子どもは近代アーティスト? 世界をみつめる力を身につけるには
「自分なりの視点」で世界を見つめ、「自分なりの答え」を生み出す“アート思考”がビジネスの世界で必要な力になりつつあります。美術教師の末永幸歩さんがアート思考を身につけるためのレッスンを展開します。今回は子どもの視点から「みつめること」について考えます。
「自分なりの視点」で世界を見つめ、「自分なりの答え」を生み出す“アート思考”がビジネスの世界で必要な力になりつつあります。美術教師の末永幸歩さんがアート思考を身につけるためのレッスンを展開します。今回は子どもの視点から「みつめること」について考えます。
こんにちは。美術教師の末永幸歩です。
物事を新たな角度でみつめ直す「アート思考のレッスン」へようこそ。
小さな子どもの行動を観察していると、様々なものの見方で、目の前の世界をよくみつめていることに、ハッとさせられます。
暖かい日差しが部屋に差し込んでいたある午後のこと、1歳半の娘が宙に手を伸ばしていました。
娘の手の先に目を向けてみましたが、変わったものは特にありません。
しばらく観察していてようやく気がつきました。部屋に舞ったホコリが、窓から差し込んだ光でキラキラと輝いていたのです。
上下左右に不思議な動きをしながら空中で踊る無数のホコリに気がつくまでに、私はかなり時間がかかりました。
「見ようと思って目を向けたものしか見えていないのだ」ということに気がついた出来事でした。
また、公園で過ごしていたときのこと、娘が落ちていた小石で、排水溝の鉄柵を何度も叩いていました。
ただひたすら石を叩きつけているだけのように見えましたが、耳を傾けてみると、なかなか良い音がしています。
「カンカン」という鋭い音ではなく、排水溝に音が反響し楽器で奏でたかのような心地の良い音色となっていました。
おそらく初めは、たまたま手にとった小石で鉄柵を叩いてみたのでしょう。ただ、すぐにその音色に気がつくことができたのは、娘が普段から耳を研ぎ澄ませ、世界をみつめていたからに違いありません。
こうしたことは他愛ない日常の出来事ではありますが、このような場面からも、小さな子どもがいかに様々なものの見方で、目の前の世界をみつめているのかがわかります。
19世紀の詩人シャルル・ボードレールは、子どもを「近代アーティストの純粋な原型」と呼びました。
これは、「子どもはアーティストのように絵を描くのが好きだ」という表層の話ではありません。子どもと近代アーティストの最大の共通点は「様々なものの見方をして、目の前の世界をみつめている」という点です。
ボードレールが「純粋な原型」といったように、子どもはそれを意識せずとも自然と行っています。
しかし、大人になるにつれ、教育や環境によって刷り込まれた固定的なものの見方から一歩離れて世界をみつめ直すことは難しくなっていきます。
多くの人が知らぬ間に失っていくこの力を、大人になっても意識的に持ち続けられることが、近代アーティストたちにみられる特徴です。
変化が大きく先行きの見えない現代では、ビジネスにおいても、新しい価値創造の必要性が高まっています。
こうした時代背景から、「アーティストのように、世界をみつめる力を身につけたい」と思う人は多いようで、デッサンをしたり、絵画鑑賞をしたりして「観察力」を鍛えるセミナーや書籍を多数見かけるようになりました。
観察力に関しては、私は多少なりとも自信を持っています。というのも、私は美術大学の絵画研究室出身なのですが、美大に入る以前に静物や人物のデッサンを学んでいたからです。
幼少期から絵が好きでよく描いていたので、デッサンを学び始めたばかりの頃も、自分の描いた絵を見て「実物どおりよく描けている」と惚れ惚れしたものです。
しかし、体系的に学んだあとで初期の絵を見返してみると、ある一部の影がやたらと濃く描かれていたり、気になった部分がやけに細かく描き込まれていたりする一方で、注目していない部分は密度が低くスカスカだったりと、正確な写生とはかけ離れた未熟な表現でした。
デッサンを学んだあとでは、影のつき方や光の当たり方などを体系的に理解したり、細部や全体をまんべんなく見たりして、対象物を客観的に観察することが出来るようになっていました。
画塾での評価などからも、自分のデッサンの腕前が上がったことを実感し、「アーティストとしての基礎的なものの見方が身についた」と思いました。
ですが、今になって考えてみると、その時の私には「観察力」は確実についていたものの、アーティストの「みつめる力」はまったく身についていなかったのです。
ここで、今一度考えてみましょう。
「みつめる」とはどのようなことなのでしょうか?
