でSNSに迷い 投稿のカラーを変えた
東日本大震災大震災を経験したからこそ、2024年1月1日に起きた能登半島地震の時に、SNSを発信することに、最初は大きな迷いがありました。
防災用品を取り扱っている業者が発信をしても「こんな時に営利目的なんて」「ここぞとばかりに売ろうとしている」と思われてしまうのではないかと懸念したからです。
そこで、Instagram、Facebook、Xと当社の公式アカウントがあるSNSの中でも一番フォロワーが少ないため、影響力もそんなにないだろうと考えたスレッズで、自分の中では気軽に防災に関する投稿をしていくことにしました。
能登半島地震の時には「心がザワザワしない投稿」を意識した上で、災害の状況、世の中の状況に合わせて、投稿のカラーも変えていくようにしました。
イチ業者ではなく、1人の母親、1人の女性としての発信です。
皆さんと同じ目線で、防災に関するちょっとした豆知識を皆さんにお伝えできたらいいなという気持ちでした。
- サバ缶をそのまま子供たちの前に置いて、缶詰から直接食べておいしいと知っておくのも防災
- 実際に小学1年生の娘と一緒に、6リットルの給水袋を背負ってみての感想
- 女子高生が「前髪崩れると死にそうになる」というエピソードを用いて、災害時にもオシャレに罪はない
- 子どもの心を落ち着かせるために、おもちゃや絵本も大事という投稿
- 東日本大震災の時に、明るい色で心が救われたという人が多かったので、目から元気がもらえるような明るい色の画像を意識的に
販売業者としてではなく、母親や女性の目線から、より日々の生活にいかしてもらえるような投稿をしていきました。
すると、1週間でフォロワーが2500人になり、2週間で5000人近くになりました。
多くの方に知ってもらうことがリアルにつながる
フォロワーの数に一喜一憂することは、あまりありません。
ただ増えると素直にうれしさを感じるのは、多くの方に知ってもらえることが、リアルにもつながってくると実感しているからです。
特に顕著な反応が見られたのが、地震前はほとんど売れることのなかった【大容量・防水・2WAY】発災から24hを考えたBAG~これ1つで安心とおいしさを~】という商品です。
結構な金額がするので、正直ほとんど売れませんでしたし、実際にお客様からは「金額が高すぎる」「高くて買うのに勇気がいる」と言われていました。
そこで、こんな投稿をしました。
「3万円の商品は高いと言われます。確かに、高い。でも、給水袋にもなる大容量のリュックに入っている商品1つ1つを集める手間と時間、それに対する送料をひっくるめて考えれば、決して高すぎないのではないか?」と。加えて、しつこいくらいに、リュックの中に入っている商品の画像もアップしました。
160㎝の自分がリュックを背負っている写真、給水袋にもなるリュックに水を入れたみた写真、アイテムを全てリュックに入れた時の容量の写真など、1人Amazonレビュー状態です。
SNSの投稿1つで「このリュックはただ高価」ではなく「このリュックは確かに高価だけど、相応の値段である」ということをお客様に伝えることができました。
その結果、これまでほとんど売れなかったリュックが、1ヶ月で13セットも売れました。
独自性と企画力で 大丸松坂屋百貨店とENJOY BOUSAI
防災の常識を超えていくをテーマに、おいしい・楽しい・オシャレな防災を追求する、西谷の「ENJOY BOUSAI」。防災とはあまり縁のなかった業界へ飛び込んでいきたいと考えました。
そこで、世界中のたくさんの人が利用する東京の玄関口にある、大丸松坂屋百貨店に提案しました。当社のような地方の小さな企業、また自社でゼロから製造しているわけではなく、他社の商品を仕入れしている身では、どう頑張っても他社との戦いが生じたときに負けてしまいます。
そこで百貨店業界という、防災のイメージがあまりない業界に認められること。また、防災は継続してこそ意味があるとの考えから、お取引そのものも継続していくことを実現するべく、【これまでになかった独自性】と【これまでになかった企画力】を打ち出していくことにしました。
2023年の年末の非常食の福袋、百貨店業界では非常に珍しい防災特集、毎月防災意識を思い出すことができる定期便サービスなど、これまでになかった防災の企画を一緒に実現することができました。
有限会社西谷を取引先の1つとして、長く魅力を感じてもらえるように「商品を販売するだけではない。備える楽しさや新しい価値観ごと、販売していく」という気持ちを忘れることなく、突き詰めていく決意があります。
防災は継続が大切 楽しくないと続かない
「防災は継続が大切。楽しくないと続かない」という想いは、一度も曲げないできました。
メディアに取り上げて頂く機会が増えてきたものの「防災の記事は、堅苦しくてPV数が伸びにくい」「防災は日常生活とはかけ離れているテーマだ」と言われることもあります。
まだまだ防災は、特別なものであり、日常に落とし込んで頂けるように努力が必要なのだと感じています。
防災が日々の生活に一部になれば、いざという時に助かる人、安心する人、そして笑顔も増えるはずです。
これからもENJOY BOUSAIを続けていきます。
目の前のお客様の気持ちに、少しでも防災の芽が芽吹くまで。