山の上ホテル、明治大学が継承 「改修してホテル機能を継続」
明治大学は2024年11月15日、川端康成、三島由紀夫、池波正太郎らの定宿として愛されてきた「山の上ホテル」が建設されている土地と建物を取得したと発表しました。現状の外観を維持したまま必要な改修工事を施したうえで、専門業者と連携しホテル機能を継続させるとともに、学生支援、地域連携、社会連携の機能としても利活用ができるよう検討しているといいます。
明治大学は2024年11月15日、川端康成、三島由紀夫、池波正太郎らの定宿として愛されてきた「山の上ホテル」が建設されている土地と建物を取得したと発表しました。現状の外観を維持したまま必要な改修工事を施したうえで、専門業者と連携しホテル機能を継続させるとともに、学生支援、地域連携、社会連携の機能としても利活用ができるよう検討しているといいます。
山の上ホテルは、JR御茶ノ水駅から徒歩5分。英名“HILLTOP HOTEL”の通り、神田駿河台の高台に位置しています。周りに高層ビルが立ち並んでおり、今では眺望を楽しむことは難しくなっていますが、それでもアールデコ様式の建物は多くの利用客から人気を集めていました。日本で多くの西洋風の建物を手がけた建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計で、35室の客室のどれ一つも同じレイアウトがありません。
日本初の美術館である東京都美術館を寄付したことで知られる九州の石炭商佐藤慶太郎氏が設立し、西洋の生活様式、マナーなどを啓蒙する施設として利用されていました。
しかし、太平洋戦争中には帝国海軍に徴用、日本の敗戦後には連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収されてからは陸軍婦人部隊の宿舎として使われていました。今でも一部の部屋のドアノブが高いのは、このころの名残だと言われています。
1954年(昭和29年)1月20日、ホテルとして営業を始めました。
出版社が集まる神保町に近いため、作家が「カンヅメ」で執筆するときに使われており、締め切り前には、ホテルロビーに原稿を待つ編集者であふれかえったというエピソードも残っています。
しかし、竣工から86年を迎える建物の老朽化への対応を検討するため、2024年2月から休館していました。
明治大学の公式サイトによると、山の上ホテルは、1937(昭和12)年、明治大学の校友である佐藤慶太郎氏(1890年卒業)の寄付をもとに、当時の生活困窮者の生活改善などを目的に全国的規模で展開した「大日本生活協会」の本部として「佐藤新興生活館」という名称で建設された建物が始まりだと紹介しています。
明治大学は2031(令和13)年に創立150周年を迎えることから、その記念事業の一環として、山の上ホテルの再整備することを明らかにしました。
現状の外観を維持したまま必要な改修工事を施したうえで、専門業者と連携しホテル機能を継続させるとともに、新たなシンボルとして学生支援、地域連携、社会連携の機能としても利活用ができるよう検討しています。
明治大学広報課は「詳しい整備計画や時期については決まり次第、公表していきたい」とコメントしています。
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