「みつめる」とは、すなわち「観察すること」なのでしょうか?
先に結論を申し上げると、「観察力」と、近代アーティストたちの「みつめる力」は違っています。
では、アーティストの「みつめる力」とは一体どのようなものなのでしょうか?
こうした疑問を皮切りに、古今東西、そして個々の近代アーティストにおける多様な「みつめ方」について、これまでの連載を繰り広げてきました。
ここでは、ここまでの連載で考えてきたことを、1つの航海図とともに俯瞰してみましょう。
西洋美術においては、有史以前から14世紀あたりまでの長い期間、「頭でみつめる」というものの見方が主流でした。デッサンやスケッチのように、対象物を客観的に観察して描くという方法は存在しなかったのです。
そこに、「科学の目でみつめる」という、新しいものの見方をつくり出したのが、14世紀のルネサンス画家たちでした。
「科学の目」は、人類にとって相当に大きな視点転換でしたので、その後も近代に至るまで数世紀に渡って多くの画家たちを惹きつけました。
それまでの長い美術の歴史において主流であったはずの「頭」を通したものの見方はすっかり忘れ去られたかのようでした。
しかし、美術の歴史はそこで終わったわけではありません。
19世紀に入ると、それまで完璧だと考えられていた「科学の目」に疑問を抱いたアーティストたちによって、新たなものの見方が次々に生み出されていきます。
同時に、古今東西に存在する多様なものの見方や、小さな子どもがしている、大人とは異なる世界の捉え方も発見されていきました。
このように、「みつめること」について考えていくと、「観察力」すなわち、「科学の目」を通してみつめることは、無数に存在するものの見方のうちの1つに過ぎないのだということがわかります。
それは、世界の正しい捉え方などではなく、長い美術の歴史の中で、ほんの一部の地域で一時期に一部の人たちによってつくり出された認知方法でしかないのです。
では、近代アーティストたちの「みつめる力」の正体とは、どのようなものなのでしょうか。
それは、既存のものの見方を習得し極めたり、それを改良したりすることではありません。
むしろ、既存のものの見方に疑問を呈し、そこから一歩外に出て、新たな角度からものをみることです。
それを自然に行っているのが「近代アーティストの純粋な原型」である子どもであり、意識的に行うことができるのがアーティストたちなのです。
前述の話で、デッサンを学ぶ前の私は、対象物の一部の影をやたらと濃く描いたり、自分が注目した部分だけを執拗に描きこんだりしていたとお話ししました。
そのときの私は、カメラのように目に映ったままを紙に描き出すのではなく、自分の主観を通して「頭でみつめる」というみつめ方を、無自覚に採用していたといえます。
その後、デッサンを学んだことによって、影のつき方、光の当たり方などを理解したり、細部や全体をまんべんなく見たりして、実物により近い絵を描くことができるようになりました。
これは、「科学の目でみつめる」という見方を手に入れた結果です。
デッサンや絵画鑑賞などによって、「観察力」を養うこと自体は、それまでと違う角度からものを捉え直すという点では優れています。
しかし、「科学の目」に染まり、ものの見方がすっかりと更新されてしまっては本末転倒です。
デッサンや絵画鑑賞などを通して習得した「科学の目」を突破口として、それ以外の多様なものの見方の存在に気がついたり、新たな見方をつくり出したりすることができれば、本来の意味での「みつめる力」につながります。
20世紀のアーティストであるパブロ・ピカソは、「ラファエロのように描くには4年かかったが、子供のように描くには一生かかった」と言いました。
ラファエロとはレオナルド・ダ・ヴィンチに並ぶルネサンスの画家で、「観察力」に長けた人物として知られています。
ピカソの言葉は、「既存のものの見方の習得は数年もあれば達成できるが、子どもが自然にしているように、様々なものの見方で目の前の世界をみつめることは、生涯をかけて取り組むようなものだ」と解釈できます。
「みつめ方」は、航海図に示した8つにすべて集約できるわけではありません。これらは多様なものの見方のほんの一部ですし、まだ発見されていない見方、生み出されていない見方は無数にあるはずです。
「みつめる」とはどのようなことなのか?
答えが1つではない問いについて考えを巡らせることで、あなたも「アート思考」を育んでみてくださいね。
(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年11月21日に公開した記事を転載しました)
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