創業は敗戦後、米国生まれの日系2世たちが大阪で貿易業を始めたのがきっかけ。社名は「二世商会」。1951年、アメリカで人気が出ていると知ったソフトクリームの製造器であるフリーザーを10台ほど日本に輸入した。

 その年の7月、進駐軍が東京で開いたカーニバルで日本人向けに初めてソフトクリームが販売された。「これはいけそうだ」と、二世商会はソフトクリームの生産販売を始める。街頭テレビに群がる人たちに売れに売れた。阪急百貨店や大丸などの食堂でも大人気になった。

 1970年の大阪万博でも大いに売れて、ソフトクリームは全国に広がった。

 万博の前年、いまの社長、岡山宏さん(75)が日世に入社した。和歌山生まれで関西学院大を卒業した彼は、希望していた商社への就職ができず、知り合いに紹介された日世に入った。

 新入社員は、スーパーなどの店頭で、ソフトクリームづくりの手伝いをする。入社半年のある日、丁寧につくって男の子に手渡した。その子が口にして、ニコッと笑った。岡山さんは痛感した。

 〈これには人を幸せにする力があるんやなあ〉

阪急電鉄の大阪梅田駅に直結する商業施設「阪急三番街」にある日世の店舗「SILKREAM(シルクレーム)」。飲み物にもソフトクリームを使うなど、様々なメニューがある。(撮影のためマスクと手袋を外してもらいました)

 日世は、おいしさと溶けにくさを追求しつづけた。食べた人を幸せにするんだ、人と人とのコミュニケーションの輪を広げるんだ、と。

 2015年、岡山さんは社長に。ちょっと高級なソフトなどをつくった。ご当地ソフトの開発は800種を超え、日本中を笑顔にしてきた。

 ところが、新型コロナの感染拡大が影を落とした。人々が外出を自粛し、売り上げが減った。

 さらに、感染防止が叫ばれているので、ソフトクリームを非接触でつくる、つまり、全自動でつくるフリーザーを開発する必要がでてきた。ふわふわ感を再現する難しさを克服したフリーザーは、もうすぐ店頭デビューとなる。

 2025年、大阪・関西万博がある。「日本中、そして世界中のみなさんにおいしいソフトクリームを提供します。うちは大阪代表や、の意気込みでのぞみます。お楽しみに」と岡山さん。(2021年10月16日朝日新聞地域面)

日世

 本社は大阪府茨木市。全国各地と、中国やベトナムに拠点。従業員は計1000人ほど。社名は「日本と世界をつなぐ」から。ヨーグルト用のフルーツもつくる。子どもの職業体験型テーマパーク「キッザニア甲子園」(兵庫県西宮市)に出展しており、ソフトクリームショップの仕事を体験できる。