ファミリービジネスの事業継承 起業家精神と社会情緒資産にこそ価値
杉本崇
2025.06.03
(最終更新:2025.06.03 )
アントレプレナーシップの概念とファミリービジネスでの実践事例
起業家にインタビューをしていると、実は親が経営者というファミリービジネス出身者は少なくありません。ファミリービジネス出身者は、事業承継時に有形・無形の資産を引き継ぐと言われていますが、家業を引き継ぐか否かに関わらず、ファミリービジネス出身者が先代から受け継ぐ「アントレプレナーシップ(起業家精神)」と、経済合理性だけでない「社会情緒資産(Socioemotional Wealth: SEW)」に強みがあると感じることが増えています。
ファミリービジネスに根付く起業家精神
KPMGのレポート「ファミリービジネスの持続可能な競争力」 は2021年に世界各地のファミリービジネス2439人を対象とする調査を実施しました。
この知見から「企業のアントレプレナーシップ の強さは、ファミリービジネスが臨機応変に適応し、イノベーションを起こし、成長する力を発揮するための、最も重要な要因の1つといえます」と指摘しています。
日本で100年以上続いている長寿企業は、2万社超あるといわれていますが、そのうち9割以上がファミリービジネスです。短期的な利益よりも、リスクをとり長期目線で家業を伸ばしていこうとする経営者を幾度となく取材してきました。
由紀ホールディングス代表取締役社長の大坪正人さん
由紀ホールディングス代表取締役社長の大坪正人さんは2025年5月のイベントで、事業の変遷について話しました。ネジ中心の金属加工で創業した由紀精密は、公衆電話の部品などを受託していましたが、時代の流れとともに売り上げが落ち込んでいました。
樹脂製品が増えて、接着剤の性能が上がるなか、大坪さんは「ネジが残るところはどこだろう」と考え、航空、宇宙、医療分野に事業を絞っていきます。3分野を同時に進めて動き続けた結果、2008年のリーマンショック後からコロナ禍に突入するころまで全体として利益を出し続けられる体制になったといいます。
しかし、新規事業として始めた航空分野は利益が出せるようになるまで5~6年かかったといいます。それでも事業を続けていた理由について「短期で売上目標の達成が求められる上場企業と比べると、家業はもう少し先を見て進んでいくことができます。マイルストーンは数字ではなく、この分野を取るという思いでやってきました」と話しました。
現在も核融合分野や超電導などの分野で、こんな加工、誰がやるんだというもの、ほかでは作れないものにこだわり、それがビジネスとして成立するかを確かめているそうです。
また、オランダやスウェーデンの研究チームによる論文「Why do Entrepreneurial Parents have Entrepreneurial Children?」は、スウェーデンで大規模な調査を実施し、親のアントレプレナーシップが、子どものアントレプレナーシップを約6割高めるといった調査結果を発表しました。
研究チームは、養子との関係でも調査しており、出生後の環境要因が出生前の遺伝的な要因よりも大きな影響を与える可能性を示しています。
会社を経営するということは人生を考える上ではリスクでもあります。それでもあえて会社を経営するという選択肢を取るのは、経営の良いところも悪いところも実体験として経験しているところや、親や祖父母が経営に向き合う姿勢を間近で見ていることが影響していると考えられます。
1946年に祖父が創業した家庭用ミシンメーカー「株式会社アックスヤマザキ」3代目社長。近畿大学商経学部商学科卒業後、機械工具卸会社に入社。2005年、当時社長の父親から「売り上げがピークの3分の1まで落ち込んだ」と聞き、はじめて自分の前で弱音を吐いた姿を見た時に、自分がこの状況をなんとか変えなければと思い、家業への入社を決意。2010年グロービス経営大学院大学に入学、2013年に卒業。2015年に同社代表取締役就任
たとえば、家庭用ミシンメーカー「アックスヤマザキ 」は3代目社長の山崎一史さんの祖父が1946年に創業した会社です。はじめはリヤカーを押しながらミシンを販売していました。その後、海外への輸出に販路を見出し、会社は成長しました。しかし、1970年代から円高となり、債務超過に陥るようになりました。
そこで、後を継いだ父親が、海外生産・国内販売にビジネスモデルへと転換しました。山崎さんは、子どものころから会社の業績が上向くにつれて、夕食のおかずが1品だったのが3~4品に増えたり、家がボロボロだったところがきれいに修復されたりと、会社の業績による影響を身近な生活で感じていたといいます。
しかし、国内のミシン市場も徐々に縮小していきます。2代目社長だった父親の「家業がピンチだ。売り上げが全盛期の3分の1に落ちた。えらいこっちゃ」と弱音を耳にし、山崎さんは家業に入ることを決心します。
