目次

  1. はじめに
  2. 経営危機を迎えた会社の事例
    1. A社の沿革と概要
    2. A社から受けた相談
    3. 息子から受けた相談
  3. 承継に備える三つのアドバイス
    1. 株式譲渡契約
    2. 建設業許可要件への対応
    3. 任意後見契約移行型の締結
  4. 経営者が倒れた後の影響
    1. 親子関係の悪化
    2. 経営不安が強まる
    3. 従業員からの反発
    4. 職務執行全般に支障
  5. 事業承継を途中でやめた理由
    1. 任意後見契約移行型の認知度
    2. 経営譲渡への心理的抵抗
  6. 認知症に備えた事業承継対策を

 前回は、経営者が認知症などで判断能力が低下したら、法的行為ができなくなり、経営者が100%株式を所有している場合は株主総会が開けなくなるなど、会社運営上のデメリットについて伝えました。

 高齢の経営者が元気なうちに事業承継の準備を進めるのが理想ですが、感情やプライドが阻んで、適切な対策ができなかったというケースは、少なくありません。対策に取りかかること自体が一番大きなハードルで、廃業寸前まで追い込まれる中小企業も多々あります。

 今回は、筆者が実際に相談を受けた中から、経営者が事業承継の準備をためらっているうちに急病で倒れて認知症が進み、経営に著しい悪影響があったケースを紹介します。

 失敗事例を知ることで、後継ぎのみなさんは人ごととは思わず、家族会議、または経営会議を開き、先代の意識変革を働きかけましょう。

 今回、紹介するのは建設業A社の事例です。概要は以下の通りになります(個人情報保護の観点から、一部設定を変えています)。

 建設業の代表取締役Bさん(70代後半)が突然、病気で倒れ、認知症が進んでしまいました。そのため、本社の新築ができず、あわてて息子のCさん(30代)を取締役に。建設業許可要件を維持するため、経営者の知人のDさんに取締役に就任してもらう急場しのぎの対応をした結果、従業員に不安が広がり、離職者が広がったため、廃業危機に陥っています。

 まずはA社の成り立ちと、私が相談を受けてから、廃業危機に陥るまでを時系列でみてみましょう。

  A社の沿革や概要は以下の通りです。
 
 · 1980年設立の建設業許可業者
 · 従業員数は10人(正社員8人、パート従業員2人)
 · Bさんが1代で築いた会社で、株式も100%所有
 · Bさんが建築士免許をもっていたことで信頼され、仕事も増加

 役員もBさん1人だけで、後継ぎとしてBさんの息子のCさんが、従業員としてサポートしていました。Bさんは健康に自信があったので、高齢になっても事業承継対策はしていませんでした。

 2018年、知人の紹介でA社の事業全般のサポートを始めました。1年後には、以下のような相談を、BさんとCさんから受けました。

 ・事業拡大のため、手狭になった本社を移転するプロジェクトを進めたい。

 ・Bさんが新本社用に、自身が所有する土地を用意したので、2020年中には移転したい。

 一方、私はこの時期にCさんから内緒で、以下の報告も受けました。

 ・ Bさんは糖尿病を患っており、健康状態に不安がある。
 ・ 高齢になったせいか、言うことがコロコロ変わり、物忘れも増えている。

 このため、Cさんは「本社移転計画が実現するまでに、Bさんが認知症になったり、病気で動けなくなったりしたらどうしよう」と心配していました。

 Bさんが認知症になってしまうと、以下の事態が想定され、Cさんの不安の種になっていました。

 ・ 契約や法律行為が制限される。
 ・ Bさん所有の土地に本社を建てる際、金融機関からの借り入れができなくなったり、建築請負契約も締結できなくなったりして、本社移転計画自体が進まくなる。
 ・ 仮にCさんが取締役になっても、代表権がない以上、対応できない。

 さらに、A社が持っている建設業許可について、いくつかある許可要件のうち「経営業務の管理責任者」については、Bさんが就任していました。しかし、認知症等で成年後見人が付いた方は原則、「経営業務の管理責任者」になれません。例外的に、判断力に問題が無いという医師の診断書があれば就くことができますが、確実ではありません。

 そのため、Bさんに不測の事態があった場合、許可の維持に支障をきたす可能性がありました。

 私はCさんの相談を受けて、Bさんの気分を害さないように、こう伝えました。

 ・ 本社移転計画に着手する前に、いつでもCさんがBさんの代わりができるような準備が必要。

 ・ 万が一、Bさんが倒れた場合を考え、任意後見契約移行型を締結することで、資金借り入れの時期までに、Bさん所有の土地に本社を建てる手続きをしておく必要がある。

 具体的には、三つの備えについてアドバイスしました。

 私は、株式譲渡契約による事業承継の準備を進めました。できれば株式全体の3分の2をCさんに移転することを伝えました。株式全体の3分の2以上を持っておくと、事業承継において必須となる株主の決議のうち、重要な事項を決めることができるためです。

 しかし、Bさんは所有する株式のうち、60%をCさんに売却するにとどめました。躊躇した理由は話してもらえませんでした。

 会社の役員がBさん一人だけでは、建設業許可要件を継続するのに不安要素が残ります。建設業の許可要件は複数ありますが、そのうち「経営業務の管理責任者」については、常勤の役員のうち1人が、原則、役員として建設業を5年以上経営した経験が必要でした(2018年当時)。

