目次

  1. 先代の縁で工場を確保
  2. 生産を可能にした応急ライン
  3. 早期復旧がもたらしたもの
  4. 津波は「まさか」ではなく「やはり来た」
  5. 頼りになるのは「人とのつながり」

 代替工場探しが難航していた3月下旬。先代の父のころから取引があった、青森県八戸市のかねと水産に電話をすると、社長から「とりあえず工場を見に来てみてくれ」と好意的な返答がありました。

 翌日向かうと、南三陸町ほどではないにせよ八戸市にも津波は到達しており、かねと水産の工場も、壁に穴があくなどの被害を受けていました。いくつか工場を見てまわる中、当時使っていなかった工場の設備なら、代替生産が可能と判断。そこから2週間ほどで工場を修繕し、最低限の加工ができるよう設備を整えました。補修の費用についてはかねと水産が金融機関からの融資を受けて負担し、カネキ吉田商店が賃料を払う形で折り合いました。

(続きは会員登録で読めます)

ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。