山崎さんは事業を継いでからは、社会や顧客を意識する外向き思考を持ち、「オモロイと思うこと以外しない」と考えるようになったことで、景色が変わったといいます。その結果、「子ども用ミシン」など次々とヒット商品を世に送り出しています。
「社会情緒資産(SEW)」がもたらす非財務的価値
社会情緒的資産(Socioemotional Wealth: SEW)理論は、ファミリービジネスの意思決定を理解する上で大事な概念の一つです。
オーナー一族はお金の面だけを重視せず、創業者の哲学や一族のビジョン、ファミリーが培ってきた経験、地域との信頼関係、顧客や従業員との長期的な関係性など、社会情緒的資産の維持を目的とした行動を起こし、これが企業の様々な意思決定に影響を及ぼしているというものです。
ファミリービジネスは、社会情緒資産を維持するためなら、一時的な財務的な損失や赤字を許容する傾向があります。これは、短期的な金銭的利益よりも、家族の評判、企業の独立性、地域からの信頼といった非財務的価値を優先するためです。
株式会社若林平三郎商店・株式会社心囃子 代表取締役社長 若林 美樹さん
1989年生まれ、岡山県倉敷市出身。同志社大学商学部卒業後、大手金融関連会社、マーケティングリサーチ会社に勤務。2016年に東京からUターンし、家業に入社。夫ともに子会社である心囃子の飲食部門(居酒屋6店舗・当時)の再建を担当する。コロナ禍を経て居酒屋全店舗(4店)を譲渡。2023年に宅地建物取引士資格を取得し、心囃子社内に不動産仲介業とカフェFCエリア本部事業を立上げる。2024年8月1日に、若林平三郎商店(運輸事業・飲食事業・不動産賃貸事業)と心囃子の代表取締役社長に就任。写真は一部を除き同社提供
岡山県倉敷市にある、創業160年超の老舗「若林平三郎商店 」の6代目代表に就任した若林美樹さんは、ハイヒールにスーツ姿で現場の指揮を執る祖母の姿がカッコよくて、憧れていたことが事業承継の原体験だと語っています。
若林平三郎商店が手がけている事業の一つは、卸売業です。卸売業者は、メーカーからモノを仕入れ、配達して取引先に納める。その代金である売掛金を「払ってください」と頭を下げて頼みに行き、回収するまでが仕事です。「そこまでしても利益は薄い。祖母から“事業は薄紙を重ねるように成長していくものだ”と何度も聞きました」
それでも祖父母や父が、誇りを持って卸売業を続けていたのは、倉敷の街にモノが流通し、街全体が活性化するという強い思いがあったからだと感じていたといいます。
そんな姿を見て育った若林さんは、居酒屋部門を束ねている子会社・心囃子を任されたとき、売り上げアップ、利益率アップより優先して取り組んだのが、従業員の働き方改革でした。「まずは従業員の負担減が最優先。そうしないと、プラスアルファの取り組みは進まない」と決断していました。
社会情緒資産は、とくに地方都市で、経済合理性のみに基づいて事業を縮小したり、売却したりすることを妨げる「撤退障壁」として機能しています。これは、短期的な財務指標が悪化しても、家族の名誉、従業員の雇用、地域との絆といった非財務的価値を守るために、事業を継続しようとする強い動機付けとなります。
この「撤退障壁」は、市場の淘汰圧から企業を守り、困難な時期を乗り越えるためのレジリエンス(回復力)を高めます。結果として、ファミリービジネスは長寿企業となる可能性が高まり、経済全体における安定供給や地域経済の維持に貢献するという、社会的な役割も果たしているのです。
ファミリービジネスが持つ独自の強み
ファミリービジネスへの取材を続けるなかで、独特の経営哲学と意思決定プロセスがあることを感じてきました。世代を超えた事業の永続性、そして「金銭的な価値だけでない無形の資産」を守り、次の世代に伝えることに重きを置く点にあります。
日本の長寿企業の約9割がファミリービジネスであり、その多くが100年以上の歴史を持つという事実は、この独自の経営スタイルが企業の継続性に与える影響の大きさを表しています。
上場企業は株主価値最大化や四半期ごとの業績目標の優先順位が高いのに対し、ファミリービジネスは「事業の永続性」という非財務的目標を最上位に置く傾向があります。
この長期志向は、研究開発投資、従業員への投資、地域貢献といった短期的な財務リターンに直結しない活動への積極性を生み出します。これは、経営の良し悪しではなく、企業が社会に存在する意義そのものに対する哲学の違いです。
この長期志向は、地域社会への貢献や従業員の幸福といった広範なステークホルダーへの配慮へとつながります。売り手の都合だけではない、買い手のことを第一に考えた商売と商いを通じた地域社会への貢献を表す近江商人の「三方よし」もこの考え方に近いと言えるでしょう。