 つまり、「経営業務の管理責任者」のBさんに不測の事態があった場合、他に5年以上役員経験のある人がいなければ、代わりに「経営業務の管理責任者」に就任する者がおらず、建設業許可の要件を満たさなくなってしまいます。そこで、後継ぎを、早い段階で取締役に昇格させ、代表権も与えることで建設業許可要件を万全にしておくように助言しました。

 しかし、Bさんは、本社移転計画の着手直前の株主総会で、Cさんを取締役に加えることには了承しましたが、正式な就任は数年後としました。さらに代表権までCさんへ渡すことは、躊躇し続けました。A社は自分一代で築いた会社で、Cさんに代表権を渡すと、自分を否定されたような気がするというのが、拒絶の理由でした。

 本社の建物を建てたり、契約や土地を担保に金融機関から融資を受けたりする契約締結などに備えるため、委任者をBさん、受任者をCさんとする「任意後見契約移行型」の締結を提案しました。締結すれば、CさんはBさんが病気になっても、代わりに契約行為を進められます。

 Bさんは当初はアドバイスに耳を傾け、任意後見契約移行型の締結準備を進めました。しかし、締結直前になり撤回してしまいました。その理由は、「自分の財産をCさんに取られた気がする。気に食わない」という感情的なものでした。

 Bさんは「自分が目の黒いうちは自分がやりたいようにする。倒れても復帰するつもりだから事業には支障はない」と言い続け、本社移転を実現するためのアドバイスは、聞き入れられないままでした。

 しかし、2019年夏、本社移転プロジェクトに取り掛かろうとしていた矢先に、Bさんが脳梗塞で倒れました。幸い一命をとりとめましたが、完全には元の生活に戻れない状態となり、認知症も進んでしまいました。

 2020年初頭、Bさんが代表取締役として形だけ会社経営に復帰しましたが、医師には「もう経営判断はできる状態ではありません」と言われました。実務上は動けない経営者になってしまったのです。

 その後の状況は次のようになりました。

 Cさんは子どもとしてBさんの介護を担うことになり、精神的、肉体的に疲弊し、親子げんかが増えました。BさんもCさんに、つらく当たるようになりました。

 その結果、親子関係にヒビが入り、仕事とプライベートを分けることができなくなり、2人とも仕事に感情論を持ち込むようになってしまいました。

 Bさんの認知症進行で建築請負契約ができず、Bさんの土地に本社建物が建てられなかったうえ、土地を担保に入れる契約もできず、A社は銀行からの融資を受けられませんでした。

 さらに、金融機関や取引先がBさんの認知症進行のことを知り、今後のA社の経営に対する不安をCさんに尋ねるようになりました。

 Bさんが認知症診断を受けてから、慌てて臨時株主総会でCさんが取締役として就任しました。ただ、若いCさんの斬新な考えに対して、それまで社長についてきたベテランの従業員は、反発してしまいました。

 任意後見契約移行型を締結しないまま、Bさんの認知症が進み、やむなく弁護士が成年後見人につきました。Bさんの取締役の地位はすぐには失わなかったとはいえ、本社建設用の土地も含めたBさんの個人財産を後見人が掌握することで、職務執行全般に支障が生じ始めました。

 また、認知症が進行したことで、Bさんが経営業務の管理責任者を続けられなくなり、建設業許可の要件を満たさなくなる可能性が出てきたため、建設業を行う他社で十分な役員経験があり、経営業務の管理責任者に就任することができるDさんを、慌てて取締役に迎えることになりました。その結果、従業員がさらに反発し、退職者まで出てしまいました。

 そもそも、なぜBさんは、事業承継対策を途中で撤回してしまったのでしょうか。その理由について、私がA社とやり取りを重ねる中で、二つのポイントが見えてきました。

 一つは、任意後見契約移行型という手続き自体の認知度が低く、Bさんには理解しにくかったということが挙げられます。

 実際、任意後見契約の件数はどれくらいなのでしょうか。

任意後見契約の締結件数(法務省統計をもとに編集部が作成)

 法務省統計によると、2019(令和元)年に、任意後見契約締結件数は1万4102件を記録しました。一方、厚生労働省によると、認知症患者の数は、2012年時点の462万人から、2030年には830万人と試算されています。これだけの人が認知症になるにもかかわらず、その備えとしての任意後見契約移行型を活用している人が、まだまだ少ないのが現状です。

 Bさんには、この契約が本当に必要なのか、疑問に感じたのではないかと考えられます。

 また、今まで第一線にいた経営者が、経営権を後継ぎに渡すことの心理的な抵抗感があったのではないかと思います。実際、Bさんは私に対して「まだ自分は大丈夫」、「財産も地位も自分のもの」と発言していました。 

 息子のCさんは経営とBさんの介護に奔走しています。立て直しにも時間がかかるでしょう。

 認知症は遠い世界の話ではありません。後継ぎはまず経営者に「認知症に備えて、事業承継対策を始めましょう」と提案し、それを実行するべく、会社全体を巻き込むべきでしょう。

 事業承継対策には、感情論もプライドも必要ありません。大きなプロジェクトを実行する前に、後継ぎは経営者に対し、任意後見契約移行型で万が一の時に、自分が動ける体制をつくるように促し、株式譲渡や役員などの会社組織を万全にしておくべきです。

 後継ぎの皆さんは、今回の事例を教訓に「自社ではどうなのか」をじっくりと考えるきっかけにしてほしいです。A社のような事態を避けるため、今から真剣に現実に向き合い、家族会議や経営会議を行ってください。