勘に頼らず「数値管理」で生産拡大した獺祭 成功した酒蔵の経営戦略
酒蔵は地方のファミリービジネスの象徴的存在です。バブル崩壊以降、日本酒業界は低迷していましたが、酒造りの伝統を大切にしながら味を進化させた後継ぎたちが次々と現れています。その海外戦略や設備投資、新商品開発といった経営革新は、多くの中小企業にとってヒントになるのではないでしょうか。
酒蔵は地方のファミリービジネスの象徴的存在です。バブル崩壊以降、日本酒業界は低迷していましたが、酒造りの伝統を大切にしながら味を進化させた後継ぎたちが次々と現れています。その海外戦略や設備投資、新商品開発といった経営革新は、多くの中小企業にとってヒントになるのではないでしょうか。
国税庁が2020年に発行した「酒のしおり」によると、清酒製造業(酒蔵)の出荷額は1993年の約1兆円をピークに右肩下がりとなります。2011年の3855億円で底を打ち、2017年には4553億円まで持ち直しました。1リットルあたりの販売単価は615円(2011年)から710円(2017年)となり、付加価値の高い酒が、出荷額を押し上げたことがうかがえます。
中でも、精米歩合などにこだわった高品質な日本酒「特定名称酒」のニーズが高まっています。日本酒全体の出荷量(課税移出数量)は大幅に落ち込む一方、特定名称酒は近年、ほぼ横ばいで推移しています。
特定名称酒の中でも純米酒と純米吟醸酒に限れば、4万2000キロリットル(1988年度)から、11万3000キロリットル(2018年度)に跳ね上がりました。
こうした傾向に、国税庁は「酒のしおり」で「酒類業界の大半は中小企業ですが、商品の差別化、高付加価値化、海外展開等に取り組み、成長している事業者も少なくありません」と指摘しています。
酒蔵では事業承継を境に、後継ぎが経営革新を主導しているケースが目立ちます。
その中でもトップリーダーと呼べるのが、「獺祭」で知られる山口県岩国市の旭酒造です。3代目で現会長の桜井博志さんは、父の急死で1984年に社長に就任しました。失敗を重ねながら、たどり着いたのが、新しい酒造りのスタイルでした。
それまで製造は専門家の杜氏に任せていましたが、自分たちの手で純米吟醸酒「獺祭」を造るようになりました。杜氏の経験や勘ではなく、酒造りのプロセスをデータ化した数値管理で品質を高めました。季節労働の杜氏に頼らないことで、通年生産ができるようになり、販路を全国へと広げました。2015年には12階建ての本社蔵を作り、生産能力を大幅に高めています。酒米の山田錦を77%削った「獺祭 磨き二割三分」は看板商品となりました。
2016年、博志さんの長男・一宏さんが4代目社長になりました。その10年前に入社した一宏さんは、獺祭の輸出などの海外展開を仕掛けてきました。2018年にはパリでフランス料理の巨匠、ジョエル・ロブション氏との共同店舗「ダッサイ・ジョエル・ロブション」をオープン。米ニューヨークでは新しい蔵も計画しています。
今では、獺祭の輸出先は20カ国以上となり、全売り上げの3割が輸出になったといいます。山奥にある小さな酒蔵から始まった挑戦は、代替わりを経て新たなステージに入りました。日本酒に限らず、飛躍を目指す多くの中小企業にとって、モデルケースの一つです。
1852年に創業した秋田市の蔵元「新政酒造」も、8代目社長の佐藤祐輔さんが、「新政」を大きく飛躍させました。
佐藤さんは東京大学を出てジャーナリストになり、30歳を過ぎて家業に戻りました。安価な普通酒から、すべての酒を純米酒に変える決断をしました。ツギノジダイのインタビューでは、純米酒に切り替えた理由をこう語っています。
「普通酒を飲むのは60~70代が中心で、蔵は徹底的にコストを削減しなければいけません。蔵を若手中心にして、やりたい酒を造ろうと思えば、普通酒と純米酒は両立できませんでした」
