津波は「まさか」ではない カネキ吉田商店を救った平時のリスク分散
東日本大震災の津波で水産加工の工場が壊滅的な被害を受けた、カネキ吉田商店(宮城県南三陸町)。2代目社長の吉田信吾さん(64)は、失った原材料を海外から確保することに成功し、復旧への大きな一歩を踏み出します(前編参照)。続く代替工場探しでは、先代の父からの縁があった会社が突破口に。早期の復旧が実を結び、震災前を上回る規模に業績が回復しました。
東日本大震災の津波で水産加工の工場が壊滅的な被害を受けた、カネキ吉田商店(宮城県南三陸町)。2代目社長の吉田信吾さん(64)は、失った原材料を海外から確保することに成功し、復旧への大きな一歩を踏み出します(前編参照)。続く代替工場探しでは、先代の父からの縁があった会社が突破口に。早期の復旧が実を結び、震災前を上回る規模に業績が回復しました。
代替工場探しが難航していた3月下旬。先代の父のころから取引があった、青森県八戸市のかねと水産に電話をすると、社長から「とりあえず工場を見に来てみてくれ」と好意的な返答がありました。
翌日向かうと、南三陸町ほどではないにせよ八戸市にも津波は到達しており、かねと水産の工場も、壁に穴があくなどの被害を受けていました。いくつか工場を見てまわる中、当時使っていなかった工場の設備なら、代替生産が可能と判断。そこから2週間ほどで工場を修繕し、最低限の加工ができるよう設備を整えました。補修の費用についてはかねと水産が金融機関からの融資を受けて負担し、カネキ吉田商店が賃料を払う形で折り合いました。
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あとで聞いた話によるとかねと水産は、「我々よりずっと被害の大きい南三陸の会社が、本気で再開しようとしているとは」と驚き、支援を決意したそうです。
八戸市での代替生産が決まったことで、3月下旬には韓国・中国から輸入しためかぶが八戸港に荷揚げされました。4月には、南三陸町にある本社工場も、軽油による自家発電機を使って最低限の設備を復旧。荷揚げされた原料のめかぶを八戸工場で途中まで加工してから、南三陸町の工場まで輸送し、最後のパック詰めを経て出荷する応急の生産ラインが整いました。
八戸市の工場での作業は、カネキ吉田商店の社員が南三陸町から出張して担いました。十数人ずつの一週間交代で、工場の2階を宿泊設備に転用してもらって寝泊まりをしました。家を失うなど従業員にも震災のショックが残る中、仕事と寝床があるということは大きな支えになったそうです。
こうして、震災から約1カ月となる4月16日に、カネキ吉田商店は主力であるめかぶ製品の出荷にこぎつけました。「夢中でやっていたけど、計画していたことがやっとここまでできたと感無量でした」。本社工場から出発するトラックを見ながら、吉田さんはそんな思いを抱きました。この応急ラインでの生産は、南三陸町内の工場再建のめどがたつ10月末まで、半年間ほど続けられました。
少量から生産再開しためかぶ製品は、まず東北のスーパーに出荷され、その後の生産拡大にともなって少しずつ販売エリアを広げていきました。当初の懸念にあったように、他社製品に棚がとってかわられることはなく、販路の減少は避けられたとのことです。「やはり早期復旧が大きかったです。これは絶対条件でした」
工場の再建には、国の中小企業等グループ補助金などを活用し、2013年には震災前と同じ規模まで生産体制を復旧させました。新工場ではより高い衛生基準の設備を整えてHACCP認証を取得したことで、大手との取引も増えていきました。顧客の拡大によって、売り上げは震災前を2割ほど上回るところまで回復したそうです。
「震災後、とある従業員が家を再建するために銀行にローンを組みにいったところ、カネキ吉田商店がお墨付きになるような形で、とてもよい待遇を受けたそうです。おおげさかもしれませんが、経営者としては本当にうれしくなりましたね」
南三陸町は、明治三陸大津波(1896年)、昭和三陸大津波(1933年)、チリ地震津波(1960年)と、過去にもたびたび津波の被害を受けてきた土地です。吉田さんも、明治の津波で一度自宅が流され、より高台に移動したという話を聞かされて育ちました。
「この地域で暮らしていると、過去の経験から、大なり小なり津波は絶対やってくるということは覚悟をさせられます。東日本大震災の津波も、『まさか、なんでこんなのがくるのか』というよりは『やはりとうとう来てしまったか』という印象でした」
こうした危機意識から、震災前に加入していた地震保険にとても助けられたといいます。
震災後も次の災害に備えて、会社のBCP(事業継続計画)を見直しました。従業員の安否確認のための連絡網を整えたほか、災害後に社員がどう行動して身の安全を守るか、マニュアルを策定しました。また東日本大震災では地域一帯で電話が不通になり、安否確認や取引先への連絡で苦労した経験をふまえ、衛星電話を新たに配備したそうです。
津波被害からの早期復旧で、会社を守った吉田さん。事業の継続のため、平時にどんな備えをしておくべきかを尋ねると、「代替手段の確保」「リスクの分散」という答えが返ってきました。
「震災前、原材料のめかぶの約25%を国外からの輸入でまかなっていましたが、年によっては国産の在庫量が十分あり、『今年は輸入はなくていいかな』と思うことも確かにありました。しかしそこで取引をやめて、調達先が国内だけになっていたら、このような復旧は無理だった。いまは多少在庫がだぶつくことはあっても、輸入量を調整し、コンスタントに取引を続けられるよう意識しています」
また、コストをかけて取引を維持する以外にも、代替手段確保のためできることはあると言います。
「我々も、父の代からの縁で、八戸のかねと水産に助けてもらえました。日頃から同業者との交流を増やすなどして、人と人とのつながりを作っておくことが、有事の助けにになるのではないでしょうか」
「常日頃からずっと災害への備えを意識していなくてもいいとは思うんです。取引ひとつとっても、相手にとってプラスになることを考えて、だしぬくようなことはしない。商売としての基本を大事にすることが、困ったときはお互いさまということにつながるのだと思います」
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