価格を上げ、新政を出荷する酒販店の基準も全国一律にしたため、反発もありました。それでも経営改革を進めました。
新政は、秋田県産の酒米と自社で採取した「6号酵母」にこだわり、手間のかかる生酛純米造りを貫いています。木の桶を大量に仕入れ、伝統回帰の酒造りを行っています。代表的銘柄「No.6」は全国的な人気です。
佐藤さんは「僕は純粋な造りにあこがれています」「理解してくれる人に分かってもらえれば成り立つくらいの経営規模なら、自分が客観的に見て妥当だと思えば、それにかけるべきではないでしょうか」と話しています。
老舗の看板を背負いながら全く新しい銘柄を造ったのが、三重県名張市の木屋正酒造6代目・大西唯克さんです。2004年、経営も製造も一手に担う「蔵元杜氏」となり、生み出した銘柄が「而今」でした。
大西さんはツギノジダイのインタビューで、「僕が杜氏として手掛けたお酒は新ブランドとして出したかった」「酒質の設計はもちろん、販売方法に至るまで、今の時代にあった方法を試してみたかった」と振り返っています。
蔵人による伝統的な技法や文化は大切にしつつ、最新のテクノロジーや科学的根拠で改善できる点は積極的に取り入れました。
昔は温度計で何度も見に行って確認していた、麹室の温度管理をデジタル化。自動的にスマホで温度を見られるようになりました。酒母室、お酒をしぼる機械、瓶貯蔵庫も外気の影響を受けないよう、順次冷蔵庫化していきました。
大西さんは「麹室の改修、冷蔵庫の増設、サーマルタンクの導入など、多少無理をしてでも毎年設備投資してきました。年々生産量を増やすことができ、この15年間で約10倍になりました」と話します。
而今も全国の日本酒ファンに愛される銘柄になり、2016年の伊勢志摩サミットでは、各国首脳の食中酒に選ばれました。生産量は増やしながらも、販売は全国38店舗の特約店(2020年9月現在)に限定し、品質を守るための戦略を立てています。
異業種から家業の酒蔵に転身し、新商品を生み出した後継ぎ経営者もいます。兵庫県丹波市で170年の歴史をもつ酒蔵「西山酒造場」の6代目・西山周三さんは、読売テレビ放送の営業マンを5年間務めた後、家業に戻りました。
日本酒離れに危機感を抱いた西山さんが2011年に開発した商品が、こうじ甘酒を砂糖の代わりに組み合わせる「甘酒ヨーグルト」でした。原料は、新鮮なヨーグルトと米だけで造るこうじ甘酒のみ。甘酒ヨーグルトは今では累計売上で200万本を超えるようになりました。
西山さんは「自社を守り、伝統を次の世代にも引き継いでいくためには、止まった時間を動かすことが、我々経営者の使命です。現状を見つめ直し、変化を恐れず、行動すること。そしてこの意識を全社で共有することが、何よりも大切」と話しています。
ファミリービジネスが主流の酒蔵ですが、後継者不足が深刻になる中、第三者承継の動きも生まれています。新潟県佐渡市の天領盃酒造は2018年、当時24歳だった加登仙一さんが社長になりました。
加登さんは千葉県生まれで酒蔵との縁はありませんでしたが、日本酒に強い興味を抱き、経営を志しました。外資系証券会社で経験を積み、天領盃酒造の経営権を取得しました。
不要なリース契約をカットし、物流コストも抑える経営改革をしながら、自ら酒造りを学びました。就任初年度で黒字転換し、2019年は自社銘柄の「雅楽代」を3カ月で完売しました。
加登さんは朝日新聞の取材に「一番飲んでほしいのは、日本酒に悪いイメージを持つ若い人です。おいしいお酒があると知ってもらい、自国の文化を自信を持って話すきっかけになってほしい」と話しています。
酒蔵の後継ぎたちが果敢に仕掛ける経営革新には、事業承継を成功させるためのヒントが詰まっているように感じます。
【参考文献】
・逆境経営(桜井博志著、ダイヤモンド社)
・漫画「獺祭」の挑戦(弘兼憲史著、サンマーク出版)
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